第一章 第三節
第三節
一
「さぁ、どうぞこちらへ。貴女の御顔をよく見せてくださいませ。」
やはり静かで、まるでさざ波のような穏やかさを持つ夫人の声音がゆめを招く。
ゆめはそっと庵の中へ足を踏み入れた。
「えっ……あれ?」
ゆめはまたまた驚いた。
この苑に来てからもう何回驚いた事になるだろう?
けれどやはり驚かずにはいられなかった。
外から見た庵は幻のように闇の中でひっそりとしていたのに対し、庵の中は真昼の木漏れ日で温かく満たされていた。
庵の中から見る外の風景も死んだように眠る静けさはなく、深い水の底は温かく清らかな碧色の光を映し、これもまた何処からのものかわからない温かな日差しをその水面に輝かせている。
また四方は黒壁を境として世界が閉じていたはずなのに、何処までも広がるかのような田園風景が見渡せていた。
ゆめはそこに見える田園風景の草花が、全て見た事のあるものだとふと気づいた。
そう、それは西の指の御殿の中にある大浴場、「浮魂癒」の景色によく似ていた。
「お分かりになりますか?」
目の前に夫人がいた事を思い出し、ゆめは夫人に視線を戻した。
光の中で夫人を見るなり、ゆめはあっと声を上げてしまった。
そしてそれが失礼だという事に気付くと、気まずそうに両手で口元を押さえ、窺うように夫人を見つめていた。
「ご……ごめんなさい……私。」
「…………どうかされまして?」
夫人が小首をかしげ、澄んだ瞳でゆめを見つめた。
ゆめはそれを口に出していいものなのか戸惑い、もじもじとした。
夫人はそんなゆめを、穏やかに見つめている。
「きっとあんたの髪の色にびっくりしたんだよ。」
聞きなれた声にゆめが振り向く。
そこには「丸嬰」が立っていた。
救われたような気がしてゆめはほっとした。
「丸嬰」がぺたぺたと足音を響かせながら、庵の中へと入ってくる。
「丸嬰」はそのままゆめの横を通り過ぎると、夫人の座る長椅子の空いている所に当たり前のように腰を下ろした。
そしてあろう事か隣に座る夫人の、長く編み込まれた髪の毛の束を、むんずとつかんだ。
上品そうな夫人への、あまりに無礼な「丸嬰」の態度に、ゆめが口をぱくぱくとさせていると、「丸嬰」が先程ゆめの感じた驚きを口にしていた。
「忘れたのかい?あんたのこの髪の色は、天人の色だって事をさ。」
「あぁ、そういえばそうでしたね。すっかり忘れていましたわ。」
夫人があらあらと手袋をはめた右手を、上品に自分の頬にあてる。
ゆめはそんな夫人をそっと見つめた。
天人の色、話には聞いていたが、ゆめがそれを見るのは初めての事だった。
天人の髪の色はみな、金色に輝き光を放つという。
そしてその輝きが淡い程に、高貴な天人であると言われていた。
「丸嬰」の握る細く長い髪の毛の束は、まさに金色に輝いていた。
しかもそれは銀糸のような淡い光をたたえている。
神々しい光を放つ夫人の姿は、まさに天人そのものだった。
ほっそりとした面ざし、柳眉とその下の少し眼尻の下がった碧色の淡い瞳が、柔らかい雰囲気を醸し出している。
服装は襟元や帯を見る限り和装のようにも見えたが、全体として見ると亜装に見えてしまう不思議な白い衣をまとっていた。
―――そうだ……亜装は天人が好む衣だって……。
じゃあやっぱりこの人は……。
「ゆめ、コイツはね、こんな髪の色してるけど天人じゃないから。
親が天人ってだけ。生まれも育ちもばりばりの冥獄っ子の鬼子だよ。」
ゆめの誤解を察した「丸嬰」はそう言って、まだその手に握る金色の髪の毛をぐいぐいと引っ張った。
夫人は髪が長い為か、全く痛がる様子も見せず「丸嬰」のその行為を許し、その隣で穏やかに微笑んでいる。
ゆめはそんな二人の力関係がよくわからず、はらはらと気が気ではなかった。
「ゆめさん、と仰るの?」
夫人が隣の「丸嬰」を見つめ、そのあとゆっくりとゆめの方に顔を移した。
見慣れぬ輝きと優しげな眼差しを真正面から受けて、動揺しながらもゆめは答えていた。
「あっ……は、はい。はじめまして。
黒ノ赤子の西の指の「極楽貪主」様の御殿で暮らしている「儚ノ中」といいます。
ゆめと呼んでください!よろしくお願いしますッ!」
ゆめが夫人のその風貌に緊張してか、あたふたとしながら頭をぶんとばかりに下に下げた。
それを見た「丸嬰」がぷっと笑う。
夫人がいけませんよとそんな「丸嬰」をたしなめると、ゆっくりと立ち上がりゆめの所まで歩み寄った。
頭を下げるゆめの前にそっと膝を折り、ゆめの両手にその手を添える。
ゆめが顔を赤くしながらはっと顔を上げると、夫人が優しく囁いていた。
「そんなに固くならなくてもよろしいですわ。
私は貴女とお友達になりたいのですから。」
そう言って夫人は、その淡く朱を引いた薄い唇で上品に微笑んだ。
――――素敵……ぬし様の宴で舞う舞姫様みたいに綺麗。
ゆめはぼんやりとその顔を見つめた。
「「ゆめのなか」とはどういう字を書くのかしら、ゆめ…。
私に教えてくださる?」
夫人のまとう香の香りが、ゆめの心を優しくなでる。
ゆめは少し恥ずかしそうに、その名前を答えていた。
「儚いという一字でゆめ、一払いでノ、上中下の中で儚ノ中っていいます。
その……私の命がとても儚いものだからだそうです。」
――――やっぱりやだな……こんな名前。
ゆめは改めて口にしてみて、自分の名前に惨めさを感じた。
儚いもの、とてももろく、弱く、ただ成す術もなく、消えていく定めの存在。
自然ゆめの目線は下を向いていた。
「そう……素敵なお名前。」
「素敵?」
夫人の言葉に耳を疑った。
ゆめは顔を上げて夫人を見つめる。
そこには穏やかな慈愛に満ちた瞳が、ゆめを捉えていた。
心を優しくくすぐるような淡い瞳。
「えぇ素敵ですよ。
とても綺麗な言の葉です。
儚いものとは、尊くて美しいものの事ですから。
私、とても好きですわ、そのお名前。」
「で、でも、儚いものってとてももろくて、弱くて……そんな…・・・。」
――――そんな良いものなんかじゃ……ない。
「確かにそうかもしれません。けれどそれは決して悪い事ではないのですよ。
もろく弱いからこそ、その一瞬の輝きは何よりも強く尊いものとなるのです。」
「ゆめは今その中に在る。
何よりも輝き、強く尊いものの中に……。
それはとても素敵な事でしょう?」
「自分を誇っていいのよ?ゆめ。」
それはゆめがいつも欲しかった言葉であった。
淡い存在である自分を認めるその言葉。
それを天人のような夫人が、さらりと口にしてくれた。
それがゆめは心の底から嬉しかった。
夫人に許される事は、まるで世界から許されるような幸福感があった。
そう思わせる程に、夫人の高貴は色めいていた。
「そう言ってもらえるなら……私も好きになれそうです。」
ゆめは夫人に心からの笑みを返していた。
二
「…全く。普段のぺらぺらはどうしたんだか…。」
もじもじするゆめにしびれを切らした「丸嬰」が、会話の主導権を握るとさっさと話を進めていった。
「丸嬰」がお題を夫人に投げかけ、夫人がそのお題にやんわりと答える。
時たま「丸嬰」がゆめに質問しゆめがそれに答えると言ったように、互いの事を知る機会を作っていった。
会話はなごやかに流れていく。
「丸嬰」と夫人、一見噛み合わなそうな二人だったが、何だか会話が成り立っているのを不思議な思いでゆめは見つめていた。
「―――そうですわ、「マルエイ」だけでなく「ゴクラクドンス」も合わせて私達は深い知り合いですの。」
「えッ……!そうなんですか!」
「そうそう、ここだけの話なんだけどね。
「ゴクラクドンス」はもともとこの「フジン」の所の下男だったんだよ。」
「えッ!下男??
あのぬし様が………??下男!?!?
嘘でしょ??」
「嘘じゃないよ、本当だよ。
誰だって下積み時代はあるって事さ…。ね、「フジン」。」
「えぇ……。
「ゴクラクドンス」には本当にお世話になりましたわ。
私、とてもお転婆な少女でしたのでいつも彼を困らせておりましたの。
例えば―――」
夫人がくすくすと可愛らしく笑いながら、「極楽貪主」を落とし穴に落として半年放置してしまい、しまいには泣かしてしまった話をすらすらと調べのように物語った。
あの無表情の「極楽貪主」が泣いた。
今の有様からはとても信じられない話に、ゆめは興味深々で話に聞き入っていた。
「……どうかされまして?ゆめ。」
楽しく談笑していた夫人が一早くゆめの異変に気づき優しく尋ねる。
そんな夫人の言葉に笑いを止め、「丸嬰」もゆめを見やる。
「あ……。」
ゆめは気まずそうに耳に当てていた手を放した。
遠くからかたかたと茶器を運ぶ音が響いてくる。
夫人が優しくゆめを見つめ次の言葉を待った。
「……えっと、何だか耳の聞こえが悪くて…。
さっきから夫人と「丸嬰」の言葉が、その……名前だけ変に聞こえるんです。」
ゆめが申し訳なさそうに呟く。
庵の中に「鎖葉詩」が姿を現し、車輪のついた茶器の台をそっと中へ押して入る。
ゆめの後ろに立つと静かに茶器の支度を始めた。
「あらあら。」
夫人が頬に手を添え隣で胡坐をかく「丸嬰」を見つめる。
その視線に「丸嬰」が意地悪く夫人を見つめ返した。
「「マルエイ」、貴女ゆめに何かされまして?」
「えぇ、されましてよ。」
「丸嬰」が夫人言葉で夫人に返した。
えっと驚くゆめの前をそっと「鎖葉詩」の茶器を運ぶ腕が過ぎる。
「失礼します。」
ゆめは思わず口をつぐむ。
「鎖葉詩」が茶器をそろえるまで誰も口を開かない。
三人の前に茶器が揃うと「丸嬰」ががぶりとそれを一呑みし、手の甲で口元をぬぐうと話を続けた。
「実は来る道の途中であんたに「呪」をかけた。
「真名」が聞こえないようにする「呪」をね。」
「「呪」って…!やだ、何で勝手にそんな事するのよ!」
ゆめが文句を言うのにも全く動じず、「丸嬰」は取っ手のついた茶器を茶碗のように持ち上げると、「鎖葉詩」に付きつけた。
「「鎖葉詩」!茶ッ!」
「……私は貴女の細君ではありませんよ。」
穏やかに不平を言いながら「鎖葉詩」が「丸嬰」の茶器に並々と茶を注ぐ。
よく見るとしっかりと湯気の立つそれを、また一息で「丸嬰」は飲み干していた。
「だって、面倒臭いじゃないか!
あんたに合わせて今更「ゴクラクドンス」の事を「極楽貪主」ぅ~とか
「フジン」の事を夫人~とか呼ぶなんてさぁ。だからあんたの耳をちょっといじくらせてもらったって訳。」
「いじくんなッ!」
ゆめが声を荒げると夫人と「鎖葉詩」がくすくすと笑った。
ゆめははっとして顔を赤くした。
「丸嬰」が意地悪くにやにやとそれを見つめた。
「あんたの為でもあるんだよ?
「極楽貪主」の真名なんて知ってたら、色んな奴から狙われるんだから。」
「鎖葉詩」にまたもや茶を求めながら、「丸嬰」は夫人の方に体を向けて口を開いた。
「…で、これがこいつの本性さ。普段うるさいのなんのって…。」
「ちょっ…・・・「丸嬰」!!」
慌てながらもまだ2人の視線を気にするゆめを尻目に、「丸嬰」がにやにやと舌を滑らせる。
「いつもはとんだお転婆で、きゃあきゃあ騒いでうるさいの何のって。きょろきょろきょろきょろ落ち着かなくてぺらぺらぺらぺら喋ってさぁ、お喋り鳥みたいな娘なんだよ。
けど今はあんたの毛色がちょっと違うのと、「鎖葉詩」が色男だからって淑やかぶろうと無理して頑張っちゃって―――」
「だまれッ!!」
さすがに我を忘れたゆめが、勢いあまって茶を「丸嬰」にぶっかけていた。
これには「丸嬰」もあっけにとられ、しとしとと茶の滴る髪の毛もそのままににやにや笑いのまま固まった。
「ふッ…・・く………あははははははははは!」
「ぷッ…・・ははははははははッ!」
夫人と「鎖葉詩」の笑い声に、ゆめははっと我に返った。
見ると夫人は口元も隠さず、大きく口を開けて少女のように笑っている。
後ろで「鎖葉詩」も少年のように、無邪気に笑い声を立てている。
それでも夫人の装いは気品に満ち、「鎖葉詩」の声の響きにも穏やかな上品さが欠ける事はなかった。
「ゆめ、本当に貴女は素敵ですわ!
「マルエイ」のこんな情けない顔、いつ以来かしら!」
「私は……くっ……初めて拝見させていただきました。
光栄です……ははっ!」
「丸嬰」が苦虫を噛み潰したかのような顔をして憮然とする。
ゆめはまだ気恥かしさを残しながらも、ふんと鼻を鳴らすと、すとんと席に腰を下ろし「鎖葉詩」に茶を求めた。
「鎖葉詩」がそっとゆめの茶器に茶を注ぐ。
その間も夫人のくすくす笑いは中々収まらず、「丸嬰」がいつまでも笑ってんじゃないよと髪の毛を引っ張り始めていた。
ゆめはそんな二人を見つめながら、そっと「鎖葉詩」が注いでくれた小さな掴みのついた湯呑に口を付けた。
それは甘い果物の香りを思わせるお茶だった。鼻先を爽やかな香りが抜けていく。
ゆめは思わずふぅっと息をついていた。
「素敵でしたよ。」
そっと近づき優しく「鎖葉詩」がゆめに呟く。
――――そっか……今の「鎖葉詩」にも見られちゃったんだよね…。
ゆめは少し後悔した。
けれど上目づかいに見つめた「鎖葉詩」の表情は先程よりもとても打ち解けたものになっていた。
少し上気した頬と唇が何となく艶めかしく艶っぽい。
―――――素敵……か……。
「うん、おいしかった!ありがと「鎖葉詩」!」
ゆめは「鎖葉詩」ににっこりと普段通りにほほ笑んでいだ。
三
「ふん……随分ご機嫌になったもんじゃないか?ゆめぇ……。」
隣りを歩く「丸嬰」が幾分不満げな顔を浮かべている。
そこは白天に朱点煌めく闇の中、二人は壁の様に立ち並ぶ林の間をとぼとぼと帰路に着いていた。
「まぁねぇ~~。
だって夫人ってすごく綺麗で素敵な人だし。
「鎖葉詩」もすごく大人っぽくて格好良いんだもん。」
「全く……素がばれたからって開き直っちゃってまぁ、いい気なもんだねぇ。
この浮気者。」
「浮気者?」
「だってそうだろ?
普段いっつも「露歩き」~、「露歩き」~って言ってるくせに、ついさっき会った男にころりと参ってさぁ。」
「う……それは…。」
「はぁ~ん?それはぁ??」
「それはそれ!これはこれ!
だって二人共格好良いんだもん。
や~~~!どうしよぉ~~!!」
そういうやゆめは「丸嬰」を追い抜いてぱたぱたと駆けだしていた。
「……あの二人じゃ、あんたがどうこうしてもどうにもならんだろ。」
「丸嬰」はぼそりと呟くとそんなゆめの跡を追った。
突如先を往くゆめがぴたりと止まる。
「そうだ…・・。
一応お礼言っとくきゃなきゃ。
ありがとね、「丸嬰」!」
突然のお礼に「丸嬰」はきょとんとした。
ゆめがそっと振り返る。
少し照れたような顔をしてゆめは「丸嬰」を見つめていた。
「私が地が出せないってわかったから、わざと私を怒らせるような事してくれたんだよね。
だから、ありがと…。」
ゆめはにっこりとほほ笑んだ。
「丸嬰」が苦虫を噛み潰したような顔をして道端に反吐を吐き捨てた。
「…別にそんなんじゃないよ。
あんたがカマトトぶってんのが目障りだっただけさ。」
「ふ~~ん?ほんとぉ?」
「っ……面倒くさい餓鬼だね!
そんな事どうでもいいだろ?!
ほら!往くよ!」
今度は「丸嬰」がゆめを追い抜いてさっさと往く。
「あ……待って!「丸嬰」!
私それより本当は謝りたくて!
熱いお茶かけちゃったでしょ?
火傷とか大丈夫かなって―――」
「あ~~~!うるさいねぇ!!
あんなただの湯位で、このあたしが火傷なんてする訳ないだろッ?!
ほらもうそんな詰まんない事どうでもいいから、さっさと早足で帰るよ!
日が暮れちまう!!」
「……照れてる…?」
「……張っ倒すよ。
ぁ……そうだ、一つ言っておくけどね。
「鎖葉詩」の名前だけは、間違っても茶屋で口に出すんじゃないよ。」
「……どうして?」
「……知りたければ言ってみな?」
ぽかんとしたゆめを見る「丸嬰」の瞳に光が走った。
毒針を思わせるひやりとした怪光線。
この瞳をする時の「丸嬰」は、とても怖い存在である事をゆめはそれとなく気づいていた。
「……わかった…。」
納得いかないながらもゆめはこくりと頷き、「丸嬰」の隣りに並び先を目指した。
――――そうだった……ここを通らないと帰れないんだった。
ゆめは「客死隧道」の前でぴたりと足を止めていた。
そこには先程と変わらない日差しと静けさに満たされていた。
一見すると心穏やかになる光景に見えるそこは、何故かゆめにとってとても息苦しい場所として映っていた。
――――さっきまでの楽しい気持ちが一気に冷めちゃった。
ゆめはそっと「丸嬰」の小さな手を握っていた。
「丸嬰」は金色の瞳でちらりとゆめを一瞥しただけで、無理にその手を振り払おうとはしなかった。
「往くよ…。下向いてしゃべんじゃないよ。」
それだけ言うと「丸嬰」はしっかりとゆめの手を握り締め、竹林の中へと足を踏み入れた。
帰りの「客死隧道」は、急な登り坂になっていた。
足元だけを見つめているゆめにとって、それは永遠のような長さに感じられた。
何と言う事はない苔むしたぼろぼろの石畳を眺めながら、何とも居心地の悪いその竹林の中を、重い足取りでゆめは「丸嬰」と共に進んでいった。
急な坂道とその不穏な気持ちは、自然ゆめの息を上がらせた。
それに合わせて芦の茂みがざわめいているような錯覚に囚われた。
気配はない。けれど動きを感じるそれ。
微かに芦や竹の葉が奏でる音は風に合わせてのものではない。
――――客死した亡霊が動いてるんだ…・・。
ゆめはじっとりと汗を掻いていた。
――――早く終わって早く終わって早く………ッ!!
永遠のように思われた隧道は、終わりを見せた。
夕暮れ染まる連なる丘の群れが視界を満たす。
「大丈夫かい?」
ゆめは「丸嬰」に言われるまで、自分がその場で膝をついている事にも気づかなかった。
「あ……。」
言の葉を口にした途端、目の前の地面に滴がぱたりと落ちて散る。
そんなゆめを「丸嬰」は、少し思案顔で眺め呟いていた。
「どうやら、ここはゆめと相性が良すぎるみたいだねぇ…。」
「っ……・、……。」
―――相性なんか全然良くないッ!
ゆめは「丸嬰」にそうどなりつけたかったが、どうした訳かひどく疲労してしまいその言葉を発する事が出来なかった。
「やれやれ…これじゃ日が暮れちまう…。」
「丸嬰」が浅く溜息をつく。
ゆめの視界が暗くなった。
顔の先にはゆめとさほど変わらぬ、小さな「丸嬰」の背中がある。
「丸嬰」が後ろに手をまわし、ぐいっとばかりにゆめの手を引っ張りあげる。
ゆめの身体は、「丸嬰」の身体の上におぶさった。
「……っしょ。」
「丸嬰」がととんっと勢いをつけて、ゆめのひざ裏にその両の手を通して立ち上がる。
その様はまるで大の大人が小さな子供を背負うかのように、軽やかなものであった。
「丸嬰」はそのままさくさくと歩き始める。
ゆめは「丸嬰」のその背中と腕の何処にも力を入れた様子がないのに、少し驚きを感じていた。
「歩けるようになったら言いな。」
「……うん。」
「丸嬰」の小さな背中は、思いのほか安定し、丘を越えている事を全く感じさせない程、揺れを感じる事がなかった。
――――「丸嬰」って変なの……。
ゆめはぼんやりと「丸嬰」を感じていた。
一見乞食の様に薄汚れて汚いその髪や衣服は、日溜りと質の良い黒土のような香りを漂わせている。
時にひどく意地悪で残酷な一面を見せる事もあると思えば、先程の夫人のやり取りや今の様に優しい一面を見せる事もある。
その小さな背中は、とても温かい。
「……「丸嬰」って、……温かい…・。」
ゆめはそれだけぽそりと呟くと、まるで大地に包まれているかのような安心感に、すぅすぅと寝息を立ててしまっていた。
丘の上を一定の速さで動いていた影法師がその長い尾を引いてぴたりと止まる。
一陣の風が丘の草をさらさらとなでていく。
「…・…そんな言葉は欲しくないね……。」
常にない大人の女性の様な「丸嬰」のその声音は、風と共に彼方へと流れていった。




