30
「ただいま」
扉を開けた途端、複数の足音が迫ってきた。
「おかえりなさい! 昌浩君、久しぶり」
「あ……美弥子さん。それに賢治さんも?」
「うん、理由は想像通りだ。やあ、洋子ちゃん。おかえりなさい」
「ただいまぁ」
洋子が賢治に向かって両手を上げた。
鞄ごと洋子の体をすくい上げた賢治が、その小さな体をギュッと抱きしめる。
「どうしたの? 賢治君」
「会いたかっただけさ。それとね、買ってきたよ。あれ」
「あれ?」
洋子が小首を傾げて指先を頬に当てた。
「うん、あれだ。洋子ちゃんが大好きな、甘くてちょっと酸っぱくて」
「ふわふわしてるけれど、中はしっとりしてるわね」
美弥子が割り込んで洋子の頭を撫でた。
「あっ! チーズケーキ!」
「大当たり!」
抱かれたまま万歳をした洋子の肘が、賢治の鼻を掠めたが、賢治はそれさえもうれしいとばかりに、大きく微笑んだ。
「さあ、お着替えをして手を洗っておいで」
「はぁい」
パタパタと洋子が廊下を走る。
残された大人たち三人は、同じような顔をしてそれを見送った。
「癒されるな」
「うん、癒されるわ」
昌浩がそう言いながら頷きあっている斉藤夫婦に言う。
「なかなか見ものでしたよ」
美弥子が昌浩の肩を掴んだ。
「今日は泊まるのでしょう?」
「え……ええ。まあ」
ニヤッと口角を上げて頷く美弥子。
「洋子ちゃんが寝てからだな、待ち遠しいよ」
「あ……はい」
美弥子が開けたリビングへの扉から、醬油の甘じょっぱい香りが流れ出てきた。
「懐かしい匂いだ」
「昌浩君の好物なんだって? さっきちょっとつまみ食いしたけど、マジで旨かった」
「あっ! ダメじゃん。姉ちゃん怒るとホントに怖いですよ」
「大丈夫。バレてないから」
「ははは」
寿司桶も持ってきたぞと言う賢治の後ろで、昌浩はようやくネクタイを緩めた。
「しかし、本当に旨いな。和音さんの豚の角煮は」
「あら、お褒めいただき恐縮ですわ」
ビールグラスを傾けた美弥子の頬は、すでに真っ赤だ。
「美弥子さん、強いんだねぇ」
そういう昌浩の頬も、うっすらと赤らんでいた。
「うん。美弥子は酒も強いし喧嘩も強い。俺なんて百戦百敗だもの」
賢治が備前焼の徳利を摘み上げながら肩を竦めて見せた。
「それは賢治君が優しいからでしょう? 美弥子にべた惚れだもんね」
和音が揶揄うように言う。
昌浩と賢治が同時に笑った。
「完全服従こそ円満の秘訣さ」
美弥子は当然だとばかりに、大トロを摘まみ上げた。
「ちゃんとできたよ」
濡れたままの髪で洋子がリビングに戻ってきた。
「すごいわね、洋子ちゃん。話には聞いていたけれど、本当に一人でお風呂に入れるんだ」
「うん、もうずっと前からだよ。だって洋子は一年生だもん」
「ずっと?」
和音の声に、洋子がニヤッと笑って目を逸らした。
賢治が洋子からタオルを取り上げて、その細く長い髪を包んでやる。
「洋子ちゃん、あまり急いで大きくならないでくれよ。まだまだ子供のままでいい」
賢治の言葉に、昌浩が何度も頷いている。
和音と美弥子が顔を見合わせて、弾けるような笑い声をあげた。
「さあ、洋子。先に髪を乾かしちゃいましょうね。お楽しみがあるのでしょう?」
「うん! ルルナのチーズケーキ!」
和音が賢治の顔を見た。
「目黒まで行ってくれたの? 申し訳ないわ」
「仕事のついでだよ」
「ありがとうね、二人とも」
昌浩が豚の角煮を自分の皿に取り分けながら声を出す。
「そこは俺も入れてよ」
笑う大人たちに囲まれながらも、洋子はチーズケーキに夢中だった。




