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78話

広大な王城の内部は、ひとたび足を踏み入れれば方向感覚を狂わせるほど入り組んでおり、案内を務める兵士の背中をしっかりと捉えていなければ、二人はとうに迷子になっていただろう。磨き上げられた大理石の柱や、歴代の王を描いた巨大な油絵が飾られた通路を抜け、兵士はついに荘厳な装飾が施された重厚な両開きの扉の前に立ち止まった。


「こちらが王の間になります。くれぐれも無礼な振る舞いのないように」


兵士から厳重な注意を促され、シンはわずかに息を呑んで身を引き締める。一方のセレネは、動じることなく落ち着いた様子でうなずくと、自らその重い扉をそっと押し開けて中へと足を踏み入れた。

足を踏み入れた謁見の間は、息を飲むほどに広大だった。天井は遥か高く、左右にはきらびやかなシャンデリアが下がり、その最奥に一段高く据えられた玉座には、豪奢な衣装を纏い王冠を戴いた一人の男性が静かに座っている。


そして、その玉座のすぐ手前――まさに今、王への謁見を終えたばかりであろう一人の人物が目に入り、シンとセレネは思わず足を止めた。全身をすっぽりと包み込む、深い黒のローブを纏った姿。その特徴的なシルエットは、かつて砂漠の遺跡で相対した存在を嫌でも彷彿とさせるものだった。二人は瞬時に全身の警戒レベルを跳ね上げ、いつでも動けるように身構える。


黒ローブの人物は王との言葉を交わし終えると、ゆっくりと振り返り、二人の方へと歩いてきた。シンたちは身構えたままその顔を見据えようとしたが、深く被られたフードの影が顔の造作を完全に遮り、表情を読み取ることはできない。しかし、黒ローブの男は近づいてきたシンとセレネを一瞥すらすることなく、まるでスルーするかのようにそのまま脇を通り過ぎて去っていった。


(……今の、一体……? こちらの勘違いか)


シンが怪訝な視線でその背中を見送っていると、今度は王の傍らに控えていた恰幅のいい大臣と思われる男から声をかけられた。


「そこの者たち、前へ」


促されるまま、シンとセレネは玉座の正面まで進み出て、しっかりと姿勢を整えて深く一礼した。王は冷徹とも取れる淡々とした瞳で二人を見据え、この謁見を望んだ理由を問い質す。セレネは一歩前に出ると、凛とした声で図書館の閲覧許可について直談判した。

王はしばらくの間、顎に手を当てて考え込むような仕草を見せたが、やがて小さく息をついて口を開いた。


「……外ならぬ風の巫女の要望であれば、城の地下書庫への立ち入りを許可しよう。ただし、条件がある。期限は明日一日の日が暮れるまでだ。それ以降の延長は認めん」


(たった一日……? どれだけあるか分からないが、資料を一日で探し出すのは、どう考えても無茶苦茶だ)


シンは心の中で思わずツッコミを入れたが、セレネは慌てることなく、王に向かって深く頭を下げた。


「お心遣い、感謝いたします。明日一日、大切に使わせていただきます」


こうして何とか最低限の許可を取り付けた二人は、案内役の兵士から明日のための臨時の通行証を受け取り、静かに謁見の間を後にしたのだった。


その頃、王の間から退出し城の陰へと消えたセレネたちとの謁見を終えた王の背後に、音もなく一人の男が姿を現した。それは先ほどすれ違ったはずの、黒ローブの男だった。


「……、あのような者たちを地下書庫に入れて、本当に良かったのでしょうか?」


玉座の王が低い声で問いかけると、黒ローブの男は不敵な笑みを浮かべながら答える。


「あぁ、いいんですよ。せっかく遠いところからやって来たんだから、これくらいのエサは用意してやらないと面白くないでしょう?」


男の纏う空気が、わずかに歪む。


「それにしても……あの遺跡に残したはずの法具が、完全に元の状態に治っていた。おそらく、あの場にいた男の仕業か……。フッ、もしそうだとすれば、あいつは俺たちの計画において、とてつもなくイレギュラーになりうる」


そう冷たく呟いたかと思うと、黒ローブの男はかき消すようにその場から姿を消し、暗がりへと溶けていった。


翌朝、約束の時間を心待ちにしていたシンと再び城を訪れたセレネは、昨日の兵士に許可証を提示して厳重な門をくぐった。そのまま案内されたのは、城の最下層に位置する地下書庫だった。

扉を開けた瞬間、古い紙と冷えた湿気の匂いが鼻を突く。蔵書の総数自体は先の王立図書館に遠く及ばないものの、棚には無造作に古文書や巻物が積み上げられ、世間一般には秘匿されるべき資料が雑多に詰め込まれていた。整理整頓されているとは言い難く、目当ての情報を探し出すには自力で一冊一冊めくっていくしかない。


「時間があまりないから手分けして一気に調べましょう、シン!」


「了解です。僕は歴史の古い記録と空白の年代について探します。セレネさんは治癒魔法に関する記述を頼めますか」


二人は二手に分かれ、山積みの古文書の海へと飛び込んだ。


シンは次々と古い歴史書を引っ張り出し、パラパラとページをめくっていく。しかし、そこにあったのは治癒魔法に関する断片的な記録ばかりだった。過去に一度だけエルフの祖と呼ばれる英雄が発現させ、それにより数え切れないほどの命が救われたという伝説的な伝記が見つかったものの、肝心の「治癒魔法の具体的な効能や仕組み」についての詳細な記述はなく、ほとんどの書物は治癒魔法とは明らかに別体系である一般的な「回復魔法」の記録に終始していた。


(ダメだ、これじゃない……! 空白の歴史に関する手がかりも、どこにも……!)


窓から差し込む光の角度が変わり、夕方が近づいていることを告げている。見回りの兵士から「おい、あと少しで時間だ。終わりの準備をしろ」と声をかけられ、シンの背中に冷や汗が伝った。焦燥感が心を締め付ける中、シンはまだ探していない書架の最も奥、埃をかぶった薄暗い隙間に目を留めた。


「くっ……こんなところにも……!」


手を突っ込み、奥から引っ張り出したのは、分厚い革表紙の古びた一冊の本だった。しかし、その表紙に刻まれた文字を見た瞬間、シンは思わず動きを止める。


『世界のお菓子集』


あまりにもこの場に似つかわしくない、場違いすぎるタイトルに、近くを通りかかったセレネが目を丸くして呟いた。


「……ちょっと、シン? なんでこんな場所から、そんなお菓子の本が出てくるのよ……?」


セレネの疑問ももっともだった。しかし、シンはこの極秘の地下書庫の奥深くに、これほど場違いな本がわざわざ隠すようにしまわれていること自体に、ただならならぬ強烈な違和感を覚えていた。


(こんなものがただ置いてあるわけがない……!)


高鳴る鼓動を抑えながら、シンは意を決してその古びた表紙をめくったのだった。

読んでいただきありがとうございます!

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