第二章 第二節
第二節
一
「あら、もうそんな時期ですのね。」
夫人がわずかに唇を紅色の茶で湿らせると、寂しげな光りを瞳に灯してゆめを見た。
その隣に控える「鎖葉詩」の顔色にも寂しさが滲む。
二人のそんな表情を見ていると自然ゆめも寂しい気持ちになってきた。
そこは「堕烏苑」の屋外に設けられた小さな石造りの建物。
お椀形の丸屋根を五本の円柱が支えている。
円柱の隙間は吹き抜けになっており、そこに朱の縁取りを施した黒色の御簾が下げられていた。
御簾の隙間から差し込む硝子細工の植え込みの光の反射と、「蛾禍蜍」に魅せられてその周りを狂ったように舞う数匹の極楽蝶で、建物の中は淡い幻のような光で満たされていた。
「寂しくなりますわ。」
「っ……でも、すぐだよ!
また何百年かしたらまた必ず来るからッ!!
だから待ってて!!」
「えぇ……。」
夫人がやんわりとゆめに微笑んだ。
夫人の雰囲気には人の心をほっと柔らかくするものがある。
寂しそうにしていても、悲しそうにしていても…・…。
おそらく本人の意思にかかわらず不思議と人を慈愛で包み込む人なのだろう。
それが本人にとって必ずしも幸せな事であったのか、それは定かな事ではないが…。
「私も実はそろそろではないかと考えておりましたの。
ですから用意しておきましたわ。」
「用意?」
ゆめがきょとんとした顔をしていると、「鎖葉詩」がおもむろに建物の外へと出て行った。
夫人はにこにこと微笑んでいる。
しばらくすると黒塗りに貝殻で細工を施した箱を持って「鎖葉詩」が建物の中へと入ってきた。
その唇に淡い頬笑みを湛えている。
「鎖葉詩」はゆめと夫人の囲む丸い卓の上にその箱を置くと、そっと蓋を外してみせた。
「少し大きめに作ったのですけれど…。」
「わぁ!!」
ゆめは箱の中のものを見て、思わず喜びの声を上げていた。
箱の中には紅色を基調とした着物が綺麗に折りたたまれていた。
夫人がそっと手を伸ばし、箱の中から着物を取り出す。
全体的にゆめの知る衣の形をしていたが、袖が細く作られていたりと何処となく亜装を思わせる造りが所々に見られた。
「これを私に?この前も巾着もらったのに…。
いいの?」
「えぇ。」
ゆめはそっと夫人の持ちあげる衣に触れた。
光の具合で見た事もない草花の刺繍が綺羅綺羅と浮かび上がる。
さわり心地の滑らかさと布の織り込み方もゆめの知るものと微妙に異なっていた。
ゆめは羽のように軽いその衣をふわりと自分の身にまとってみた。
「素敵……。
ありがとう、夫人。
これ御殿でも着るね。」
「ですが言の葉を失うと消えてしまいます。」
「鎖葉詩」がそっと小さく囁く。
「えっ!」
「嘘です。
それは夫人自ら手を添えてお造りになられたものですから。
そのような事はございません。」
思わず全裸を想像し赤面したゆめに「鎖葉詩」が艶をたたえていたずらに微笑む。
そんな「鎖葉詩」の袖にそっと夫人が手を触れた。
「いけない子ね。」
「申し訳ございません。」
ゆめは衣の香りを胸一杯に吸い込みながらそんな二人のやりとりを眺めた。
甘い蜜の様な温かい香り。
ただ在るだけで温かく優しい夫人。
実はちょっと子供っぽい所もある大人な「鎖葉詩」。
幸せな空間、幸せな時間。
「最後にまた聞かせて下さいな、ゆめ。」
「はい!」
ゆめは御殿で覚えた極楽蝶の歌を華の様に歌い上げた。
幸せに心を満たされたゆめの声色は、自然と温かい色に透き通る。
何の伴奏も無い一人唄ではあったが、ゆめの可憐な声はそれだけで十分魅力的であった。
夫人も「鎖葉詩」もそっと瞳を閉じてその声色に心を澄ましている。
儚い夢のような時はゆるゆると過ぎていった。
新しい衣を収めた箱を大事に抱えながらゆめは茶屋への帰路についた。
敷き詰めた石畳にゆめの小さな足跡が響く。
ゆめの履く布靴も夫人に手ずから教わって作った亜装のものであった。
鼻緒のいらないこの靴は履きやすく、ゆめはとても気に入っている。
――――また皆におかしな格好になったねって言われるかも…。
ゆめは皆の目が丸くなる様を想い浮かべながら「客死隧道」へと入って行った。
不自然な葉ずれの音、静かすぎる木漏れ日の優しさ。
けれどその時のゆめにとって、それは小さな不安でしかなかった。
昔の様に不幸のどん底に一人落とされたような暗闇を感じる事は今ではない。
坂道を登っていく事にも、昔よりは大きくなったゆめにとってそれ程大変な事ではない。
それはほんの一瞬で終わってしまっていた。
目の前に夕日に赤く燃える草原がどこまでも広がる。
ゆめは皆の待つ茶屋を目指して駆けていった。
二
「綺麗な赤だねぇ~。ゆめによく映える衣だよ。」
「へぇ!また良いものもらってきたじゃないか。
良かったじゃん、ゆめ。」
「へへへ~。」
ゆめは茶屋に戻ると早速皆の前で夫人にもらった衣を披露していた。
「ほほぉ~、これはこれは珍しい衣ですのぉ~。」
数日前からすでに訪れている「滅歌」が、黄色く濁った脂っぽい眼を大きくさせてゆめが夫人からもらった衣を見た。
何となく手にとって見たそうな感じがするが、その衣以外汚く汚れた「滅歌」に手渡すのは何だか嫌でゆめはそれとなく自分の手元に引き寄せていた。
食人種「シシ児」の一系である「滅歌」は、装飾には非常にこだわりがあるがその中に包まれた己の身には全く関心が無かった。
いつ身体を清めたのものか、何ともいえない垢の匂いが鼻につく。
着飾りたいのか、そうでないのか今いち判然としない老婆である。
それに何と言ってもゆめは「滅歌」が自分を見つめる時の瞳の色が好きになれなかった。
どう見てもそれは食べ物を見る時の瞳である。
部屋の隅で腕を噛みしだいている「滅歌」の兄、「滅宵」よりはその瞳の色は幾分理性で弱まっているが、そのような視線を向けられているのは嬉しい事ではない。
詰まる所ゆめはこの自分達の後に茶屋を訪れる一行が好きではなかった。
――――後から来る人達も「靜波紋」みたいな感じの良い人達だったら良
かったのに……。
ゆめは自分達が茶屋を訪れた時よく先に訪れている行商人「靜波紋」の事を想い浮かべた。
「靜波紋」は、行商奴隷故に人型ながら四足で歩く奇異な風体をしているがそれを除けばとても気さくな人物だった。
相としては幾分上に見える。
藍の始め(外見年齢四十代前半)といったところであろう。
四足の奴隷となって随分久しいらしく、その手足は獣の様に固く曲がりきっている。
本来手であった前足は、彼の主人によって全ての指が第一の関節まで切り落とされていた。
それ以外は、淡い緑色を基調とした、おそらく所属する店を示しているであろう独特の刺繍の施された上品な衣をまとう明るい男であった。
その広く長い背の上には、沢山の色とりどりの怪鳥がくつろいでいる。
それが「靜波紋」の商売品でもあり、手の使えない自分の身の回りの世話をしてくれる大事な相棒でもあった。
「靜波紋」はこの怪鳥達を茶屋を越えた別の世界に届ける為に定期的に旅をしているらしい。
「靜波紋」が高く細い音の口笛を吹くと、尾の長い怪鳥達は器用にお茶を運び、器用に「靜波紋」の衣を着せかえ、器用に喉を鳴らして歌を歌った。
「届けた後の帰りはどうするの?」
奴隷は板間に上がる事はない。
いつかゆめは土間でくつろいでいる「靜波紋」にそう聞いた事がある。
「靜波紋」はその相にしては無邪気な瞳でゆめを見ると、ぴゅっと口笛を吹いて一匹の怪鳥を自分の雲の様にふわふわとした頭の上に止まらせた。
あまり綺麗な鳥ではない。
小麦色の羽毛の所々に黒の混じった大きな鳥である。
その両脚の五本の鍵爪は細く長くまるで人の指の様に一種異様だ。
しかしその紫の瞳の色だけは際立って美しかった。
「「九の果」がずっといるから大丈夫さ。
「九の果」は本当にずっと俺の相棒なんだよ。」
「九の果」と呼ばれる鳥は、「靜波紋」の言う事がわかるのか(おそらくわかるのだろう)「靜波紋」の頭の上で「けぇ」と一声鳴くと驚くゆめの懐に飛び込み、ぽすんとその膝の上で丸くなった。
「ちょうど君達の「縁」みたいな存在だね。
お互いがお互いを支え合って生きてるんだよ。」
―――――「縁」……私を世界に繋ぐ大事な絆。
お互いがお互いを支える大事な絆。
―――――お互いがお互いを…・・・・。
―――――お互い……
「ゆめ!とりあえずご飯だから箱に畳んで入れときなよ。」
「あ……あ、うん!」
「とばねき」の声で現実に引き戻される。
そこには「靜波紋」ではなく「滅歌」がいた。
ゆめはそっと箱の中へ衣を戻し始めた。
「滅歌」が名残惜しそうにその手元を眺めている。
―――――まただ…・・。
ゆめは箱のふたを閉じると、それを奥の間へと持って行った。
そっと自分達の荷物の所にそれを置く。
―――――「靜波紋」の前でもそうだった。
たぶん今もきっと私ぼうっとしてたんだ。
―――――どうしてだろう…・。
「お互い」って言葉を聞くと、いつも胸が苦しくなる…。




