ブルーノア歌劇団(3)
◇◇ エレニア・エファ・サイス ◇◇
夕食前に、ファリス様の部屋に来るように言われていた私は、姿勢を正し執務室のドアをノックします。
「はいりなさい」と声がしたので、緊張しながら執務室に入ります。
豪華な内装に驚きながら、私は貴族として正式な礼をとり頭を下げます。準男爵家の娘である私にとってファリス様は、お会いできる最高位の神父様です。
「これからサイリス様にお会いしてもらう。失礼のないように」
「えっ、サイリス様ですか、私は準男爵家のものですが・・・」
「問題ない。ついてきなさい」
執務室に入るや否や、座る間もなく信じられない指示をファリス様が出されました。
いったい何が起こったの?、いえ、自分は何をしてしまったのかしらと不安になり、王都に来てからの日々を思い起こします。
特別な心当たりはないのだけれど……と思いながらも不安が加速していきます。
ファリス様は、サイリス様の執務室のドアをノックして私を連れてきたことを告げられます。すると、中から現れたのは、今日バイトを与えてくれたランカー商会のイツキさんでした。
「どうぞ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。別に叱るために呼んだんじゃないから。さあ入って」
昼間も思ったけど、イツキさんはなんだか不思議な人です。自分より年下か同じ歳くらいに見えるのに、ブルーノア歌劇団を作る手伝いをしていたり、商会の人間の割りには、貴族家の子息を指導することに慣れ過ぎているように思います。
それに、サイリス様の部屋に立ち入れることを考えると、男爵以上の貴族家の子息であるはずなのです。
「サイリス様。エレニア・エファ・サイスと申します。お目見えできましたこと、心より神に感謝申し上げます」
私は最上級の礼をとり深く頭を下げ、サイリス様のをお言葉を待ちます。
「おかけなさいエレニア。突然の呼び出しに驚いたでしょう。サイリスのハリエルです。今日はとても大事な話をしなければなりません。これから一つ貴女に確認をして、夕食後に礼拝堂で祈りを捧げるので、一人で来なさい」
サイリス様のお声は、私を優しく包み込むように響き、有難くて思わずひれ伏したくなります。
「はいサイリス様。仰せに従います」
返事を返して顔を上げると、お声と同じように慈愛に満ちたお姿のサイリス様が、椅子に座って私を見ておられました。
国王と同等位とされるサイリス様に、拝謁できるなんて夢のようです。
見回したサイリス様の執務室は、ファリス様の執務室よりも簡素で、ああ、これが本来あるべき教会の姿なのだと感動しました。
「早速だが、きみは【印】持ちだろうか?」
「いいえサイリス様。私は【印】を授かってはいません」
なんと、サイリス様が確認されたかったのは、【印】持ちかどうかでした。私は首を横に振り正直に【印】持ちではないと答えます。
「エレニアさん、申し訳ありませんが、隣りの来賓室で新たに授かった【印】があるかどうか確認してください。あれば、どのような形の【印】か、授かった場所はどこなのかを教えてください」
はい? イツキさんが、私にとんでもないことを言い出しました。今私は【印】持ちではないと答えたのに、新たに授かった【印】などあるはずがありません。
「【印】には2種類あり、産まれた時から体に現れるものと、成長してから現れるものがあるのです。隣りの部屋で女性のモーリスが待っているので、確認してきなさい」
「はいサイリス様」と答えて、隣りの部屋へと移動します。
昨夜久し振りにお風呂をいただき、自分の体を見ましたが【印】などありませんでした。一緒に入った数人の女性からも何も言われませんでした。あるがずがないのです。
隣りの部屋には、40代と思われるグレーの髪のモーリス様が待っておられて、姿見の鏡の前に連れていかれました。
サイリス様のご指示に従うしかない私は、何も言わずにゆっくりと服を脱いでいきます。
「緊張せず、肩の力を抜いてくださいね」と、モーリス様が優しく声を掛けてくださいます。
そして下着姿になった私をぐるりと回すようにして、女性のモーリス様が体に【印】があるかどうかを確認していきます。
「髪を上げてみてください」と指示された私は、長い後ろ髪を両手で纏めるようにして前側に移動させます。
「まあ!珍しい場所に・・・おめでとうございます。なんて美しい【印】なのでしょう。赤と青の2つの連なる【印】なんて、聞いたことがありません」
モーリス様は私の背中辺りを見ながら、うっとりするような声を出して、本当に【印】があるようなことを言われます。
「ご自分では確認しずらい場所ですから、こちらの手鏡をどうぞ」
私は背中側を姿見に映し、指差されている場所を手鏡に映して確認します。
「えっ! どうして? 何故私の体に【印】が?」
手鏡に映っていたのは右肩の後ろの部分で、5センチくらいの長さの赤色と青色の音符が並んで描かれていました。
そうです。まるで描かれていたのです。
私が初級学校で学んだ【印】は、美しい形の丸や四角や三角は高い能力を持ち、滲んだ感じで何の形か分からないものは能力が低いとか、稀に葉の形や三日月やひし形なども見られるというものでした。しかしこれは、いったい何なのでしょうか? どう見ても音符です。
ぼんやりと立ち尽くしていた私に、モーリス様が笑顔で、服を着てサイリス様の執務室に戻るように言われました。
何が起こったのか理解できない私は、モーリス様に連れられて、再びサイリス様の執務室に戻りました。
「おめでとうございますサイリス様。赤色と青色の美しい色の、はっきり音符の形だと分かる【印】が、右肩の後ろにありました」
モーリス様はサイリス様の前で跪き、少し興奮気味に報告されています。
報告を聞かれたサイリス様は、大きく頷かれるとイツキさんと笑顔で握手をされています。どうしてこのお二方は、私の体に【印】があると分かったのでしょうか? 私には全く理解できません。
「おめでとうエレニア。今日からきみは、ブルーノア教会の保護対象となった。これからのことは礼拝堂で話すので、先に食事をしてきなさい。それから【印】を授かったことは、誰にも言ってはならない。それは、君の命を守るためだ」
サイリス様は嬉しそうなお顔で、おめでとうと祝福してくださいました。そして、他言してはならないと注意……いえ、命令されました。
私は状況が受け入れられないまま、真っ白になった頭で食堂に向かいます。
食堂では仲間たちが楽しそうに今日のことを話しながら、美味しそうに食事をしています。
「お帰りエレニア。ファリス様のお話は終わったの?」
「えっ?……えぇっと、まだかな?」
「どうしたの? なんだか元気がないみたいだけど・・・」
「ううん、何でもないのリリアス。私も早く食べなきゃ」
いつの間にか食べ終えた夕食のメニューも、仲間との会話の内容も覚えていない私は、右肩の後ろを触りながら礼拝堂に向かいます。
すっかり日の暮れた礼拝堂の中は、鉱石ランプにぼんやりと照らされて、なんだか幻想的です。大聖堂と違って派手な装飾がありません。
「これから神に感謝の祈りを捧げるので、エレニアも【印】を授けてくださった神様に、感謝を込めて祈りなさい」
「はいファリス様。心から感謝を込めて祈ります」
私はファリス様のご指示通りに礼拝堂の一番前の席に座ると、両手を胸の前で組んで祈りが始まるのを待ちます。ファリス様は祭壇の横に下がられ跪かれました。
まさか生きている間に、サイリス様の祈りを聞くことができるなんて思っていなかったので、じわじわと喜びがこみ上げてきます。
私の家は代々とても敬虔なブルーノア教の信者で、曾祖母の弟はモーリスになり、祖父の兄は本教会の庭師だったそうです。
両親も熱心に教会の活動に参加し、私は歌うことが好きで、町の教会の聖歌隊で歌っていました。
そんな私を、神父様が領主様に推薦してくださり、私は試験を受けて芸術学校の特待生(推薦入学者)候補に選ばれました。
せっかく神父様に推薦していただき、領主様も期待してくださっていたのに、お金が足らなくて入学することができず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
まだ信じられませんが、どうやら私は本当に【印】を授かったようで、神様に感謝しながら、必ず人々の役に立ちますと誓わなければなりません。
どんな役に立てるのか分かりませんが、精一杯力を尽くすことが私に課せられた使命です。
芸術学校には入学できませんでしたが、教会のために尽くせば、町の神父様も領主様もきっと許してくださるはずです。
静かにサイリス様の祈りを待っていると、礼拝堂に4人の男性が入ってきました。
1人はランカー商会の見習い方でハモンドさん。もう1人は護衛のフィリップさん。どちらも商人やただの護衛には見えません。そもそも、言葉遣いや物腰が違う気がします。そう言っているのは私だけですが、イツキさんが貴族であったとしたら、2人も貴族である可能性が高いと思います。
あとの2人は見たことのない方です。一見すると護衛か冒険者風ですが、フィリップさんやハモンドさんの知り合いのようなので、こちらが本当の護衛の方ではないでしょうか?
「それでは祈りを始めます」とファリス様が祭壇上でお声を掛けられました。
すると、サイリス様とイツキさんが入場して来られ、何故かサイリス様がファリス様の横で跪かれました。いったいどういうことでしょうか……?
「それでは、新しい神の子を授かったことに感謝し、神に祈りを捧げます」
信じられません。な、何故サイリス様がイツキさんに跪かれているのでしょうか? どうしてイツキさんが祈りを捧げるのでしょうか?
私は混乱しながらも、イツキさんの祈りを真摯に聴き、心を込めて祈り始めます。
……この祈りはいったい何なのですか? この透き通る声は天使の声ですか?
……ああ、涙が止まりません。まるで全てをお許しになるような慈悲の心を感じます。有難くて有難くて、この場にひれ伏したくなります。
イツキさんは、いえ、イツキ様は神父様なのですね。しかも、サイリス様が跪かれる程の高位の神父様。
イツキ様の体は光の輪に包まれ、聖杯からキラキラと光の粒が飛び出しています。涙で滲んでいますが、この奇跡の光景は・・・「ああ、リースさま」と、私は思わず声に出し、その場にひれ伏しました。とても座っていることなどできません。
いつの間にか祈りは終わっていました。でも私は立ち上がることができません。
「それでは、新たなる神の子の能力を示しましょう。エレニア、祭壇上で好きな讃美歌を歌ってみてください」
イツキ様はそう言われながら、立ち上がれない私の手を取られ、祭壇上にエスコートしてくださいます。なんと恐れ多いことでしょう。
突然讃美歌を歌うよう指示されましたが、足も手も体もまだ震えています。
「大丈夫。エレニアの【印】の能力は、芸術全般に使えます。そして、エレニアの声は人々を癒し、感動させる力を持っています。さあ、開花した能力を使って、讃美歌を神に奉納しなさい」
イツキ様は私の背中を軽く押すようにして、演台の前に立たせました。
私は大きく息を吸って深く吐き出すと、心を落ち着かせます。
……神様【印】をお授けくださりありがとうございます。心を込めて讃美歌を奉納いたします。
あらん限りの感謝を込めて、《喜びは神と共に》という讃美歌を歌い始めます。
自分でも信じられないくらいに、高く透き通った声が礼拝堂の中に響いていきます。これまでの自分の声とは全く違う気さえします。歌いながら、神の存在を感じることができるのです。不思議な不思議な感覚に包まれながら、私は讃美歌を歌い終えました。
「まさしく聖女の声です。エレニア、貴女はこれからブルーノア歌劇団を引っ張りながら、私たちと一緒にイントラ連合国を経由して本教会へと向かいます。リーバ様に拝謁し、自分の務めが果たせるよう本教会で学ばねばなりません」
神々しく微笑まれながら、イツキ様は私の進むべき道を示されました。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




