82話
「シン、起きてる? 入ってもいいかしら?」
「……っ!?」
心臓が大きく跳ね上がり、シンは慌てて手元の古びた手記を机の引き出しの最も奥へと押し込み、上着を被せてから急いで立ち上がった。呼吸を整え、何とか表情の動揺を消し去ってから扉の鍵を開ける。そこに立っていたのは、湯上がり特有の心地よい温もりを纏ったセレネだった。
「どうかしましたか、セレネさん」
「ううん、何でもないわ。ねえ、聞いてよ! 公衆大浴場、すごく大きくて綺麗だったわ。他のどこの街にもないような贅沢な作りで、本当にお湯が気持ちよかったのよ。あなたも早く行ってきなさいよ、絶対疲れが吹き飛ぶから」
セレネは艶やかな髪を軽く揺らしながら、心底満足したようにふわりと微笑んだ。その無邪気な様子に、シンは内心の冷や汗を拭いながら、努めて平静を装ってうなずく。
「そうですか……それは良かったですね。じゃあ、お言葉に甘えて少し行ってきます」
そう言って部屋を出たシンは、そのまま館内の大浴場へと向かった。広々とした湯船に肩まで浸かり、身体の緊張をほぐしていく。しかし、湯の温かさとは裏腹に、頭の中は先ほど読んだ千年前の手記の内容で埋め尽くされていた。
(人造兵器、管理者、そして魔力を集める法具と結界……。すべての辻褄が奇妙に噛み合っていく。でも、だとすれば、今の世界を裏で牛耳っている連中の真の狙いは一体……)
沸き上がる疑問と不安を抑え込みながら湯から上がり、シンは重い足取りで自室へと戻った。部屋ではすでにセレネが椅子に腰掛け、テーブルの上で地図を広げながら待っていた。
「おかえりなさい、シン。少し顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」
「えぇ、少し考え事をしていただけですよ。……それよりもセレネさん、これからのことについて少し相談したいんです」
シンは席に着くと、真剣な眼差しを向けて切り出した。
「図書館や城の地下書庫で調べた結果、この大陸のあちこちで魔物が活性化している原因や、過去の歴史の断片についてある程度は把握できました。でも、肝心の『なぜ今になって魔物がそれほど活発化しているのか』という根本的な原因がまだ掴めていないんです」
シンの言葉に、セレネは腕を組んで難しそうに眉を寄せた。彼女もまた、道中での様々な異常事態やリプルズでの一件を思い出しているのだろう。しばらく考え込んだ末、セレネはパッと顔を上げて一つの提案を口にした。
「それなら、一度リプルズに戻ってみるというのはどうかしら?」
「リプルズですか?」
「えぇ。あそこで捕らえられたはずのあのレリック……知性を持ったあの魔物なら、今回の魔物の活性化や裏で糸を引いている連中について何か知っているかもしれないわ。あいつに直接話を聞くことができれば、今後私たちがどう動くべきかの明確な方針も決められると思うの」
セレネの提案を聞いたシンは、しばし思案したのち、大きくうなずいた。
「確かに……。今の僕たちにはこれといった確たる手がかりもありませんからね。レリックから情報を引き出すというのは、非常に理にかなった一手だと思います。行きましょう、もう一度リプルズへ」
方向性が決まれば行動は早かった。二人は翌日の早朝、長居した王都ヴェリタスの街を出発し、再びかつての激戦地であるリプルズへと向けて街道を歩き始めた。
その旅立つ二人の小さな背中を、高くそびえ立つ王城の一室の窓から、冷ややかな眼差しで見下ろしている男がいた。
深い黒のローブを纏った男は、唇に薄気味悪い笑みを浮かべ、誰もいない空間に向かって静かに呟く。
「ほう……、その先に何があるのか、せいぜいあがいてみるがいい……」
冷たい風が吹き抜ける中、男の姿はまるで最初からいなかったかのように、陽光の中に溶けるようにして消えていったのだった。
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