28
和音がオフィスの窓から外を眺めていると、ポンと肩を叩かれた。
「気もそぞろって感じかな?」
美弥子の夫であり、和音の雇い主でもある斉藤賢治だった。
「あ……ごめんなさい。ちょっと考え事をしちゃってて」
和音の横の椅子に賢治が座った。
「今日なのでしょう? チラ見せの日」
和音がプッと噴き出した。
「そう、今日が初の参観日」
「来るの?」
「ええ、そうみたい。今朝送った時見かけたもの」
「え? 会っちゃったの?」
和音が慌てて首を振る。
「娘さんを送って来てたわ。あの人は降りなかったから直接見たわけじゃないのよ」
「ああ、だったらよかった。目が腐っちゃ大変だもの」
「ははは! 言うわねぇ」
「だって俺は相当怒っているからね。もしかしたら和音ちゃんよりも怒っているかもしれない」
真顔でそう言った賢治に、驚いた顔を向ける和音。
「だって、俺も相当なとばっちりを受けたんだぜ? 美弥子が大変だったんだから」
「そうなの?」
「うん、もう習慣化しちゃったけれど、俺ってGPS付けられてる」
「え?」
「うちの奥様はヤキモチ焼きなんだよ。モテる男は辛いだろう?」
和音が声を上げて笑った。
数人残っていたスタッフが、何事かと顔を向けてくる。
それに肩を竦めて見せた賢治がスッと立ち上がった。
「昼飯に行こうよ。美弥子が来ているんだ」
和音は頷いてパソコンを閉じた。
「見たいわね……私も行けばよかったわ」
「美弥子が?」
「だって、見ものじゃない。同姓同名ってのは知っているにしても、まさか同じ学校の同じ組なんて思いもしないでしょう?」
「そうよね」
コーヒーカップを置きながら、賢治が言葉を挟む。
「俺も見たかったな。なんで俺を指名しなかったんだよ、和音ちゃん」
「え?」
「俺の方が父親らしく振る舞えるぜ? それに面も割れてない」
「ははは……」
最後のサンドイッチをつまみながら美弥子が言った。
「来年は夫婦で参加するわ」
「何を言ってるのよ。暇なの?」
「暇じゃないけれど、そういうことならいくらでも時間を作るわよ。ねえ? 賢治」
「ああ、完璧に演じ切ってみせるさ」
ついさっきまで暗く沈んでいた気持ちが軽くなっていく。
「わかった。じゃあ来年はよろしくね」
サムズアップして見せた美弥子が思い出したように言った。
「昌浩君の顔は知らないの?」
「もちろん何度かは会っているけれど、覚えていないんじゃないかしら。昌浩は忘れたって」
「ああ、そりゃそうか。ねえ、和音は相手の女の顔は知っているの?」
「うん、知っているよ」
「あっちは和音を?」
「多分知らないと思うわ」
「そうかぁ。写真とかも全部処分したんだものね」
「うん、全部燃やしたもの」
「……あなたはどうなの?」
「え?」
「後悔してない?」
和音が持っていたコーヒーカップをギュッと握った。
「名前のことは……少し後悔してる」
「そうかぁ。でもそれが一番今更じゃない。良い名前だと思うよ?」
美弥子が慰めるように言った横で、賢治がニヤッと笑った。
「うん、良い名前だよ。でもいきなり渡米して、自由に生きちゃいそうだけど」
三人が声を揃えて笑った。
「ありがとう。なんだか元気が出てきたよ」
美弥子がコーヒーを飲み干した。
「あのね、和音。一度言おうと思っていたのだけれど、たぶんあいつは浮気相手の子供だから、洋子ってつけたんじゃないと思う。あなたの産んだ子が先だったとしても、同じ名前をつけてたんじゃないかな」
「え?」
美弥子は深く頷いて言葉を続けた。
「私ってあなた達が付き合っていた頃から知ってるじゃない? 嫌だけど、あいつの思考回路がちょっと読めちゃうんだよね」
「ああ、そういえばそうかも。旅に出るなんて言い出した時も、美弥子はただのパフォーマンスだって言い切っていたものね」
美弥子がまた頷いた。
「多分だけど、あっちに子供ができたって聞いた時は、何も考えていなかったと思う。あなたが妊娠したって知って初めて、子供の名前を考え始めたんじゃないかな。でもあちらが先だったでしょう? 咄嗟に出たのが……」
「洋子?」
「うん。でもあいつの頭に浮かんだのは、漢字じゃなくてカタカナのヨーコだね」
美弥子がニヤッと笑った。
「え?」
賢治が笑いを嚙み殺しながら言う。
「じゃあ男だったらジョンってか? 山本ジョン……まあ、今っぽいか」
和音が目を丸くした。
「良かったわ。女の子で」
「だから、あなたはあの名前を盗用したんじゃないわ。もともと自分のものだったのを取り返しただけ」
「……美弥子」
「それに、あっちは托卵でしょう?」
「そうだと決まったわけじゃないわ」
「いやいや、因果は巡るなんとやらよ。もしかしたら、もう気づいていたりして?」
肩を竦めて見せる美弥子に、和音は曖昧に微笑んだ。
賢治が伝票をつまんで美弥子の頭をスッと撫でた。
「和音ちゃん、急ぎの仕事ある?」
「今日は……特にないかな。来週のプレゼンのパースを描いているところだから」
「だったら、頼まれてくれないか?」
「なあに?」
「俺の愛妻のお守り。今日は直帰でいいよ」
美弥子がニコッと笑った。
「さすがだわ。賢治」
和音はこんな夫婦になりたかったなとぼんやりと思った。




