第一章 第一節
「冥獄抄散話-儚ノ中」
第一章
第一節
一
「明日からお前はお使いだよ~ゆめ。」
「お使い?どこへ?」
囲炉裏を囲んだ夕餉の席で「丸嬰」がゆめに向かって言った。
そこはゆめ達が何度か奉公に訪れている世界の境に位置する茶屋の中。
いつものように茶屋の手伝いをして日が暮れて、いつものように囲炉裏を囲みささやかな食事を楽しんでいる時に発せられた「丸嬰」の突然の一言だった。
そこにいる全ての者の視線が「丸嬰」に集中する。
ゆめ、そこから右隣に「露歩き」、「さき」、「閼伽注」、「丸嬰」を飛ばして「くるり」、「とばねき」の計六名の視線が「丸嬰」に集中した。
ゆめがまだ死を身近に感じるより数千年程前の事になる。
「とある夫人のお屋敷だよ。貪主の古い知り合いのね。
随分前に旦那を亡くしてずっとそこで暮らしてるもんだから、暇で暇でしょうがないん だよ。んで、今日訪ねてちょろっとあんた達の事話したら話がしたいとか言うからさぁ。
引き受けてきたって訳。」
「引き受けてきたって…そりゃいきなり勝手な事を…。」
ゆめの隣の「とばねき」が少し呆れた顔をして「丸嬰」を見やる。
「あん?別にどって事ないだろ?皆茶屋番位の仕事しかなくてヒマなのは確かなんだしさ。」
「いや…まぁそりゃそうなんだけどさぁ……でもまたあまりにいきなりだろう?」
「そりゃそうさ!あたしはいつだって気まぐれ勝手だからね!」
そう言って「丸嬰」はけたけたと笑った。処置なしとばかりに「とばねき」が軽く溜息をつく。
「でも、何で私なの?」
ゆめの問いに「丸嬰」が笑うのを止めて瞳をゆめに合わせる。
「そりゃそうだろう?」
逆に返された。訳が分からずゆめは首を傾げる。
「何がそうなのよ。」
「夫人は話がしたいと言ったんだ。「くるり」と「さき」にそれが出来ると思うかい?」
「……………。」
仏頂面で確実にガンを垂れている無言の「さき」。
「……………。」
呆けた面で確実に心ここに在らずな無言の「くるり」。
ゆめは………納得した。
「なる程…。」
「って訳だからゆめ!明日は早いよ!あたしが案内してやるから今日はもう寝なっ!」
そう言って「丸嬰」はさっさと話をまとめてゆめを追い立てた。
ゆめを寝かしつけるようにと「とばねき」をも追い立てる。
それに連なる形で「くるり」も「とばねき」達と共に奥の間へと消えた。
一気に囲炉裏の周りを静けさが満たした。誰も何も話さない。
時折湯呑をすする音と火のはぜる音しか聞こえない。
しばらくすると奥の間から聞こえていた物音や囁きも途絶え、小さな寝息が漏れ聞こえるのみとなった。
「何故だ?」
静かに声を発したのは「露歩き」だった。
誰に向けての問いか誰もがわかっていた。けれどその問いに対する答えは返ってこない。
「何故ゆめを今その夫人の元へ使いに出す?「丸嬰」。」
今度は名指しで、端的だった質問を飾り付けて「露歩き」は再度尋ねていた。
「さき」は刺し殺すような視線を「丸嬰」に向ける。
「閼伽注」は穏やかな笑みを浮かべた状態で茶釜をゆっくりと掻き混ぜている。
「丸嬰」の瞳が妖しく光る。ぎらついた眼光が「露歩き」の静かな蒼に溶けた。
「別に時期は関係ないよ。たまたまあたしが一緒だったのが今回だったから今回言っただけの事さ。それにあれはいずれ試されなきゃならない…必ずね。」
二人は視線で線が引けそうな程に強く、互いに相手を見つめていた。
空気が張り詰めていてとても居心地が悪いその中で「閼伽注」と「さき」はその様を自然の態でくつろいでいる。
「貪主と契約した時に聞いてないのかい?そこの「さき」を含めてこいつ等三人は貪主の縛れる御魂じゃない。御殿に随する御魂だって。そんで御殿の御魂には御殿の御魂の役割があるって事をさ。」
「丸嬰」が御殿の御魂の「さき」を目の前にしてずばずばと話を進める。「さき」は別段表情に変化を見せない。
いつもの険しい表情。「さき」は三人の中で唯一その役割を知っていた。
「それがもしかしたら今回のゆめじゃないのかもしれない。でもそれはまだわからない。
「縁」が切れるその瞬間まであんたは指をくわえて見てるしかないんだよ。「露歩き」。」
「…………。」
「これがあんたが望んだ道だ。どうだい?堪んないだろう?」
「承知している。」
「そうかい…。じゃあ別にいいね。」
それだけ言うと「丸嬰」はあふぁと欠けた前歯を露わに大きな欠伸をするとその場でごろりと横になった。短い裾がめくれその小さな尻が半分露わになる。
それを直すでもなく手を尻にやるとぼりぼりと掻いてしまいにはがぁがぁとでかいいびきを立てて完全に寝入ってしまった。
誰もそこを動かない。後に残されたのは眠りを必要としない者ばかり…。
夜は長く続く。
その夜を、「露歩き」はいつまでも「丸嬰」のその小さな背中を見つめて過ごした。
二
茶屋を中心に広がる幾筋もの長い道。
どれも似たような筋道を描いて似たような山の上を幾筋も伸びていきその端に姿を消す。
何処かへ辿りつく為に引かれている道であるのは確かなのに、何処へも辿りつけないかのような気持ちにさせる、そんな道。
一人で目的も無くこの道を踏み出したら、あの山の端に姿を消したら、もう二度とこの茶屋を目指す事は叶わないのではないかと思わせる永遠の道にゆめには思えた。
実際この茶屋の道を「丸嬰」と二人という少人数で、しかも明日からは本当に一人で行く事を考えると少し怖かった。
そんなゆめの気持ちを読んでか「丸嬰」がにっかりとその欠けた前歯を見せて笑顔で振り返る。
「さっ!行こうか!ゆめ。」
「うん…。」
歩み出す「丸嬰」の隣にゆめが並ぶ。
長閑な道を二人は進む。
「二人とも気を付けるんだよ~!」
「くるり」と並ぶ「とばねき」がその背に声を掛ける。
「さき」はいつもの縁台に腰掛けてその様子をただただ見つめていた。
「露歩き」は、そこに姿を見せなかった。
長閑な道は見た目通り本当に何処までも続いていた。
幾つ山を越えてみても、また似たような光景が目の前に広がる。
けれど不思議と疲れない。
「丸嬰」曰く、
「道がむしろ呼んでいるからさ。」
との事。
――――意味わかんない……。
途中道の端に寄って昼飯を取ったりしながら、その変わらない眠くなるような道をただただ進んでいった。
思えばまだ一度も分かれ道を見ていない。
それについても「丸嬰」曰く、
「目指す道に迷いがないからね。」
との事。
「………意味わかんないよ…。」
ゆめは思うにとどまらずついに呟いていた。
進む道は風景もその道程もあまりに変わらず、同じ所を歩いているのじゃないかと疑いたくなる程単調なものだったが、ゆめは全く飽きなかった。
隣を歩く「丸嬰」が今では誰も知らないような御殿にまつわる色々な昔話をするからだ。
例えば、恐れ多くも「極楽貪主」の命を狙って賊の一味が侵入した時、今では「居眠り護兵」の名称で親しまれている(?)「一漣撃」がまともに戦い、全てそれらを召し捕ったという捕物劇の話や、助平で有名な豆蔵爺の若かりし日の当時一番の舞手との禁断の恋物語等々。
それを確実に本人そっくりだろうと思われる声音で所々の名言を再現するものだから、ゆめはもう驚くやら、可笑しいやら、ちょっぴり切ないやらで自分が道を歩いている事さへほとんど忘れて「丸嬰」の話に聞き入っていた。
だから、突然自分の中に訪れたその感情が何と呼ぶものなのかゆめにはすぐにわからなかった。それが自分の感情だという事すらもわからなかった。
突然獣に襲われたような感覚。ゆめは思わず後ろに飛び退いていた。
楽しげに話をしていた「丸嬰」が言葉を止め、そんなゆめを見つめる。
そしてゆめの視線の先を追いゆっくりとそちらを眺めた。
目の前にはいつの間にやら深い青々とした竹林がその葉を囁かせながら密集していた。
道は竹林を境に石が敷かれその間を苔が生している。茂る笹の葉の合間を縫って陽光がその石畳に文様を描いている。とても静かな光景だった。
―――――でも……何だか…怖い…。
ゆめはわずかに後ずさりした。
「ゆめ!」
はっきりと呼ぶ「丸嬰」にゆめははっとして顔を向ける。
「大丈夫だよ。こっちが何もしない限り向こうも何もしない。」
――――「向こう」………?
「さっ…おいで!ゆめ!」
「丸嬰」がゆめに向けて紫色のその小さな手を差しのべた。
ゆめがその手をそっと取ると、「丸嬰」はしっかりその手を握り竹林の中へとゆめを誘った。
三
竹林の道は数歩進むと、いきなり急な下り坂に変化した。
奈落を目指すかのように進む道。その周囲を竹林と芦が際限なく蒼緑の世界を作り上げている。
空気もひんやりとしてあまりに静かで何も感じ取れない。おそらくここに生き物は何もいない。
そんな感じの不自然な静けさだった。
――――さっきまでと世界が全然違う…。
ゆめは肌と心でそれを感じ取っていた。
隣を行く「丸嬰」がそっと呟く。
「ここを通る時は、何も話しちゃいけないよ。足元の石だけを見て歩くんだ。」
――――どうして?
思わずそれを声にしようとしていたが、ゆめは寸出の所で思いとどまった。
それを両手で口を押さえるという態で体で表現する。
「そう、それでいい。」
「丸嬰」はそれだけ言うと、口をつぐんでゆめの手を取りずんずんと道を進んでいった。
ゆめはずっと石畳の苔と一歩前を行く「丸嬰」の背中で揺れる銀の髪を眺めながら進んだ。
その間も何だかわからない心のざわめきは、竹林に生える芦や笹の葉の音色のようにゆめの心の中で絶え間なく響いていた。
その竹林が長かったのか短かったのか、ゆめにはよくわからなかった。
過ぎてしまえば一瞬だったような、永遠だったような…。おぼろげな感覚。
竹林を抜けるとゆめはほっと息を付いていた。
息がつけるとゆめは「丸嬰」に先程思った質問を投げかけていた。
「どうして話しちゃ駄目なの?」
「彼らを起こしてしまうからさ。」
「彼ら?」
ゆめはそっと背後の竹林を振り返る。
「あれ…?」
下り道を進んできたはずなのにそこには平坦な道筋があった。
ちょうど竹林の入口と同じ風景。
何処までも広がる竹と芦。やはり不自然な静けさしかそこには感じられない。
「変な所だったけどここには何もなかったよ「丸嬰」。」
「本当にそう思うかい?妙な静かさがここにはあっただろう?」
「うん……あった。でも静かさだよ?生き物の気配は全然なかった。」
「そういう事。」
「え…?」
「ここにあるのは生き物の気配じゃないって事さ。」
――――生き物じゃない………生きてない……じゃあ……
「じゃあ……何?」
「「死人」さ……それもとてつもない数のね。」
「え………。」
――――とてつもない数って…そんなの何処にも…。
「芦が茂ってるから道からはよく見えないんだけどね。竹林の間にごろごろ転がってるんだよ。
ここは「客死隧道」って言ってね。
誰にも看取られず、思われず、供養もされずに客死した、信心の無い行き倒れの御魂が、逝く場を亡くして眠る墓場道なのさ。」
―――――誰にも看取られず、思われず、供養もされず……。
「きゃくし……―――――っ」
その言葉を呟いた途端、ゆめの心を重いものが襲った。
水に落とした墨のように枝葉を伸ばして禍々と広がる「それ」。
じんわりと確実に体を満たしていく深い「それ」。そして、その先に逝くつくもののその姿は――――。
―――――え……?何で?どうしよう?
どうして私ソレヲ……ソノキモチヲ…・・・・・・―――
「行くよ!ゆめ。」
「あ……」
「丸嬰」の声に気持が晴れる。
「うん。」
ゆめは「丸嬰」に並んでまた道を歩み出した。
ゆめは知らない。
「丸嬰」が声を掛けたのが随分時間を置いてからのものだという事を…。
それまでずっとぼんやりとしたゆめを無言で見つめていたという事を…。
その瞳に獰猛な修羅を宿していたという事を…。
四
「客死隧道」から敷かれていた石畳はその先も続いていた。
いや、むしろ隧道に敷かれていた道より次第に上等なものへと変化していった。
当初は所々苔むし、でこぼこの石くれが何とか気持ちばかりの緩やかな細い道を描いていたのに対し、今では完全に滑らかな黒石が隙間なくはめ込まれ五人位が横並びしても十分通る事の出来る上等な道になっていた。
映る景色もがらりと様変わりしていた。
茶屋の前面に広がっていた長閑な山の原でも、先程までの静かな竹林でもなく深い壁のような林がそこには広がっていた。
それは決して例えではなくまさに壁。初めこそまばらに生えていたそれはいつのまにやら隣同士その亀の甲のように無骨な暗色の木肌を密着させ、根元では互いが互いを喰らうかのよう蛇のごとくのたくっていた。
しかし獰猛なそれは決して緻密にはめ込まれた石畳の上にまでその手を伸ばす事なくその境だけ不自然にも整然と足並みを揃えていた。
木肌を流れる樹液の様なものが淡く碧色に蛍光している。
「なんかここ…変な感じがする。」
ゆめが呟く。するとぺたぺたと音を立てて隣を歩いていた「丸嬰」が指をついと上へ向けてゆめを見て口を開いた。
「上は見たかい?」
「上?」
ゆめは上に顔を向ける。
「あっ……。」
驚きに声を漏らしていた。
そこにはおそらく夜空が広がっていた。けれどそれは常の色の夜空ではなかった。
漆黒の闇を目もくらむ純白が、きらめく星の輝きを宵闇の獣のごとき朱点がその役割をなしている。
純白であるが故に世界に闇は無く、ゆめは「丸嬰」に言われるまで自分が夜道を歩いているという事実に今まで気付かなかったのだ。
「……夜が、白い…。」
「夜よりこっちの闇の方が深いからね。」
「夜より暗い?」
「そうさ。」
道の先、遠くにほんのりと灯りがともるのが見てとれる。
真昼の様な景色の中で、弱弱しい灯りのともりが何故かはっきりと見てとれる。
茶屋が世界のはざまに位置していて、その道は様々な世界につながっているという事はよく聞いていたけれど、これ程違う世界だとはゆめは思いもしなかった。
「ここは冥獄でもかなり底に近い堕ちに堕ちた所だからね。」
隣を往く「丸嬰」がぴたりと止まった。ゆめも止まり前を見る。
その数歩先にはどっしりとした濃紺の瓦屋根を載せた古木の門が構えていた。
ゆめが門を認識すると同時にそこから世界が広がりを見せる。
門の両隣からまるで囚人の檻のような鉄柵がみるみる生え揃う。
鉄柵を外壁として使う、それはゆめのいた世界では檻以外に見ないものだったのでとても奇妙なものとして映った。けれど見知らぬ草花の彫刻の施された綺麗なそれをゆめはむしろ素敵だと感じた。
その果ては果てしない。
その柵の隙間も果てしない。
そこになにも映らない。
そこには空同様の純白が広がっていた。
突然、隣にいた「丸嬰」がその門に向けて走り出した。
ゆめがその動作に気付くか気付かないかの所で、すでに「丸嬰」は門に到達しその走りの勢いそのままに門の上を駆けあがっていた。
中程に垂れていた鎖の紐に両手でぶら下がる。
り―――――――――――――ん………
耳に優しく余韻を残す涼やかな鈴の音が木霊する。
「丸嬰」が鎖から手を離して地面に降り立ちしばらくすると、大の大人を二人重ねた位の大きな木の扉が内側に向けて音もなく開いていった。
そこに控える一人の男。
右手を己の左胸にあて、深々と頭を下げている。
「お待ちしておりました。」
落ち着いた深みのある声。
その面がゆっくりと正面を向く。
「ようこそ、「堕烏苑」へ。」
―――――あ………。
ゆめは、自分の中にほのかな気持ちが宿るのを感じた。




