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「部長、社長がお呼びです」
デスクで書類を眺めていた冬也に、マネージャーが声を掛けた。
「わかった」
書類を引き出しに入れて立ち上がる。
指先が封筒に触れ、冬也の眉間に皺が寄った。
いつものように鍵をかけ、いつものように社長室に向かう。
その判で捺したような行動が、なぜか今日は苛立たしく思えた。
「兄貴、呼んだ?」
「ああ、まあ座れよ」
ソファーを見ると兄の妻と甥が二人座っていた。
「やあ、義姉さん。お前たちも元気そうだな」
義姉がにこやかな顔を向ける。
「叔父さん、お久しぶりです」
「あれ? 随分と大人びた口を利くようになったものだ」
「僕はもう中学生ですよ?」
「ああ、そうだったな。お祝いをしなきゃ」
「もういただいたわよ? 聞いてないの?」
「え?」
「お義母様から渡してもらったわ。預かってたからって」
「へえ……じゃあ小夜子かな」
それ以上義姉は何も言わなかった。
「ねえ叔父さん、今日は頼みがあってきたんだ」
長男が冬也に話しかけた。
「頼み? 俺に?」
「うん。今ね、自由研究で海の生き物を調べてるんだ」
「へぇ……」
「それでね、水族館に連れて行ってくれないかなって思って」
「そりゃいいけれど……」
冬也が兄の顔を見た。
「悪いが頼むよ。俺たちは台湾事業のオープニングパーティーに行かなくちゃならないんだ。その間は目黒の家に預けるのだが、年寄りに水族館まで付き合わせるわけにはいかないだろう?」
「ああ、なるほど。その研究ってのは急ぐのか?」
「提出期限は来週の水曜なんだ」
「だったら今週末しかないってことか……うん、わかった。では日曜はどうだ?」
義姉が口を挟む。
「日曜日はダメなのよ。この子の小学校でお誕生日パーティーがあるの」
次男がニコニコと頷いている。
「ああ、そうか。だったら土曜?」
長男が大きく頷いた。
「今週も出張を組んでたのか?」
兄の声に冬也が頷く。
「うん。でも誰かに代わってもらうから」
「悪いわね」
あまり悪びれていない顔で義姉が言った。
「うちの子も連れて行くけどいいよな?」
「洋子ちゃん? もう小学生だっけ」
甥たちが兄によく似た顔でニコッと笑った。
用事は済んだとばかりに義姉が立ち上がる。
「出発の準備があるから失礼するわね。申し訳ないけれど、冬也さんよろしくね」
「ええ、任せてください」
義姉が一瞬だけ真顔になる。
「夜は必ず目黒の家にお願いね」
「わかりました」
何の念押しかとは思ったが、別に聞くほどでもないと流す冬也。
三人が出ていき、兄と二人になった。
「これ。使ってくれ」
兄が内ポケットから茶封筒を出した。
「え? 金? いいよ、こんなの。たまには甥っ子孝行しないとな」
「いいから受け取っておけ。残ればお前の小遣いにでもすればいい」
「……うん。ありがとう兄さん」
兄がデスクからソファーに移る。
その正面に座りながら冬也がボソッと言った。
「ねえ兄さん、あの子たちが自分の子供だっていつから認識した? っていうか、いつ頃実感したの?」
「はぁ? 何言ってんだお前」
「いや、男って産むわけじゃないからさぁ」
兄が秘書を呼んでコーヒーを頼んだ。
「呼ぶまで誰も入れないでくれ」
頷いた秘書が静かにドアを閉める。
「どうした? 冬也」
「いや、深い意味はないよ。どうなのかなって……」
フンと鼻を鳴らした兄がコーヒーカップを引き寄せる。
「妊娠しましたって聞いた時ではないな。子供の顔を見た時? いや、かなり経ってからかな。生まれた時は誰に似てるかなんてわからないだろ? いつの間にかっていう感じかもな」
「ああ、そうだよね。くちゃくちゃな顔を真っ赤にしてさ。でもかわいいよな」
「うん。でもそれも今のうちさ。お前んとこは女の子だから良いけれど、さっき見ただろう? もう一丁前な顔してさぁ。もうすぐ相手にもされなくなるよ」
「そう? でもまあ、男の子はそれくらいじゃないと……」
冬也が寂しげな顔を窓に向けた。
「なあ冬也。お前、後悔してるだろ」
「え?」
「顔に書いてある。和音さんと小夜子さんを比べてしまうんじゃないか?」
「そんなこと……」
図星を刺された冬也がコーヒーカップに手を伸ばした。
「比べても虚しいだけさ。和音さんと小夜子さんでは何もかも違うからな。それにしても、お前は本当にバカをしたよ」
「……」
無言で俯いた冬也に兄が言葉を続けた。
「でもな、もうどうしようもない。洋子ちゃんはお前と小夜子さんの子だ。そうだろう?」
「うん……」
曖昧な返事をする冬也に、兄はそれ以上言葉を重ねなかった。
「じゃあ頼むよ。土曜の朝に迎えに行ってくれ。車は親父のを使え」
「うん、わかった」
そそくさと出ていく冬也の背中を、兄は無表情のまま見送った。




