インキュバスー2
俺は自室で、ある人物が訪ねてくるのを待っていた。
その人物とはインキュバス――サキュバスの男版である。
「なに気味の悪い笑みを浮かべているのよ」
「ん? 俺は笑っていたのか?」
「気付いてないの? 気持ち悪い」
まーちゃんは指摘した後、すぐ読んでいた本に目線を戻す。
周りを見渡すとフェリスは本を読んでおり、インムちゃんは机に向かい何やら書類を見ている。
俺は自分の顔を揉む。
インキュバスが来た時に失礼がないようにだ。
少し経った頃、コンコンとドアを軽くノックする音がする。
「やっと来たか」
部屋にいる全員がドアの方へと目線を移す。
「俺の客なんだ、みんなはそのままでいいよ」
「昼間のインキュバスでしょ」
「まぁな」
ドアを開け客を迎え入れる。
「ようこそ、インキュバスの……ええと……」
「ロレンスです」
「ロレンス君、荷物は持ってきたかな? 今日から君はここに住むんだ」
そう、インキュバスのロレンスは今日から同じ宿の同じ部屋に住む仲間だ――
「ちょっと! 聞いてないわよ!」
「言ってないもん」
まーちゃんの方に顔を向けると、勢いよく上半身を持ち上げてこっちを睨んでいる。
ロレンスに目線を戻し、小さな声でロレンスだけに聞こえる声で言う。
「慈悲魔王様万歳って言って! 早く!」
「え? え?」
「いいから……」
「は、はい」
すぅと息を吸い込み、部屋中に聞こえるような大声でロレンスが叫ぶ。
「慈悲魔王様万歳!」
「むっ! もう一回!」
「慈悲魔王様万歳!」
「もう一回!」
「慈悲魔王様、万、歳!」
「いい子ね、仕方ないわ。許してあげる」
なんてちょろい魔王なんだろうか? こんな魔王に俺は苦戦していたのか……。
そんな事を考えながらロレンスを迎え入れる。
知らない人から見たら友人を迎え入れているように見えている事だろう。
実際には仕事の斡旋なんだが――
「一番奥の右側のベッドを使ってくれて構わない」
「はぁ……」
「フェリス、荷物どけてあげて」
「えーなのん」
「頼むよフェリス」
「わかったのん」
渋々フェリスが本を置き動き出す。
フェリスは毎晩俺と寝ていて一番右奥のベッドはフェリスの荷物置き場になっていたからだ。
「ロレンス、さっき言ってた慈悲魔王様がまーちゃん、ベッドで寝ている小さいのはフェリス、俺はゆーくんと呼んでくれ。そして机で作業しているのはサキュバスのインムちゃんだ」
「あ……みなさんよろしくお願いします」
「みんな、この人はロレンス。まぁインムちゃん以外は知ってるよな」
一通りの紹介を終え、各々がコクリと頷いたり、誰とは言わないが偉そうに慈悲魔王様を連呼しろとか言ったり、視線を本に戻したりと反対意見はなさそうだった。
それを見つつ俺はインムちゃんに声をかける。
大事な用件……商売について色々と聞いておくことがあるからだ。
「えっと……インムちゃん」
「ひゃい」
呼ばれると思っていなかったようで、すっとんきょうな声を上げるインムちゃん――かわいい。
「この子に仕事のやり方とか教えてあげてくれないかな?」
「え……この男性ににゃ?」
「ロレンスはインキュバスなんだ。これからここで商売をしてもらう」
「はぁ……」
「客は最初は俺が取ってくるよ。書類の作り方とか、どういう夢を見せてもらいたいかとか色々書かれているんだろ? その書類――」
「はい、その通りですにゃ……」
「できればその書類をわけてあげてほしい」
「これは店の物にゃので……」
「店から多めに取ってきて渡してあげてほしいな」
「むむぅ」
インムちゃんの唸り声も仕方ない事だ。
紙一枚とはいえ店の所有物――店と交渉が必要か?
「ならロレンスにその書類を少し売ってあげてほしい」
「僕にそんなお金ありませんけど……」
「最初は俺が出すよ」
「それなら店に言ってみますにゃ」
「頼むよ。それでだ…………君達はここで働くわけだが――」
俺は一呼吸置いて言う。
「この部屋の使用料として儲けた分の一割を俺に納めてもらいたい」
「えええぇぇぇ」
悲鳴をあげたのはインムちゃんだ。
恐らく店に全部渡して、そこから給料が出ているのだろう。
それこそが健全な商売という物だ。
淫夢を見せてる時点で健全とは言い難いが……。
だが、ここでは俺に従ってもらう。
「インムちゃんも当分店では商売できないだろ? だからって裏路地で働くわけにもいかない」
「そ、そうだけどにゃ……」
「店にこの事を言って、何か文句あるなら俺のところに来いと言え」
「はぁ……たぶん店長にゃらわかってくれそうですけど、文句を言いにきたらどうするんですにゃ?」
「店を潰しに行く」
「さすが穀潰し勇者、退路を断っていくスタイルね」
「さすがゆーくんなのん」
まーちゃんとフェリスが追撃をいれてくる。
いつもなら余計な事を……と思うところだが、今はそれでいい。
「わ、わかりましたにゃ……トホホ……」
「ロレンスもそれでいいか?」
「はぁ……僕はそれでいいですけど」
「よし、それじゃロレンスは今日は寝てくれて構わないぞ」
「はぁ……」
「俺はこの事を噂程度に流してくるよ。あっ、その前にロレンス……昼間に渡した金貨返してね」
ロレンスから金貨の入った小袋を返してもらい鞄に入れる。
俺はそのまま下の階へと向かう。
足はとても軽いものだった。
なにせこれから何もせずに金貨が転がり込んでくるんだ。
軽くならないわけがない――
下の階に到着し、辺りを見回す……いつもいるであろうガストを探すためだ。
すぐにその巨体とモヒカン頭を見つける。
だが、今日用事があるのはガストではない。
ガストの所に行き、横に座る。
「ハハッ、兄ちゃんどうしたよ?」
「お前の姉妹は今いないのか?」
「あいつらは今風呂だ」
「そっか……俺達も風呂に行くか?」
「いや、まだ飲んでおくよ」
「なら俺も待たせてもらおうかな」
「なんだ? ディアナとスカーレットに用事か?」
「まぁな」
「なんなら伝えておくが……」
「ありがたいが直接伝えたいんだ」
「そうか」
俺はウェイトレスを呼びリンゴ酒を頼む。
リンゴ酒が半分ほど無くなった頃、ディアナとスカーレットが風呂から上がってくる。
「あら、兄さんといるのはゆーくんじゃない? 珍しい組み合わせね」
「どったの? ゆーくん」
「お前達、ここに寝泊まりしてないのに風呂は使えるんだな」
「ここで寝泊まりしなくてもちゃんとお金払えば入れるわよ?」
「そうなんだ」
一つ新しい知識を得たところで対面に座ったディアナ、スカーレットに本題を切り出す。
「ここだけの話なんだが――インキュバスが商売を始めた」
「え?」
「ちょ」
「ほぉ」
疑問の声を上げたのはディアナ、驚きの声はスカーレット、納得の声はガストだ。
全員の視線が俺へと注がれる。
「そこでだ、噂を流してほしいんだ」
俺は机の上に数枚の金貨を置く。
「これは正式な依頼だ。いい夢見たかったら俺の部屋のインキュバスに言い、このギルドの宿屋に泊まる事だ。なにせインキュバスはサキュバスみたいに飛べないからな」
「ハハッ、なるほどな。女連中にもいい思いをってわけか……いい話じゃねぇか」
「話はわかったわ」
「ちょっと興味があるかも」
「ちなみにインキュバスに何かあった場合、ここがどこなのか普通の人間ならわかってるよな」
「ハハッ、そりゃもちろん冒険者組合で人さらいや危害を加えようなんて輩はいないさ」
ムーラが窓を突き破ってインムちゃんを襲撃してきたわけなんですが……。
「ちなみに俺の部屋にはインムちゃんも寝泊まりしている」
「なんだって! それは本当か!」
「ああ、インムちゃんの問題は俺が解決しておいた。安全の為にここに寝泊まりさせている」
「ハハッ、さすが相棒だ……いい案だぜ、そりゃ」
「この金貨とガストにはインムちゃんのサービス、ディアナとスカーレットにはインキュバスのロレンスのサービスを一回分無料っていうのはどうだ?」
「わかったぜ! 相棒」
「いいわよ、興味あるし」
「やりぃ! 無料でインキュバスのサービスが受けれるんだ! 私は初めてだ!」
スカーレットは相当嬉しいのか体全体で表現していた。
ディアナも満更でもなく、ガストに至っては少し頬を赤くしている。
そんなにいいものなのか? 今度俺もインムちゃんに頼んでみようかな……。
そんな事を思いつつ対面に座っている風呂上がりでいい匂いのするディアナとスカーレットを交互に見つめる。
部屋へと戻った後、ふぅと軽くため息をつきベッドへと腰かける。
「噂は流しておいた。この部屋に訪れる女性はみんなロレンスの客だ」
「あ……ありがとうございます。何から何まで」
「いいさ。見返りに報酬の一割をもらおうっていうんだ。これくらいの事はなんでもないさ。机はインムちゃんの対面に置いてある机を使ってくれ」
「はい、がんばりますね!」
「ああ、いい返事だ」
「ところで気になってたんですけど……この壊れた窓は?」
「ああ、そういえば忘れてな……丁度風通しもよかったからな。フェリス直せないか?」
ムーラの襲来により壊された窓を指差す。
フェリスはチラリと見た後、杖をすっとかざし魔法を唱える。
するとちらばっていたガラス片や窓枠がみるみるうちに直っていく。
「さすがはフェリス」と言いながら頭を撫でるとムフーと鼻息を荒くして返事をする。
よし、これで商売を始める準備は完了したわけだ。
あとは毎日ゴロゴロしながらのんびりクエストでもして――
いや、少し金を貯めて家でも買うか?
この部屋はインムちゃんとロレンスに任せて俺達はのんびりできる小さな慎ましい家で過ごすというのもいいじゃないか。
豪邸とまではいかなくてもそれぞれが部屋を持ち、居間には暖炉がある小さな家でも購入するか……。
そんな事を考えつつ腰かけていたベッドに潜り込む。
横にはいつも通り本を読んでいるフェリスがいてつい頭を撫でる。
一通り撫で終わった後、仕事をしているインムちゃんとそれを横から教わっているロレンスを見つつ欠伸をしながら眠りにつく。




