第三章 第二節 一
第二節
一
「無き原」の中で「くるり」が意識を失った。
それはいつもの事で、それが来るとゆめはあぁもうすぐ茶屋だ位にしか考えていなかった。
けれどその時の「くるり」は少しいつもと違っていた。
音が聞こえると言い出して、しばらくするとふらりと倒れる。
これはいつもの事だった。
その「くるり」を「露歩き」が背負う。
ここで何やら「丸嬰」と新しく付いてきた護兵の「堯湖」が言い争い。
――――――いつもより安全で快適な旅が出来ると思ったのに…。
あの「堯湖」って人、本当何の為に来たかわかんないじゃない…。
口調の割に、やけに子供っぽさの抜けない「堯湖」に、ゆめは少しうんざりとした眼を向けた。
――――――顔はまぁまぁだけど、何か子供っぽいのよね。
私の好みじゃないな。
どうでもいいけど…。
そんな事を考えながら、ゆめはそっと隣りを往く「くるり」を背負った「露歩き」を見上げた。
―――――――「そんな細い腕の娘の重さなんてたかが知れてる…。」かぁ……。
やっぱり「露歩き」って良いなぁ…。
「どうかしたか?」
そんなゆめに「露歩き」が言葉をかける。
「ううん。」
ゆめはゆっくりと首を振る。
「何でもないよ。」
―――――――ただ、「露歩き」が好きなだけ……。
その時だった。
「露歩き」の背の上で「くるり」がわずかに身をよじる。
すでに眠りに落ちていたかと思われた「くるり」の動きをゆめは不思議に思った。
肩口が小刻みに震えていた。
「「くるり」?本当に大丈夫か?」
「露歩き」が背中に向けて尋ねる。
「……ん、大丈夫。大丈夫だからそのまま早く行って…。」
「くるり」は「露歩き」の背中に顔を押し付けたまま絞り出すように答えていた。
――――――どうしたんだろう…・・「くるり」。
心の色が随分暗い感じがする。
――――――何かに怯えてる?
ゆめは辺りを見渡した。
やはり何もない。
黒と白の無音の世界。
「露歩き」と瞳を通わせる。
「露歩き」の瞳はとりあえず先へ進もうと言っていた。
「くるり」以外の他の者にも何の変化も見られない。
ゆめ達はそのまま進む事にした。
しばらくするといつものように「くるり」は寝息を立て始めていた。
そう、いつもの旅路の様に…・…。
だからゆめはその時の違和感をすぐに忘れてしまっていた。
ゆめはそれが自分に訪れた変化のように、「くるり」にも訪れた変化のしるしであるとは、この時思いもしなかった。
茶屋を訪れるとそこにはゆめの苦手な一行がいた。
何千年と時を経ても一度しか会った事のない、けれど決して忘れる事のなかった一行。
さすがにその名は忘れてしまっていたけれど。
しかしその姿形、空気に醸す雰囲気は忘れようも無かった。
小柄な、子供とも成人ともつかない背丈の四つの影法師
頭の上に四角い平皿のようなものを載せている。
その下の身体の部分、頭からつま先にかけては一切が暗色に呪字の刺繍の施された外套で隠されていて全く様子がうかがえない。
軌跡に獄彩の蛆虫が湧く者、どす黒い血だまりを作る者、悲鳴を上げる白炎を立ち上らせる者、猛禽を思わせる無数の金色の眼球を生み出す者などがいた。
それはある一定の時を置けば煙のように消えてしまう軌跡ではあったが、それでも気持ちの悪いものである事には変わりがない。
彼らがいると、あまり広くない茶屋の地面が蛆と血と悲鳴と炎と眼球で彩られてしまうのである。
言葉が通じない事も不気味さを深めていた。
一応言語を操るようだが、ゆめ達の耳にはそれが言葉として伝わらなかった。
何となく耳の奥の筋がひっぱられるような、ちょっとした違和感程度の感覚。
それが言葉だとわかったのは、そんな影法師達とぱくぱくと口を動かしておそらく話をしている「閼伽注」を見てからだった。
本来そのような用途であっているのか不明であるが、彼らは器用に膝を折り頭の上の盆に湯呑を載せてもらうとせっせと奉公に励んでいた。
「ひぃッ!!」
当然のごとく、そんな惨状の茶屋を見た「堯湖」は奇声を上げて狼狽した。
その横を「くるり」を背負った「露歩き」が、何食わぬ顔で通り過ぎ、地獄絵図と化した地面を踏みしめていく。
軌跡は時を経るまで実体と化している。
「露歩き」の足の裏は、蛆を潰し、血に濡れ、炎を舐め、眼球を砕いていった。
「うッ…・…ぐえぇ…。」
「堯湖」が口元を押さえて呻く。
そんな「堯湖」の後ろから、いたずらな瞳を輝かせた「丸嬰」が不意打ちとばかりに「堯湖」を地獄絵図へと突き飛ばした。
「ひぎゃぁぁあァ~~~~ッ!!」
無様にも受け身も取れず顔面から地面に潰れる「堯湖」。
身体の前面を余す事なく穢れで汚して、嫌悪と恐怖でのたうちまわった。
――――――本当にこの人護兵?
ゆめはそんな「堯湖」を冷めた目で見下した。
ふっと隣りで冷たい息を吐く「さき」も同様のようである。
――――――どうしてこんな人が、「露歩き」より強かったりしたんだろ?
訳わかんない。
「丸嬰」は、地面に這いつくばる「堯湖」を橋げた代わりに踏みしめ板の間に上がっていく。
ゆめと「さき」もそれにならい、「堯湖」を踏みつぶして板の間に上がった。
ゆめ達は旅装を解くと、囲炉裏の周りに腰を下ろした。
「丸嬰」と「閼伽注」が久々の邂逅を喜び合っている。
まだ陽が傾き始めた位の時刻なので、茶屋を訪れる旅人は多くいる。
「閼伽注」は「丸嬰」に視線を向けたまま、器用に湯呑に湯をいれると、影法師の頭の上にコトコトと湯呑を載せていった。
ちなみに「堯湖」はここにいない。
茶屋の裏手からは水を使う音が聞こえてくる。
いずれ消える幻とはいえ、口の中まで汚辱にまみれた「堯湖」はそれまでそれを放置している事が出来なかった。
口をすすぐには、あまりに長い。
防具や衣擦れの音、そして激しい水音から察するに、旅の垢までそのまま全部落としているようである。
――――――私だってさっさと身体洗いたかったのに。
女の子より先に身体洗うなんて、最っ低。
この時にはすっかりゆめの中で「堯湖」の評価が限りなく低いものへと化していた。
「ふぅ~~。すみません。
お先いただきました。」
しばらくすると、すっきり爽快な顔をした「堯湖」が茶屋の中へと戻ってきた。
何気にちゃっかり新しいものを身に纏っている。
小脇に防具と綺麗に洗った衣まで抱えている。
左耳の脇に結んだ「守り結び」から、綺麗な水がぽたぽたと垂れている。
ゆめはそんな「堯湖」を思いっきり睨みつけた。
とにかく現在の「堯湖」の存在全てが憎くてならなかった。
「ぁ…・・・・。
すみません。」
「ふんッ!」
ゆめは思いきり「堯湖」から顔を背けた。
「堯湖」は、まるで家庭に居場所のない残念な夫のように、こそこそとした動作で床の間に上がった。
「あぁたかこさんでしたっけ?
いどの奥のまがった所つまり建物のよこにね。もの干しありますから。
それほしてきてください。」
「あ、どうも有難うございます。」
初対面なるもぎこちなかった自分の窮地を救ってくれるかのごとき、「閼伽注」の物言いに「堯湖」は素直に感謝を示した。
「閼伽注」はそんな「堯湖」にいつものゆったりとした笑顔で答える。
「いえいえ。お礼はいいですから早くして。
水がぽたぽたたれるでしょ?すごくきたないですから。
ついでにあなたもあたま乾くまで外のかべに立っててください。」
「……え。」
歯に衣着せぬ「閼伽注」の発言に「堯湖」は絶句した。
「閼伽注」はなおもやんわり言葉をつなげる。
「あぁだ目駄めあたし駄目みたい。
たかこさんあたしあなたの事大嫌いです。
初めてあったのにごめんなさい。
でも初めてできらわれるあなたもあなた。」
「さっさとあたしの見えないところにきえてください。」
結局新参者の「堯湖」は「閼伽注」に何も言い返す事が出来ず、その言に従った。
どうやら本当に横の壁に突っ立っているらしい。
「容赦ないねぇ、あんたも。」
「丸嬰」が、どちらかというと溜飲が下がったような顔をして「閼伽注」に向けて呟く。
「だってむりなものは無理です。
あれはないです嫌いです。」
本当に何がそこまで無理なのか、若干同情を催しそうになる「閼伽注」の物言いではあったが、まぁゆめにも分からない事はなかったので、特に何も言わなかった。
「まぁ確かにあんたの苦手な類だよねぇ、あれは。」
「丸嬰」はその「閼伽注」の極端な毛嫌いがわかるのか、うんうんと頷いて「閼伽注」に干物を求めていた。
「ゆめ、身体洗ってきたら?」
そう呟いたのは「さき」だった。
「うん!あ……そうしたいけど、でも……。」
ゆめは外の様子を窺った。
おそらく井戸の角を曲がった所に「堯湖」が木偶の坊よろしく立っているに違いない。
そんな無防備な所で行水する気には、年頃の乙女として到底なれなかった。
ゆめがこの時「堯湖」に抱いた感情は限りなく殺意に近いものであった。
「「閼伽注」、薪は足りてるか?」
突如「露歩き」が「閼伽注」に向けて発言した。
「んーそうですね。
すこし欲しいです。」
干物を選りわけていた「閼伽注」の言葉を聞くと、「露歩き」はすっと立ち上がった。
土間に立てかけてある巨大な冥鳥「鴕吽」の鍵爪で造られた鎌と簡素な薪負いに手を掛ける。
「いきます?」
「閼伽注」が能面の笑顔をそちらへ向ける。
「露歩き」は物言わず一つ顔を動かした。
そしてゆめの方へ顔を向ける。
「ゆめ。
私はこれから「堯湖」と共に「厭山」に薪を取りに行ってくる。
その間に水を使いなさい。」
「え!これから!?
でも着いたばかりで「露歩き」も疲れてるし!」
「問題無い。」
「ありがとう、「露歩き」。」
「……気にするな。」
それだけ言うと「露歩き」は面に出ていった。
外で「堯湖」と何やら話している声がする。
しばらくするとざりざりと音を立てて茶屋から離れていく気配が伝わった。
「あれはいいです。すきです。素てきです。
「露歩き」さんはいい。」
「閼伽注」がうんうんと頷いている。
そこにはゆめも激しく同意だった。
――――――――やっぱり「露歩き」大好き。




