18
「ねえ、どうしても代わってもらえないの?」
大きなバゲージに手を掛けた冬也に、小夜子が縋るような目をした。
「無理だよ。前から決まってたって言っただろう?」
「この子の入学式は一生に一度なのよ?」
「しょうがないよ。仕事だ」
「……わかったわ」
入学式に着るつもりなのだろうワンピースがリビングの壁に掛けられている。
その横には洋子の制服がちんまりと並んでいた。
「派手だな」
「え?」
「いや、何でもない。行ってくるよ」
「パパいってらっしゃい。お土産ね?」
「ああ、買ってくるよ」
洋子の頭をひと撫でして、冬也は玄関を開けた。
まだ何か言いたそうな小夜子には目を向けず、冬也はエレベーターのボタンを押した。
「子供より親の方が目立ってどうするんだよ。バカバカしい」
和音なら……そう思った瞬間、冬也の中で何かが弾けた。
いつも質素な服を着ていた和音。
見かねた母親がデパートに連れ出したこともある。
みすぼらしいわけではないが、当時の自分はもう少し着飾ってほしいと思っていたものだ。
「アクセサリーもほとんどしなかったしな」
小さなルビーが一つきりのネックレスをいつもしていた。
あれは誕生日に贈ったものだったろうか。
指には結婚指輪だけで、爪を染めることもなかった。
「でもパーティーの時はきれいだったよな……」
新社屋落成パーティーで着飾った和音を見た時の高揚感は今でも覚えている。
主催側ということもあり、派手な色ではなかったが、濃紺のワンピースが白い肌に映えていた。
普段も着飾ればどうかと言った自分に、和音は笑いながら言った。
「いつもこんな服を着ていたら、家事ができないわ」
そうなのだ。
和音はいつも家のことを完璧にやってくれていた。
スーツもワイシャツも、そろそろ買い換えたいと思ったときには、すでに新品がクローゼットに掛かっていたものだ。
「和音も買ったら?」
そう言った自分に、和音はなんと答えただろうか。
「なぜもっと一緒に居てやらなかったのだろう。買い物だってもっと一緒に行けば良かった」
冬也を乗せたタクシーが大井競馬場の横を走り抜けていく。
一度も海外旅行に連れて行かなかったことを思い出し、冬也は詫びるように視線をさげた。
「ママ! 早く!」
洋子が小夜子の手を力強く引っ張った。
「洋子ちゃん、学校は逃げないわ。靴が新しいからまだ痛いのよ。もう少しゆっくり歩いてちょうだい」
洋子が入学する白薔薇学園は、東京でも屈指の名門校で、宗教教育を礎とする歴史ある女子校だ。
正門に差し掛かったところで、小夜子は一度足を止めた。
「お姉ちゃん、やっと来れたよ」
いきなり立ち止まった母親を不思議そうな顔で洋子が見上げた。
両親に挟まれるようにして歩く新入生たちが追い越して行く。
母親の後ろに父親の姿を探し掛け、洋子は小さく俯いた。
「みんなママとパパが来てるね」
「そう?」
やっと歩き出した小夜子が言う。
「そうでもないんじゃない? ほら、あの子も。あっちの子もママだけよ?」
「あ、本当だ。うん、うちだけじゃないね」
「そうでしょう? だから大丈夫よ、洋子ちゃn」
すぐ前を歩いていた子供が振り返った。
その子の手を引く母親が、子供に向かって言う。
「ちゃんとまっすぐ歩こうね、洋子」
「うん、お母さん」
小夜子の手を握りながら、洋子が不思議そうな顔をした。
「ねえ、ママ。あの子も洋子っていうお名前?」
小夜子が眉間に皺を寄せる。
「ママは知らないわ。まあ、洋子っていう名前はそれほど珍しくもないし、何人かいるかもね」
「そうなの?」
それには返事をせず、小夜子は足を速めた。
今度は引っ張られるようにして歩く洋子が、チラッと後ろを振り返る。
「あれ?」
洋子が小夜子を見上げたが、その視線はまっすぐ前を向いていた。
「では新入生の皆さんはこちらに並んでください」
年配の女性教諭が優しそうな声を出した。
親元から離れ、並んで座っていた子供たちがバラバラと立ち上がる。
「今からお名前を呼びますから、呼ばれたら大きな声でお返事をして、前に並んでくださいね。まずは一組からです」
子供たちが元気に返事をする。
その景色を漠然と眺めている小夜子の横顔を、和音はしっかりと見据えていた。




