80話
ランプの微小な灯りの下、シンが震える指先で開いた『世界のお菓子集』という偽りのタイトルの内側には、千年前を生きる者によって刻まれた、おぞましいまでの歴史の記録が綴られていた。
『――一〇三二年度、この記録がいつの日か、未来を生きる人類にとっての大いなる転機となることを願い、私はここに真実を残す』
古びた筆跡で記されたその文章から、手記は始まっていた。当時の世界情勢について、筆者は冷徹な文字でこう描き出している。
『現時点でこの世界は、人族の他にエルフやドワーフ、魔人族や竜鱗族など様々な種族が存在し、それぞれが激しい衝突を繰り返し、互いの領土を奪い合っている。圧倒的な魔力を持つエルフ、強靭な武具を鍛え上げるドワーフ、そして比類なき戦闘力を誇る竜鱗族などに囲まれ、かつて栄華を誇った人族は瞬く間に領土を奪われ、今や衰退の一途を辿っていた』
他種族の圧倒的な力の前になすすべもなく蹂躙される人族の姿が、生々しい筆致からありありと浮かび上がってくる。しかし、記録のページが進み、一〇三三年の項目に差し掛かると、人族の生存戦略は狂気的な方向へと舵を切ることになる。
『一〇三三年、人族の指導者たちは多種族に対抗するための最後の手段として、秘密裏に「人造兵器」の開発および研究を本格化させた。人間の肉体をベースにしつつ、そこに異なる種族の因子を直接埋め込む。その結果、人でありながらエルフのような高度な魔法詠唱をこなし、獣人族のような常軌を逸した怪力を発揮する兵士たちが作り出された。彼らの力により、人族は少しずつ他種族からの侵略を防ぎ、長い劣勢を覆し始めたのだ』
血みどろの生存競争の末に生み出された、禁忌の生体実験。さらに手記は、事態がより決定的な破滅へと向かう瞬間を記していた。
『一〇三五年度、形勢は逆転した。かつて怯えていた人族は、今や他の種族を次々と侵略し、その支配下に置きながら急速に領土を拡大していく。そんな狂気的な勢力拡大の最中、人族の王都の空に、突如として「管理者」と自称する者たちが天より現れた』
空から降臨した「管理者」たちは、人族が行っていた人造兵器の開発研究に強い興味を示し、自ら進んで未知なる知識を人類に与えたという。
『管理者のもたらした知識により、停滞しかけていた人造兵器の開発は再び凄まじい勢いで活発化した。複数の異種族因子を、致命的な副作用を一切引き起こすことなく一つの肉体に併用できる、完全なる生体兵器の開発に彼らは成功したのだ』
『さらに、既存の人間をベースにする時代は終わりを迎えた。遺伝子の操作によって、生まれた瞬間から先天的に強大な魔法を操り、自在に竜化や獣化を引き起こすことができる人間を、完全に人工的に生み出す技術が確立された。そしてその過程で、管理者自身が提供した未知の遺伝子をその身に組み込まれた、特異な子どもたちまでもが造り出されることになった……』
そこで手記の文字は一旦途切れていた。
「……っ!」
シンは持っていた古文書を取り落としそうになり、慌てて両手でしっかりと抱え込んだ。頭の中が真っ白になり、呼吸が浅くなる。目の前で繰り広げられた歴史の真実は、現代を生きる常識を根本から粉々に粉砕するものだった。
人間を素材にした改造兵器、異種族の因子、そして遺伝子操作や管理者という、ファンタジーの世界にあるまじき科学的かつ冷酷な単語の数々。
しかし、それ以上にシンを混乱させたのは、別の恐怖だった。
(待て……。どうして、僕は……?)
この世界の人々であれば誰も知らないはずの、「人造兵器」「因子」「遺伝子」という専門的な言葉の概念が、なぜか自分の頭の中には自然に、そしてあまりにも明確に理解できてしまう。聞いたこともないはずの単語の意味が、自分のルーツの奥底に元から刻まれていたかのようにスッと腑に落ちてしまうのだ。
「うそ……。僕はいったい、何なんだ……?」
誰もいない静まり返った部屋の中で、シンは自分の両手を見つめ、冷たい汗を流しながら激しい眩暈に襲われるのだった。
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