17
「ただいま」
「お帰りなさい、パパ」
洋子が冬也に飛びついた。
「ああ、ただいま」
キッチンから小夜子が顔を出す。
「早かったのね。夕食はまだできていないの」
「先に風呂に入る」
「だったら洋子も入れてくれない? ちょっと手が離せないのよ」
「わかった。おいで、洋子。パパと一緒にお風呂に入ろう」
洋子が歓声を上げた。
小躍りする娘のソックスの白色に、昼間の書類を思い出した。
娘の細い髪を洗いながら、冬也は不思議な感覚に襲われた。
目の前で裸の背を丸めているのは、いったいどちらの洋子なのだろうか。
小夜子が産んだ娘か? それとも和音が?
「パパ、おめめが痛いよ」
「あ……ああ、ごめんね。すぐに流すから」
冬也は慌てて洋子の顔に湯をかけた。
やはり自分と似ているところは見つけられなかった。
洋子が口を開く。
「ねえ、パパ。今日ね、制服が来たの」
「制服?」
「うん。水色のワンピースだった。ブラウスは白でね、靴下も白なの」
「靴下まで決まってるのか?」
洋子が小首を傾げた。
「あとで見る?」
「ああ、見せてくれ」
まだ拭き終わっていないというのに、洋子が裸で駆けてゆく。
ママと叫ぶ声が脱衣所に響いた。
「ママか……和音は何と呼ばせているのだろうか」
リビングでは絶対に呟けない言葉を飲み込んで、冬也はのろのろとパジャマを手にした。
「かわいい?」
ハンガーに吊るされた真新しい制服を指差しながら、洋子が弾けるような笑顔を向けた。
「かわいい……とは違うんじゃないか?」
ぷくっと頬を膨らませる娘の頭を撫でて、冬也は冷蔵庫を開けた。
「ビールは?」
「あるでしょう?」
「一つしかない」
「え? もう?」
「買ってきてくれよ」
「……今から? 外は寒いし、他のじゃだめなの?」
冬也は爆発しそうなほどの怒りを覚えた。
「いいから! 買って来いよ!」
小夜子が肩をビクッと震わせ、フライパンをコンロから降ろす。
「わかったわよ。そんなに怒鳴らなくても良いじゃない。私だって忙しいのよ」
「暇だとは言っていない。しかし、ビールが切れていることくらい確認してくれよ。買い物にだって毎日行っているのだろう?」
「……わかったわよ」
小夜子がエプロンを外して財布を握った。
「ママ、どこに行くの?」
「一階のコンビニ」
「アイス買ってきて」
「アイスはダメよ。虫歯になっちゃう」
「おばあちゃんは食べさせてくれるよ?」
小夜子の顔が険しく歪んだ。
「ダメなものはダメ! 我慢しなさい!」
子供に当たるなよと冬也は思ったが、自分もおなじようなものだ。
「パパ? ママがぷんぷんだねぇ」
「アイスくらい良いのになぁ。おばあちゃんはくれるのだろう?」
「うん。後で歯磨きするお約束なの」
「それで良いのにな。ママは怒りんぼさんだな」
洋子が冬也に抱きついた。
髪からシャンプーの匂いがする。
甘ったるいブーケの香りに、冬也は泣きそうになった。
「今日のハンバーグは少し辛いね」
洋子の何気ない言葉に小夜子の顔色が変わった。
「嫌なら食べなくて良いわ」
「え?」
いつもの味がどうなのかさえ覚えていない冬也は、二人のやり取りをなんとなく聞いていた。
小夜子が立ち上がって洋子の皿を下げようとする。
「おい! そこまですることか?」
「だって、美味しくないのでしょう?」
洋子が半べその顔をした。
「そこまで言ってないだろう? 少し味が濃いって言っただけじゃないか」
「どうせ私の味付けは濃いわよ。田舎者の味なのでしょう? あなたもそう思っているのでしょう?」
「小夜子……」
小夜子の目から涙がぽろぽろと零れている。
冬也は小夜子の手から皿を奪い、洋子の前に置いた。
「さあ、洋子。食べなさい。ママが一生懸命作ってくれたハンバーグだ。美味しいね」
「うん。おいしいよ、ママ」
小夜子は立ったまま泣き続けている。
「お前も座って食べろよ」
そう言う冬也は箸を持つ気にもなれず、三個目の缶ビールを取りに立った。




