ブルーノア歌劇団(4)
1099年7月25日、薄曇りの夏空の下、ブルーノア歌劇団の初公演が行われようとしていた。
「準備はどうですかスミス教授、いえスミス団長?」
「はいイツキ様、なんとかギリギリ間に合わせた感じですが、昨夜のリハーサルを見る限り、観客が庶民であれば問題ないでしょう」
芸術学校の演劇科教授だったレオナルド・スミス37歳(独身)は、銀色の瞳を輝かせながらも、疲れが隠せない顔で返事を返した。
スミス教授は、新校長であるバッカス王子が授業料や受験料を突然値上げしたことに憤り、到底認められないと意見書を叩きつけた。
その結果彼は、身の程知らずとバッカス王子に叱咤され、即座に解雇されてしまった。学生からも慕われていた彼は、泣く泣く学校から去っていった。
解雇後は、特待生受験しにきていた受験生たちを心配し、教会に身を寄せていると知り様子を見に来た。
そこで目にしたのは、現役の学生が受験生を指導している姿で、驚いたスミスは学生たちから事情を聞き、直ぐにバイトを出したイツキとの面会を求めた。
「それではブルーノア教会は、新しい劇団、しかも歌劇団をつくる予定があるということですか?」
「そうですスミス教授。これまでの常識を打ち破った新しい形の劇団を立ち上げます。後援はブルーノア教会と私が率いている【丘の上のキニ商会】です。ただし、表向き私は、傘下にあるランカー商会の人間ということになっています」
イツキはスミスに向けて軽く【銀色のオーラ】を放つが、全く動じることのないスミスを信用し、自分が【丘の上のキニ商会】の商会長であると明かした。
「失礼を承知でお尋ねするのですが、何故教会が劇団を作るのでしょうか?」
「それは、戦争や疫病や王族の弱体化に伴う混乱で、疲れた民を慰め、癒し、活力を与えるためです。そして、ブルーノア教会に伝わっている、シーリス様をはじめとする高位の神父様が行われた実話の中で、後世に伝えるべきだと思われる物語を、信徒の皆さんに知っていただくためです」
イツキは簡単に説明して、にっこりと微笑みスミスを見る。
イツキの説明を聞いたスミスは、イツキの隣に座っているサイリス様の方に体を向け、伏し目がちに今の話は本当なのだろうかと視線で問う。
そもそも、何故この場にサイリス様が同席されているのかが分からない。イントラ連合国の男爵家次男であるスミスは、恐れ多くてきちんと頭を上げられない。
「ブルーノア歌劇団は、これからイントラ連合国を経由して、ハキ神国の本教会に向かう。そして正式にリーバ様に承認されれば、活動の場を大陸中へと広げていくことになる。そこで、どうだスミス元教授、ブルーノア歌劇団を団長として率いてみないか?」
「は、はい? ブルーノア歌劇団を率いる……ですか?」
完全に己の理解の範囲を超えてしまったスミスは、再起動するまでに暫く時間を要したが、起動後は目を見開き姿勢を正し、何か言おうとしてまた固まった。
バイト開始から5日が過ぎ、イツキの目に留まった者を中心に、イツキの台本でスミス団長が監督を務め、本格的な歌劇団の練習が始まった。
バイト兼入団試験を受けていた特待生候補の20人は、全員がブルーノア歌劇団に入団を希望し、金銭的に在学が難しい学生で、歌劇団に入団を熱望した現役の学生5人を含めた25人が、正団員と見習い団員として雇われることが決定した。
団長は元教授のスミス。芸術学校の学生だった5人を各専門分野のリーダーとし、主演女優兼衣装担当者をエレニア、主演男優をシュバルと決め、この8人を正団員とし、残りを見習い団員とした。
本日の公演予定は、前日から教会の掲示板に貼り出されており、誰でも無料で観劇することができると書かれていた。
大聖堂前の広場には、突貫工事で造られたステージ、背景画や小道具を置く場所として、また、役者の控室の代りとしても作られた大きな衝立、ステージ横には楽器を演奏する演者が座る椅子が置かれている。それらは旅をする歌劇団に、最低限必要な造作物である。
教会前に準備されている受付や、観客を誘導したりするのは、入団しなかったバイトの学生たちである。歌劇団の立ち上げを手伝った彼等は、公演の成功を誰よりも願い、生活費を稼ぐために再びバイトに来ていた。
そして入場を待つ人々の中に多く見られるのは、芸術学校の学生たちだった。
学生たちの多くは、歌劇団という新しい劇団に興味を持って観劇しに来ていたが、生粋の貴族であり王宮で働くことを希望している者たちは、ブルーノア歌劇団を庶民向けの劇団と考え、冷ややかに見下しながら隅の方で観劇する。
「皆様お待たせしました。これよりブルーノア教会が新しく立ち上げた、ブルーノア歌劇団の初公演を行います。立ち上げて日も浅く、練習が足りない団員達ですが、一生懸命に頑張りますので応援をよろしくお願いします。また、幕間の時間を10分とってありますので、教会のバザーを是非ご利用ください。暑いので必ず水分をとってくださいますよう併せてお願いします」
ステージに上がり挨拶をするのは、ファリスのオーベルトである。
演劇や歌や演奏が大好きな王都チートの住民たちは、大きな拍手をして、キラキラした瞳で開演を待つ。歌劇団って何をする劇なんだろうと、期待に胸を膨らませてステージを注目する。
上演する台本の内容は、250年前に実在したシーリス様が、飢饉で苦しむ民のために領主を説得し、乾燥に強い作物の栽培方法を教えて広め、多くの領民を救ったという話である。
現在ランドル大陸の農業倉庫と称えられるダルーン王国の基礎を築いた物語は、既に忘れ去られようとしていたので、イツキは感謝を込めて台本を書いた。
前半は飢饉で苦しむ農民が、領主に助けて欲しいと嘆願する場面から始まり、枯れることのない教会の井戸に集まった人々に、惜しみなく水を配る神父を中心に進んでいく。ダルーン王国で飢饉が起こったと知ったリーバ様は、ひとりのシーリスをダルーン王国に送った。
後半は、遣わされたシーリス様が孤軍奮闘し、次第に農民たちと心を通わせ、領主様と共に新しい作物に挑戦していく。その過程で頑張る農民たちが、希望を胸に歌い踊るというシーンが登場する。
なかなか育たない作物に悲観する場面は、悲し気な音楽とゆっくりとした踊りで表現し、花が咲いた場面では、明るく軽快な音楽に乗せて歌いながら楽しく踊る。
そして最後は、苦労のかいあって実った作物を見て、皆がシーリス様と神様に感謝しながら歌い踊り、エレニアが神に讃美歌を奉納して終わる。
エレニアの声は、教会の中に入りきれなかった住民にも届き、その声は人々の心を打った。そしてイツキの狙い通り、観劇していた全ての人が神に感謝した。
観劇していた人々は、途中から立ち上がって踊り始めたり、知っている歌の時は一緒に歌った。
舞台と一体となる経験を初めてした人々の興奮は暫く収まりそうもなく、素晴らしい舞台だったという噂は、あっという間に王都チートに広まった。
午後からの公演は入場制限が必要になり、大混乱しそうになった。
不満を言いながら騒ぐ者たちの前にファリス様が現れ、入れなかった者には夕べの祈りの時に、主演女優が讃美歌を歌うので、優先して大聖堂に入ることができる入場券を、特別に配布すると告げた。
明らかに事前に準備がしてあったであろうと思われる入場券を配布するのも、バイトに来ていた学生たちである。
夕べの祈りに来た者は、その殆どが数年振りに教会に来た者たちで、特に入場券を手に来た者の多くは、決して敬虔な信者ではなかった。しかし、リースであるエレニアの讃美歌を聴き、神の存在を感じて涙を流した。
大聖堂の祭壇という場所は、エレニアの【印】の能力を高めたようで、疲れた心を癒し、曇った心を浄化した。
イツキがリースと認めた者の能力が、普通の【印】持ちの能力と同じであるはずがない。これから本教会で多くを学ぶことによって、彼女の持つ能力はもっと伸びることだろう。長い祈りの言葉ではなく讃美歌を聴くだけで、人々は信仰心を思い出すのだ。
翌日、教会で行われた歌劇の話は、王宮をはじめ王都中に広まっていた。
もちろん、庶民の演劇など三流だとバカにしていた貴族たちの耳にも届いた。
最も面倒事が予想される、芸術学校の新校長や事務長、教授たちの耳にも届いていた。なにせ学生の多くは、その話題の歌劇を直接観ていたのだから、学校内のあちらこちらで興奮しながら語る内容が、嫌でも耳に入ってしまうのだ。
そして知らされた内容に憤慨し、ブルーノア教会に抗議文を送ってきた。
**** ブルーノア教会 サイリス様 ****
ブルーノア教会は、芸術学校の学生を校長や事務長の断りもなく引き抜き、勝手に劇団員として雇い入れた。
その行いは、到底認めることができないことである。
第五王子であり校長であるバッカス様に対して、速やかに謝罪し、学生たちを戻すことを要求する。
謝罪と改善なき場合は、国王陛下に申し上げることになるだろう。
チート国立芸術学校 事務長 ブルフ
「思った通りで笑えますね。しかも、抗議文の差出人が校長ではなく、ただの事務長ですから、国王と同等位とされるサイリス様に対し、無礼な行いだとは思っていないようです」
届いた抗議文を読みながら、フィリップは呆れたように手紙を睨みつけた。
「今頃は、国王に正式に承認されているはずだから、暫く放っておきましょう。ところでハモンド、チケットの発売準備は万全かな?」
イツキは大きなテーブルの上で、ブルーノア歌劇団公演のポスターを描きながら、チケット担当のハモンドに質問する。
「もちろんですイツキ様。国立劇場のボックス席は一人金貨2枚、2階の指定席は金貨1枚、そして1階の指定席は金貨1枚半です。その他の席も銀貨2枚以上で、通常の倍に近い金額設定です。しかし、本当にこの値段で売れるのでしょうか?」
「フフッ、サイリス様の招待に、国王か側室の誰かが観劇すると答えれば、間違いなく他の貴族たちも購入するだろう。王都に住む貴族というものは、他者より流行に遅れることを嫌うからな」
Ж Ж Ж ブルーノア歌劇団 さようなら公演 Ж Ж Ж
◆ 期日 7月28日 午後2時
◆ 会場 チート国立劇場
◆ 演目 大いなるダルーン王国の礎
◆ チケット料金(1人につき) ボックス席 金貨2枚 ~ 一般席 銀貨2枚
◆ チケット発売場所 ブルーノア正教会 中庭特設売り場
◆ 発売日及び発売時間 7月27日 午前10時より
新生ブルーノア歌劇団は、各地を回りながら公演するため、王都チートでの公演は今回限りとなります。
歌あり、踊りあり、笑いあり、涙ありの歌劇を、どうぞお楽しみください。
Ж Ж 〖後援〗 ブルーノア教会 ランカー商会 Ж Ж
「イツキ様、明日が発売日で明後日が公演とは……本当に大丈夫なのでしょうか? それに、いきなりさよなら公演という表記は如何なものでしょうか?」
ファリスのオーベルトは、不安そうな表情でイツキに問う。
「今、最も話題の中心で旬な時が、一番お金になるんです。取れる時に取れる貴族や豪商から取る。それが商会長である私のモットーです。さよなら公演と銘打てば、絶対に見逃したくないという心理を誘います。話題に乗り遅れる貴族や商会など、貧乏だと思われて社交の場に出られなくなります」
当然ではありませんか、という顔をして、イツキはにっこりと黒く微笑んだ。
イツキの隣でチケットが完売した場合の利益を計算していたフィリップは、「完売した場合のチート正教会の取り分は、金貨100枚(一千万円)くらいになりますね」と言って、超貧乏教会で苦労しているファリスであるオーベルトに向かって微笑んだ。
まあチケット代の3分の1は、突然借りる会場費なので、これだけの金額設定にしても純利益は多くない。
「お、おぉ……そ、そんなに……分かりました。明日は気合を入れ、教会の全員が一丸となってチケットを売ります。なんとしても完売させねば」
昨日行った2回の公演で、バザーの売り上げが信じられない金額になっていたが、さよなら公演で得られる金額は桁が違っていた。ファリスのオーベルトは拳を強く握り俄然やる気を出して、チケットの枚数を確認し始めた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
初めてウエストサイドストーリーという映画を見た時、とても感動しました。
今はたくさんのミュージカル映画があり、落ち込みがちな今こそ、ゆっくり、じっくり、ノリノリで鑑賞したいものです。




