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3 2026.9.24.20:00
その夜、いつもより遅く帰ってきた冬也に改装工事の話をした。
「ああ、この家も古いものなぁ。なんせうちの爺さんが建てたのだから。うん、そろそろ改装時期かもしれない。和音に任せるから好きなようにすればいいよ」
金なら親から出させるからと笑う冬也。
和音は心の中でホッと息を吐いた。
それから数日後、改装工事の契約書が冬也の前に置かれた。
見積もりをチラッと見ただけであっさりと契約書に判を押す冬也。
すでに親にも了承を得ているからと、なんともあっさりしたものだった。
「外壁工事まで終わる頃には、家族三人になっていますね」
そう言ったのは、契約に来た美弥子の夫だ。
愛妻家の彼は、美弥子同様に憤慨し、和音に協力すると約束してくれている。
そして工事が始まり、和音の日常が少し変わった。
工事担当者にお茶を出す時以外は、自室で今後の計画を練っていく。
「一度ご尊顔を拝ませていただきましょうか」
冬也は相変わらず週末を小夜子と過ごしている。
和音は何も気づいていない振りで、機嫌よく冬也を送り出していた。
「いよいよ会えるわね。安藤小夜子さん」
洗面台の鏡に映った自分に話しかけてみる。
具合が悪く見えるように、あえて化粧はしなかった。
調査会社から聞いた二人の通院日に合わせ、計画通り同じ病院へと向かう。
待合室で待っていると、案の定診察室から冬也と小夜子が出てきた。
小夜子は冬也の腕に縋るようにして歩いている。
労わるように肩を抱く冬也の姿に、わずかに残っていた良心が霧散した。
診察室から顔を出した看護師が声を出す。
「お忘れ物ですよ。ほら、旦那さん。かばんかばん」
旦那さんという言葉に、冬也は何のためらいもなく振り向いた。
「ああ、すみません」
「奥様が心配なのはわかりますが、気を付けてくださいね」
「ははは……」
ふたりは並んで待合室の椅子に座った。
和音の心は湖面の漣ほども揺れていない。
まるで図ったかのように名前が呼ばれた。
「山本さん。山本和音さん」
立ち上がった和音と冬也の目が合った。
口をポカンと開けて和音を見る冬也。
和音は必死で笑いを堪えた。
「あら、どうしたの? こんなところで」
そう声を掛けた和音に、冬也は慌てて立ち上がった。
「あ……部下が……病院へ行くというから連れて来ただけで……丁度この近くで商談があって……」
「土曜日に商談? 珍しいね」
受付からまた呼び出しの声がかかる。
和音は冷静な顔で会計を済ませた。
立ち上がろうとする小夜子に、冬也が反射的に手を貸した。
ハッと気づいた冬也が慌ててその手を離す。
「奥様ですか? 私は井上小夜子と申します。部長にはいつもお世話になっていて」
「あら、そうですか」
小夜子の腹に視線を這わせる。
「まだ働いているのですか? 大変ですね」
和音の皮肉に気づかないのか、小夜子は申し訳なさそうに頷いた。
「来月の二十日が予定日です」
「そうですか。ああ、確か産休は六週八週でしたか? そろそろ?」
「はい……」
「どうぞお大事に」
声を出さない冬也に和音が顔を向けた。
「ねえ冬也。お客様のところに行く前には着替えた方がいいわ。まさかその格好で?」
ジーンズとTシャツ姿の冬也が目線を泳がせる。
キャラクターの顔がプリントされたそのTシャツは、和音が知らないものだった。
「あ……ああ。急いでいたから。会社に戻ったら着替えるよ」
先ほどの言い訳との矛盾にも気づかないのか、冬也が必死で弁明した。
エントランスを出ようとする和音に冬也が駆け寄る。
「ねえ、和音。変な誤解はしないでくれよ?」
「誤解? 何のこと? 会社のスタッフを病院へ連れてきたのでしょう?」
「あ……ああ、そうだ」
「だったらそれでいいじゃない」
タクシーに乗り込もうとする和音に、冬也がなおも食い下がる。
「どうして通院の日だって教えてくれなかった?」
「だって本当は今日じゃないもの。少し痛くなって、心配になったから来たの」
「そうか……大丈夫だった?」
「ええ」
「具合が悪いなら、連絡してくれよ。すぐに帰るから」
「電話したわよ?」
「え?」
「昨日の夜中。あなたは出張だったから、私一人でしょう? なんだか怖くなって電話したのよ。まあ、電源は入っていなかったけれど」
「あ……」
冬也は週末を使って各支社を視察しているのだと和音に言っていた。
最初の頃は、夜になると寂しくなって電話をしたものだが、冬也が電話に出たことはほとんどない。
たとえ出ても接待中だと言われて切られるのが関の山だ。
そのうち電源を切られるようになり、和音は連絡するのをやめてしまった。
「ごめん……接待の途中だったから」
「そう。金曜の夜に接待で、土曜の午前中に部下を病院まで送るなんって、相変わらず優しいわね」
「……」
和音はもう何も言わずタクシーの運転手に行先を告げた。
後部シートに背中を預け、和音は眉間に皺を寄せた。
「井上? 確か安藤じゃなかった?」
何かありそうだと思った和音の中で、悪戯心にも似た高揚感が湧き出てくる。
「調べてもらわなくちゃ」
和音はゆっくりと目を閉じた。
そしてその夜、いつもより早く帰ってきた冬也は、花束とケーキを抱えていた。
「これ、お見舞い。ごめんね、昨日電話に出られなくて」
「お仕事なのでしょう? 仕方がないわよ」
それきり話すことも無く、気分がすぐれないと言って和音は寝室に入った。
今までの寝室は改装中で、冬也と和音は六畳ほどの洋室二つに分かれてベッドを置いている。
廊下を何度か行き来している足音を聞きながら、和音はあっさりと目を閉じた。
慌てた冬也の顔を思い出して笑いを飲み込む。
和音は、復讐という甘露に酔う自分を肯定した。




