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「ねえ、どうしても代わってもらえないの?」

 大きなバゲージに手を掛けた冬也に、小夜子が縋るような目をした。

「無理だよ。前から決まってたって言っただろう?」

「この子の入学式は一生に一度なのよ?」

「しょうがないよ。仕事だ」

「……わかったわ」

 入学式に着るつもりなのだろうワンピースがリビングの壁に掛けられている。

 その横には洋子の制服がちんまりと並んでいた。

「派手だな」

「え?」

「いや、何でもない。行ってくるよ」

「パパいってらっしゃい。お土産ね?」

「ああ、買ってくるよ」

 洋子の頭をひと撫でして、冬也は玄関を開けた。

 まだ何か言いたそうな小夜子には目を向けず、冬也はエレベーターのボタンを押した。

「子供より親の方が目立ってどうするんだよ。バカバカしい」

 和音なら……そう思った瞬間、冬也の中で何かが弾けた。

 いつも質素な服を着ていた和音。

 見かねた母親がデパートに連れ出したこともある。

 みすぼらしいわけではないが、当時の自分はもう少し着飾ってほしいと思っていたものだ。

「アクセサリーもほとんどしなかったしな」

 小さなルビーが一つきりのネックレスをいつもしていた。

 あれは誕生日に贈ったものだったろうか。

 指には結婚指輪だけで、爪を染めることもなかった。

「でもパーティーの時はきれいだったよな……」

 新社屋落成パーティーで着飾った和音を見た時の高揚感は今でも覚えている。

 主催側ということもあり、派手な色ではなかったが、濃紺のワンピースが白い肌に映えていた。

 普段も着飾ればどうかと言った自分に、和音は笑いながら言った。

「いつもこんな服を着ていたら、家事ができないわ」

 そうなのだ。

 和音はいつも家のことを完璧にやってくれていた。

 スーツもワイシャツも、そろそろ買い換えたいと思ったときには、すでに新品がクローゼットに掛かっていたものだ。

「和音も買ったら?」

 そう言った自分に、和音はなんと答えただろうか。

「なぜもっと一緒に居てやらなかったのだろう。買い物だってもっと一緒に行けば良かった」

 冬也を乗せたタクシーが大井競馬場の横を走り抜けていく。

 一度も海外旅行に連れて行かなかったことを思い出し、冬也は詫びるように視線をさげた。


「ママ! 早く!」

 洋子が小夜子の手を力強く引っ張った。

「洋子ちゃん、学校は逃げないわ。靴が新しいからまだ痛いのよ。もう少しゆっくり歩いてちょうだい」

 洋子が入学する白薔薇学園は、東京でも屈指の名門校で、宗教教育を礎とする歴史ある女子校だ。

 正門に差し掛かったところで、小夜子は一度足を止めた。

「お姉ちゃん、やっと来れたよ」

 いきなり立ち止まった母親を不思議そうな顔で洋子が見上げた。

 両親に挟まれるようにして歩く新入生たちが追い越して行く。

 母親の後ろに父親の姿を探し掛け、洋子は小さく俯いた。

「みんなママとパパが来てるね」

「そう?」

 やっと歩き出した小夜子が言う。

「そうでもないんじゃない? ほら、あの子も。あっちの子もママだけよ?」

「あ、本当だ。うん、うちだけじゃないね」

「そうでしょう? だから大丈夫よ、洋子ちゃn」

 すぐ前を歩いていた子供が振り返った。

 その子の手を引く母親が、子供に向かって言う。

「ちゃんとまっすぐ歩こうね、洋子」

「うん、お母さん」

 小夜子の手を握りながら、洋子が不思議そうな顔をした。

「ねえ、ママ。あの子も洋子っていうお名前?」

 小夜子が眉間に皺を寄せる。

「ママは知らないわ。まあ、洋子っていう名前はそれほど珍しくもないし、何人かいるかもね」

「そうなの?」

 それには返事をせず、小夜子は足を速めた。

 今度は引っ張られるようにして歩く洋子が、チラッと後ろを振り返る。

「あれ?」

 洋子が小夜子を見上げたが、その視線はまっすぐ前を向いていた。

「では新入生の皆さんはこちらに並んでください」

 年配の女性教諭が優しそうな声を出した。

 親元から離れ、並んで座っていた子供たちがバラバラと立ち上がる。

「今からお名前を呼びますから、呼ばれたら大きな声でお返事をして、前に並んでくださいね。まずは一組からです」

 子供たちが元気に返事をする。

 その景色を漠然と眺めている小夜子の横顔を、和音はしっかりと見据えていた。

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