【中置】「厭山(ようざん)」にて
「すみません、露歩き様。」
「何がだ?」
「外で聞いてました。
「ゆめ」や…僕に気を使って下さったんですよね?」
「堯湖」は申し訳なさそうに隣りを行く露歩きに呟いていた。
その黒髪は今だ水を含んでいる。
時折ぽたりとその黒衣に染みを残した。
「問題無い。
それに「堯湖」が謝る必要もない。」
「でも、僕が……」
「「堯湖」は何もしていない。
「閼伽注」はああいうヒトだから、「堯湖」は何も悪くない。
気にするな。」
「露歩き様…。」
「堯湖」は恋する乙女のように潤んだ瞳で露歩きを見上げた。
露歩きはその瞳に柔らかく微笑むとまた前を見て先を目指した。
「「堯湖」…・・・。」
「はい!何でしょう!?
露歩き様!!」
首をぴんと伸ばして嬉しげに露歩きの方に顔を向ける「堯湖」、まるで忠犬である。
「私をそのように呼ぶ必要はない。
私はお前の主君ではない。
敬意を示すのは貪主様だけでいい。
相や年数こそあるが、護兵の格も力も私より上なのだから。」
「……そ、そんな事ないですよッ。
格はッ……その…ちょっと縁があってたまたまで……。
力だって、その、僕が毎回勝っている訳じゃないですし!
好きなんですッ!あ……憧れなんです!!露歩き様がッ!!」
「……ッ!」
露歩きはまさかの「堯湖」の恥ずかしい文句に、声を上げて笑ってしまった。
露歩きがここまで本気で笑う事は珍しい。
おそらくゆめ達もここまで笑った露歩きを見た事がないはずである。
久々に笑いのたがが外れてしまったらしい露歩きは、せきをする程に笑ってしまった。
「堯湖」を馬鹿にしてのものではないらしい。
あまりに素直で予想外であった為である。
確かに少しおかしい事を言ったと感じた「堯湖」は、そんな珍しい露歩きを隣りにとりあえず露歩きが治まるまで控える事にした。
「お……面白い男だな、「堯湖」は…。
そ……そういう事は、好いた歌姫にでも言いなさい。」
露歩きがまだ幾分せき込みながら「堯湖」にそれだけ言った。
その後に続いた「堯湖」の「でも本気なんですッ!」という言葉がまた露歩きのつぼに入ってしまい中々会話が続かなかった。
「どうして私に憧れる?
御殿には他にも沢山腕の立つ護兵がいるだろう。」
「僕は腕が立つ事だけには憧れません。
僕は露歩き様の御心に惚れたんです。」
おそらくこの「堯湖」という男、根っからの馬鹿、もとい真面目な男なのであろう。
これまた聞きようによってはおかしな文句を発している事にも全く気付いていない。
露歩きは少し興味を持った。
――――――この男、面白いな…。
「戦に身を置く者は少なからず強さに惹かれるものだが、「堯湖」はそこに惹かれないと言うのだな。」
「はい、ただ強いだけでは非道な暴力にしかなりません。
その力とどのように向き合っているかが僕にとっては重要なんです。」
「堯湖」の瞳には真っ直ぐな強い光りがあった。
若者特有のただ希望にあふれたものではない、そこに何かしらの宿命的な負の強さを感じた。
しかし露歩きにはそれの意味する所がわからなかった。
「堯湖」はさらに言葉を続けた。
「露歩き様は、露歩き様はすごいです。
手合わせで分かりました。
とても力のある方です。
けれどそれでいて奢りがない。
上の者にも下の者にも分け隔てない。
自分より力のある人からも一目置かれている。
僕はそんな仁徳のある人間になりたいんです。」
「私はそんな神人みたいな人格者ではないよ。」
「そんな事、そんな事ないです!
気づいていないだけです!皆言ってますよ!
ですから今回御一緒出来てすごく嬉しかったんです。」
「貪主様付きの護兵にそこまで言われるとは光栄だ。」
「本当ですよ!」
「……とりあえず人格者になりたいのだったら、「丸嬰」との関係を改める事から始めた方が良い。」
「う……それは……くっ。」
「堯湖」がひどく苦しそうな顔をした。
まるで親と子、どちらの命を取るかといったような究極の選択を迫られているような表情である。
「僕にはまだ難しいようです。」
しばらく悶絶していた「堯湖」ではあったが、結局そこに落ち着いた。
「そうか…・・。」
その答えに露歩きは静かな瞳で答える。
「だからやはり難しいですね!」
「何がだ?」
「呼び方です!僕にとってやはり露歩き様は憧れなんです!
僕に出来ない事が出来る人、やっぱり僕にとって「様」なんです!」
玩具に喜ぶ童のように頬を高揚させて恥ずかしい発言をやはり続ける「堯湖」。
露歩きはこれ以上の会話は難しいと感じ、一つ溜息をつくと呟いていた。
「好きにしなさい。」
「はいっ!」
「堯湖」の表情は喜色に満ちた。
尻尾がもしあるとしたらきっと大振り三昧だった事であろう。
「何か、寂しい所ですね……。」
「厭山」に着くと「堯湖」は一言漏らしていた。
薄い霧を纏う空気は何処となく冷たい水気があり、心の奥の悲しみを誘う。
「堯湖」の乾き始めていた髪の毛と衣は、小雨に降られたかのように湿り始めていた。
茶屋の前の田園が嘘のように、そこには刃物のように鋭利で鈍く光るごつごつとした岩山が広がっていた。
その間をもう成長する事を放棄したかのような、細く節くれだった栄養のなさそうな黒木が突き出している。
そんな気持ちの塞ぐ荒野を、決して晴れる事を思わせない暗雲立ち込める鉛色の重い空が文字通り蓋をしていた。
「あの茶屋の薪はここで取る。」
露歩きは薪負いを下ろすと「堯湖」が持っていた鎌を受け取った。
鎌といっても草や細木を斬る様な小さなものではない。
巨獣の胴を易々と両断出来そうな大鎌である。
露歩きがそれを振りかぶると、露歩きの目の前にある黒木ががしゃがしゃと細かな音を立て始めた。
幾本もの枝が露歩きの方へ向きを変える。
おそらく威嚇しているのだろう。
振りかぶった状態で露歩きがしばし制止する。
黒木もある程度臨戦態勢が取れると、その形のまま制止した。
「堯湖」はごくりと生唾を飲み込んだ。
まるで手合いのようである。
両者は同時に動いていた。
露歩きが振り上げた大鎌を反動と力で振り下げる。
黒木が水面下の得物を狙う怪鳥のように素早い動きを見せて一斉にその枝を露歩きに向けて飛ばしていた。
振り切った大鎌は普通そのままの軌道で緩やかな孤を描く。
しかし露歩きの軌道は違っていた。
前方から襲い掛る枝を流水を優雅に泳ぐ魚のようにひねりを効かせながら根幹を目指して振り切っていく。
軌道に微妙な筋肉の緩急を加えているらしい。
あの大鎌をそのように扱える事は並大抵の力ではない、妙技である。
「堯湖」はぞくりと鳥肌が立つのを感じた。
奇妙な事に露歩きに斬られた箇所から黒木は血しぶきを上げた。
鈍色に色を添える。けれどそれはあまりに生々しく凄惨な光景だった。
あと少しで根幹、という所で何故か露歩きは鎌の動きを止めた。
ほとんど紙一重の所である。
そこで露歩きは後ろに一足飛びに退いた。
気づけば感動する「堯湖」の隣りに息一つ乱さず戻ってきていた。
「え…?あ、どうかしましたか?!
あと少しで木を倒せたのに。」
「それでは意味が無い。」
「え……。」
それだけ言うと血濡れの大鎌を「堯湖」に預けて、露歩きは手ぶらで黒木に近づいていった。
手ぶらと言ってもその背には露歩きの得物である銃剣を負っている。
しかし「堯湖」は露歩きが全く警戒を解いている事をその空気から察していた。
「露歩き様!危ないです!!」
「動くな、「堯湖」。」
慌てて露歩きの元へ行こうとする「堯湖」を露歩きは言葉で制した。
黒木は今や常態に枝を戻し静止している。
露歩きに刈り取られた枝の断面から絶え間なくぼどぼどと赤い滴をたらし続けていた。
露歩きは黒木の根幹近くで膝を折り地面に手を伸ばした。
血だまりに浸された黒い枝をぽつぽつと拾い始める。
その様子はやはり何処までも無防備そのものであった。
今もし黒木が臨戦態勢に入ったら確実に後頭部を貫かれてしまうだろう。
「堯湖」ははらはらとそれを見守った。
露歩きはそんな「堯湖」の心配をよそにせっせと自分が斬り落とした枝を拾い集める。
それが全て取り終わると小脇に抱えてまた「堯湖」の所へ戻ってきた。
「あれは殺気を持って根幹を狙わない限り、こちらを攻撃しない。
こうやって薪を集める。」
「そ…そうだったんですか。」
「堯湖」はほっと胸をなでおろした。
そこではたとそれに気付く。
「襲いかかるのは根幹だけですか?
でしたら始めから枝を狙って切り落とした方が……。」
「それだと意味が無いらしい。」
そう言って露歩きは「堯湖」に己の刈り取った枝を見せた。
切り口からぽたぽたと血が垂れている。
まるで生き物のそれだ。
「「閼伽注」が言うには、この血濡れの状態でないと駄目なのだそうだ。
黒木は攻撃に移る時にしか、血を巡らせないらしい。
だからこのような方法を取る。」
「へぇ…。」
「やってみなさい。」
「はいっ!」
「堯湖」は己の愛刀を両手に構えると黒木に対峙した。
露歩きは少し離れた岩上に腰かけその様子を眺めている。
「慣れた得物の方が易い。」
そう言うと露歩きは「堯湖」から大鎌を受け取っていた。
「堯湖」が少し不思議の色をその面に滲ませた。
それに気付いた露歩きが「堯湖」に説明を加える。
「私の銃剣の刃で斬る事が出来るのは御魂だけだ。
だからもしあれを斬ると命を刈り取る事になる。
木の命を弱めては新たな枝を伸ばさなくなってしまうからな。」
「堯湖」は露歩きの背に負われた銃剣に目を転じた。
銃身の背に刃を付けた細身の銃剣である。
一見すると、とてももろそうな印象を与える得物。
けれどそれは「堯湖」の愛刀のように命を宿す特別なものである事を、「堯湖」は薄々感じていた。
そもそも人から奪う事はあっても与える事をほとんどしない「極楽貪主」がわざわざ下賜した得物であるというから、使用の面倒な得物でも持つに値する特別なものなのであろう。
「堯湖」は己の得物を手に携えて黒木へ向かった。
「堯湖」の目の前の黒木はがしゃがしゃと音を立て始める。
まるでからくりのようにがくがくと動きその鋭利な枝先は「堯湖」に狙いを定めていた。
「堯湖」は根幹を斬る勢いで黒木の間合いに飛び込んだ。
一斉に「堯湖」目指して枝が動く。
「堯湖」には目や耳にはっきりそれとわからなくても、その枝の中を流れる血潮や音を感じ取る事が出来ていた。
そこから枝の軌道と己までの距離を読み、自分から一番近い順に次々と枝を落としていく。
その様は先程の露歩き同様、流線を描くかのような動きであった。
「そこまでだ、「堯湖」。」
露歩きの静かな戒めに「堯湖」は黒木からすっと離れた。
黒木は半分近くの枝を失くしてそれぞれの傷口からどろどろと血を流している。
確かにこれ以上傷つけては、血が無くなってしまうかのように思われた。
「やはり「堯湖」は腕が良い。とても飲み込みが早い。」
「えっ……あ、本当ですか?!
あ!ありがとうございます!」
「堯湖」はほくほくとした顔でぺこりを頭を下げる。
露歩きは内心かなり驚いていた。
「堯湖」の衣に返り血が全く見られない。
これはある一定以上の護兵ならば可能な芸当である。
実際露歩きも容易に出来る。
露歩きが驚いたのは別の所であった。
「堯湖」がおもむろに鞘に収めようとする刀、その刀にも一切血の穢れがなかったのである。
――――――――刃が届く前に風圧ですでに斬り捨てている…。
露歩きも意識すればそれは可能であった。
しかし「堯湖」のそれはおそらく無意識のものである。
見る限り露歩きの前だから自慢しようとかそういった類のものではないようだ。
つまり……
――――――――常態でこの技量……。
恐ろしい才能だ…。
露歩きは斬り捨てた枝木を拾い集める「堯湖」を見つめた。
―――――――むしろ「決戦」の時より筋が良い。
おそらく斬る対象に情けをかけていないからだろう。
あの時は自らそれを戒めていた感がある。
やはり、「堯湖」は……。
―――――――強くある事を恐れている。
―――――――それでいて才能は余りある。
しかしそれを支える精神は酷く幼く弱い。
―――――――危ういな…・。
「今日はもうその位でいいだろう。
まだ備えはあるようだし、あまり多く持ちかえっても血が乾いてしまったら使えない。」
「はい!」
「堯湖」は薪負いに自ら刈った薪と露歩きのものを載せながら素直にそれに応えた。
「堯湖」はせっせとかがみ込むと、持ちかえる準備を整えた。
その両手は、黒木の鮮血で穢れていく。
当然の事だが、「堯湖」の瞳に後悔や苦渋の念はない。
その様が露歩きの想像を掻き立てていた。
―――――――情けを捨てたらこの男、「堯湖」はどこまで強くなるのだろうか。
「出来ました!露歩き様!」
「堯湖」の声でふと意識が現実に引き戻される。
見ればにっこりと笑った「堯湖」が薪負いを背負ってこちらに見せていた。
声音、仕草が何とも素直で邪気がない。
――――――――――
「詮ない事を考えた。」
「え?」
「何でもない、帰ろう。
日暮れ前には帰れるはずだ。」
「はい!」
「堯湖」と露歩きは「厭山」を後にした。
それから何度か二人はこの地を訪れる事になる。
その度に色々な話をし、打ち解け、露歩きは「堯湖」から恋愛相談等もされてしまう事になるのだがそれはまた、まぁ別の御話である。




