75話
数日間にわたる馬車の旅を終え、シンとセレネはついに巨大都市ヴェリタスの巨大な城壁の前にたどり着いた。
「ようやく着いたね……。長旅だったけど、まずは無事に依頼を達成できて何よりだ」
「えぇ、本当にそうね。馬車の揺れで少し腰が痛いわ」
門をくぐり抜け、活気にあふれる石畳の街並みを進んだ二人は、まずは護衛主である商人と一緒に冒険者ギルドへと足を運んだ。無事に依頼の完了を告げ、ずっしりと重みのある報酬を受け取ると、商人は取引先へと急ぐためここで別れることになった。
「二人とも、道中は本当に助かったよ。ありがとう!」
商人が爽やかに手を振って去っていくのを見送り、シンとセレネはせっかくの機会だからと、そのままヴェリタスの街を散策することにした。巨大な都市の構造を確かめるため、まずはギルドの受付にいた女性に街の主要施設について尋ねる。
「街の東部には大規模な魔導研究が行われている大きな魔法研究所が、中央にはこの国の象徴である城がそびえています。そして、西部には大陸一の蔵書数を誇る王立図書館がありますよ」
受付の女性からそう教えられると、シンとセレネの視線が自然と西部の方向で一致した。目的が一致した二人は、早速足取り軽く西部地区にあるというその広大な図書館へと向かった。
目の前に現れた図書館は、一つの城塞と見紛うほどに圧倒的な威容を誇っていた。一歩足を踏み入れると、数え切れないほどの書架がどこまでも並び、古びた羊皮紙とインクの混じった独特の知的な香りが鼻腔をくすぐる。あまりの膨大な情報量にどこから手をつければいいか迷った二人は、カウンターにいた老齢の管理人に声をかけ、過去の歴史に関する蔵書があるエリアについて尋ねた。
「歴史の古文書や古い記録なら、西側の第肆書架から奥のエリアにまとめてある。勝手に持ち出さんようにだけ注意してくれ」
管理人の案内にお礼を言い、二人は該当する巨大な書架へと移動した。ずらりと並ぶ背表紙の文字を眺めながら、セレネがふと隣のシンを見上げて声をかける。
「ねえ、シン。私たちはこれから何を重点的に調べるつもりなの? 目的のジャンルを絞っておかないと、この広さじゃ迷子になっちゃうわよ」
「そうですね……。僕が知りたいのは主に三つです。一つはこの大陸の過去の歴史について、一つは海を越えた異なる大陸の存在、そして最後が治癒魔法のルーツやその性質についてです」
シンはそう答えると、さっそく「歴史」や「魔法体系」と書かれた札の下げられた書架から、分厚い歴史書や古い魔導書を次々と引き抜き始めた。セレネも頷きながら手伝い、二人で手分けして関連しそうな書籍を探していく。
しかし、大陸一の蔵書量を誇る場所であっても、求めている情報にたどり着くのは容易ではなかった。文字は細かく、専門的な古語や独自の魔導理論が記されたページを一枚一枚めくっていく作業は、想像以上に精神力を削るものだった。結局その日は閉館の時間まで調べ続けても全体のほんの一部しか確認できず、二人は近くの宿に泊まり、翌日以降も日を改めて通い詰めることになった。
そうして丸数日を費やし、膨大な数の書物に目を通し続けたある日のこと、机に山積みにされた古文書の束を前にして、シンはふと動きを止めた。ページの端を指で押さえたまま、眉間に深いしわを寄せて首を傾げる。
「……おかしいな」
「どうかしたの、シン?」
隣で別の魔導書をめくっていたセレネが、シンのただならぬ様子に気づいて顔を上げた。
「どの歴史書や古い記録を調べても……五年前、いや、もっと正確に言うなら五百年以前の記録が、どの書物からも綺麗さっぱり消えているんです。痕跡すらなかったかのように、どの本もその年代でプツリと途切れている」
「紙に書き留めておく技術や文化が当時はまだ無かったとか?」
「それにしては不自然すぎます。原始的な記録すらないならまだ分かりますが、高度な魔法文明が栄えていたはずの痕跡はあるのに、ある特定の一つの年数からピタリと記録がなくなっているんです。まるで、誰かが意図して歴史の歯車を切り取ったかのように」
セレネは手元にあった分厚い王朝史のページをパラパラと繰り戻し、そしてハッとしたように顔を上げた。
「言われてみると……。王家の系譜にしても、古い時代の魔法大戦の記録にしても、どのジャンルの書物からもその年代の記述だけがすっぽり抜け落ちているわね。偶然にしては出来すぎているわ」
「間違いなく、意図的に隠されている可能性が高いですね……。でも、一体何のためにそんな歴史の空白を作る必要があるんでしょうか」
「そこまでは、流石にこの本棚の中を探しても分からないわね……」
セレネが困ったように苦笑いを浮かべる。シンは大きく息を吐き出し、重い背もたれに体を預けた。
「それに、異なる大陸については交易船の航路図の断片から少しだけ知ることができましたが肝心の治癒魔法のルーツについては、結局これといった手掛かりは得られませんでした……」
期待していた成果が得られず、どこか肩を落として落胆の色を滲ませるシンを見て、セレネは優しく微笑みかけた。
「そんなに落ち込まないの。これだけの情報量をたった数日で調べ上げただけでも十分すごいことよ。ほら、今日はもう十分頑張ったんだから、頭を休ませましょう。近くに美味しそうなカフェを見つけたから、付き合いなさい?」
「……そうですね。ありがとうございます、セレネさん。じゃあ、甘いものでも食べに行きますか」
少しだけ表情を和らげたシンは、片付けを終えるとセレネと共に図書館の出口へと歩き出した。しかし、重い木製の扉に手を掛けようとしたその時、受付のカウンターから先ほどの管理人がひょっこりと顔を出し、二人に声をかけてきた。
「おや、もう帰るのかい? 熱心に調べていたようだが、知りたい情報は無事に見つかったかな?」
「……実は、歴史の古い記録や治癒魔法について調べていたんですが、どうにも肝心の古い時代の資料が見つからなくて苦戦していまして」
シンが苦笑交じりにそう打ち明けると、管理人はふむ、と顎に手を当てて少しだけ思案顔を見せた。
「なるほどね……。ここに収められないような極秘の古文書や、禁忌に触れるような資料のいくつかは、この街の中心にある城の地下書庫に厳重に収められているよ。もっとも、国の中枢に関わるような滅多なことでは一般の人間が見ることはできない代物だがね」
「そうですか……わざわざ教えていただき、ありがとうございます」
城の地下書庫という新たな壁を知りつつも、シンは礼を述べると、セレネと共に夕暮れ時のヴェリタスの街へと足を踏み出したのだった。
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