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 慌ただしく正月が過ぎ去り、南から桜のニュースが届き始めた頃、斉藤建設事務所に新しいメンバーが入ってきた。

「紹介するよ。こちらは設計士の上田慎吾君だ」

 スタッフ達の前に立った男が、照れたように頭をかいた。

「上田です。どうぞよろしくお願いします」

 社長である賢治が上田の肩に手を置いた。

「今回のプロジェクトは社運を賭けているといっても過言じゃない。俺の恩師に相談したら、上田くんを推薦してくれたんだ。だから大手事務所から無理やり引っこ抜いてきた」

 スタッフの温かい笑いが上田を包んだ。

「一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」

 深々と頭を下げるその姿に、和音は新しい風を感じた。

 持ち込んだ段ボール箱を机の上に置きながら上田慎吾が和音に声を掛ける。

「えっと……山本さんですよね? 今日からよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。私は上田さんのアシスタントということですのね、何でも言いつけてくださいね」

「言いつけるなんてとんでもないですよ。まあ、お互いぼちぼち慣れていきましょう」

 遠慮がちな会話をしている時、事務所のドアが元気よく開いた。

「ただいま帰りました」

 洋子が大きな声で挨拶をする。

「やあ。洋子ちゃん、おかえり」

「今日も楽しかったかい?」

 スタッフが口々に洋子を出迎えた。

「ああ、洋子ちゃん。おかえり」

 社長室から賢治が顔を出した。

「パパ!」

 洋子が嬉しそうな声を出した。

「パパ?」

 慎吾の声に和音が答える。

「あれは私の娘です。うちは母子家庭なので、社長がパパって呼ばせてくれているの」

「ああ、そういうことか。驚きましたよ。斉藤先輩には子供がいないって教授から聞いていたから」

「ふふふ……」

 洋子の後ろから美弥子が入ってきた。

「ママ!」

「洋子ちゃん早いんだもの。追いつくのが大変だったわ」

 大きなお腹を抱えて肩で息をしている美弥子が和音に手を振った。

「和音、お疲れ様。今日は歓迎会なのでしょう? 洋子ちゃんは私が連れて帰るから」

「今日は欠席するつもりよ。あなたこそもう臨月なんだから無理しないで」

 和音が心配そうに美弥子の側に立った。

「まだまだって感じよ。動きはするけれど、ぜんぜん気配が無いもの。それより今日から新しい人が入ったのでしょう?」

 和音が慎吾を見た。

「あの方よ。上田慎吾さんっていうの。上田さん、こちらは斉藤美弥子さんよ。社長の奥様」

 慎吾が美弥子に型通りの挨拶をした。

「こちらこそよろしくお願いします。夫の話だと、随分華やかな経歴をお持ちだとか? 想像していたより随分若いから驚いちゃった」

 美弥子がニコニコと笑いながら慎吾に言った。

「華やかなんてとんでもないですよ。ただ運よく目立つ仕事の末端に名前を連ねていただけですから」

「ご謙遜ね。で? おいくつなの?」

 美弥子の遠慮ない言葉に、慎吾が少し肩を引く。

「あ……僕は二十七歳です」

「あらぁ、やっぱり若いわね。私たちより七つも下だもの」

 美弥子が和音の顔を見た。

 和音が目を丸くしながら言う。

「二十七歳? その若さであのモールの設計を? 凄いわね」

「いや、偶々ですよ。僕は教授のプロジェクトの手伝いをしたってだけですから」

 社長室から賢治が出てきた。

「美弥子、調子はどう?」

「うん、全然平気よ。だから今日は和音も連れて行って」

「そのつもりだけれど、和音ちゃんが頷かないんだ」

 美弥子が和音に顔を向けた。

「たまには息抜きしなさいな。それに、あなたが上田さんのアシストなのでしょう? ちゃんとコミュニケーションとっておかなきゃ仕事に差し支えるわ」

「でも……」

 洋子が賢治の手を握りながら言う。

「大丈夫だよ、お母さん。今日はママに宿題を見てもらうし、洋子はちゃんといい子にできるもん」

「そう? 本当に大丈夫?」

 和音の言葉に洋子が大きく頷いた。

「じゃあ美弥子、お願いできる?」

「任せてちょうだい。今日はうちに泊めて、明日は賢治に送っていかせるわ」

 洋子が美弥子の手を引いた。

「ママ、今日は何を作るの?」

 美弥子が洋子の顔を見ながら肩を竦めた。

「今日はウーバしちゃおうか」

「え? 本当? 何でも良いの?」

「ええ、何でも好きなものを頼んでいいわ。きっとパパが払ってくれるから」

 後ろで賢治が苦笑いをしている。

「じゃあ……洋子はエビグラタンにする」

「良いわね。じゃあ私はチキングラタンにしようかな。それとフライドポテトも」

「あっ! 洋子も!」

 二人が顔を見合わせて悪戯っぽく笑った。

「じゃあね、お母さん。ちゃんとお風呂に入って寝なくちゃダメよ?」

「洋子ったら……」

 賢治が和音に笑いかけた。

「決まりだな」

 後ろで会話を聞いていたスタッフが、揶揄うように言う。

「そんなこと言っても、いつも社長が一番先に帰りたがるでしょう?」

 賢治が振り向きながら言葉を返した。

「そりゃそうだよ。身重の奥さんを一人になんてできないさ」

「かわいい娘ちゃんも待ってるし?」

「うん、そうだ。もうすぐ宝物が二人になる」

 和音は少し困ったような顔をしたが、肩を竦めるにとどめた。

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