72話
旅立ちの朝を迎えるまでの二日間、リプルズの街は、かつての平穏を取り戻したかのような温かな活気に包まれていた。
「――えっ? 野菜ですか? そんなの、ここにあるものなら好きなだけ持っていきな!」
大通りの青空市でシンが頭を下げると、ふくよかな果物屋の店主のおばさんは豪快に笑いながら、目の前に山と積まれた新鮮な野菜を次々と麻袋に放り込んでいく。
「あんたらが命がけで街を救ってくれたおかげで、私たちはこうしてまた商売ができて、元気に生きていられるんだからね。遠慮なんてするんじゃないよ!」
別の区画でも、魚を扱う市場の軒先で顔なじみの男が声を弾ませていた。
「おう、シンにセレネじゃねえか! ちょうどいいところにきた! 魚なら、ほら、今しがた仕入れたばかりの新鮮なのが……おっと、話しながら包むから待ってな。よし、街の川で獲れたピチピチの川魚だ、道中で食いな! たくさん持って行ってくれ!」
手渡されたのは、大ぶりの魚や、丁寧に塩蔵された日持ちのする大量の一夜干しだった。さらに、街の特産品を扱う一角では、神殿の侍女が小走りで駆け寄ってくる。
「あ、セレネ様! ミズキ様から、『あの二人が来たら、うちの在庫から優先的に最高の食材を分けるように』ってきつく言われているんです! どうぞ、必要な分だけ遠慮なく持って行ってくださいね」
そう言って手渡されたのは、甘い香りを放つみずみずしい果物の数々だった。
二人が街の人々へ旅の挨拶がてら食材の調達に向かうと、どの店もどの区画も、彼らを拒むどころか、まるで我が子の旅立ちを祝うかのように両手いっぱいの品を押し付けてきたのだった。
「これだけあれば、当分は道中の食料に困ることはなさそうですね」
「そうねぇ! さすがリプルズ、魚がいっぱいで私はとっても嬉しいわ!」
ずっしりと重くなった収納魔法の指輪の感触を確かめながら、セレネは機嫌良さそうに目を細めて微笑んだ。
さらに、食料だけでなく、激戦ですっかり傷んでボロボロになっていた衣服についても、街の人々から温かいサプライズが用意されていた。
「セレネ様、シン様! 僕たちが用意するのもおこがましいんですが、良かったらこちらの服を使ってください!」
神官や神殿の侍女たちが持ってきてくれたのは、従来の神官服としての気品を保ちながらも、優れた防汚性と、長旅の過酷な動きやすさを徹底的に追求して特別に調整された、真新しい旅装束だった。
迎えた出立の日の朝。新調された動きやすい衣服に身を包んだ二人が街の正門へと向かうと、そこにはミズキと、見送りのために集まった多くの神官や住民たちの姿があった。
「シン、セレネ……本当に、ありがとう。二人のおかげで、この街は救われたよ」
ミズキはそう言うと、まずセレネの胸元に飛び込むようにギュッと強く抱き着いた。セレネも優しくその背中に腕を回し、巫女同士の健闘を讃え合う。
そして、ミズキはゆっくりと離れると、今度は少し照れくさそうに微笑みながらシンの前へと歩み寄った。
「シンも、危ないところを助けてくれて本当にありがとう。……これ、旅の無事を祈るお礼だから」
「えっ、ミズキ様……?」
シンがわずかに目を見開いたその瞬間、ミズキは背伸びをしてシンの頬に軽く、柔らかいキスを落とした。
周囲の神官や住民たちから「おぉ〜!」と冷やかすような歓声と拍手が沸き起こる中、当のシンは完全に不意を突かれ、顔を真っ赤に染めて固まってしまう。
「っ……なっ……!?」
「ふふっ、それは旅のお守りってね!」
ミズキは悪戯っ子のようにケラケラと楽しそうに笑うと、一歩後ろへ下がった。
「こら、シン! いつまで赤くなってボッーとしてるのよ!」
硬直しているシンの背中を、隣にいたセレネが「まったく、隙だらけなんだから」と面白そうに肘でグリグリと小突き回す。
「い、痛っ……! すみません、それでは皆さん、お元気で! 僕たちはこれで!」
慌てて体勢を立て直したシンは、照れ隠しも交えながら見送りの群衆に向けて深く一礼し、セレネと共にリプルズの街の門をくぐって新たな旅路へと踏み出していった。
街の境界線を越え、どこまでも広がる穏やかな緑の草原をのんびりとした足取りで歩きながら、二人は心地よい風に吹かれていた。
「いやぁ、こうして二人でまたのんびり草原を歩くのも、なんだか久しぶりですね~」
「そうねぇ~。あんな激しい戦いの後だもの、この静けさがやけに染みるわね」
他愛のない会話を交わしながら足を進め、日暮れが近づく頃、二人は野営に打ってつけな小さな小川のほとりに足を止めた。
手際よくテントの骨組みを組み立て、パチパチと心地よい音を立てる焚き火を熾し、もらったばかりの新鮮な食材を取り出して手際よく包丁で切っていく。
「シン、お鍋のお湯が沸いたわよ」
「はい、今そちらに入れますね」
二人で協力して作り上げた温かい夕食を並べ、満天の星空の下、静かな川のせせらぎを聞きながらゆっくりと箸を進める。食事が一段落すると、シンは夜空に輝く星を見上げながら、これまでの旅の足取りを静かに整理し始めた。
「これで、各地で異変を起こしていた巫女のいる街を一通り回りましたけれど……結局のところ、分からないことだらけで謎が山積みですね」
セレネは膝を抱え、難しい表情で腕を組んだ。
「イグニスで暴れた火山の魔物、ヴェールダンの遺跡に現れた不気味な黒ローブの人物、そして今回のリプルズにおける知性のある魔物……どれも水面下で繋がっているようで、決定的なピースが噛み合わないわね」
「レリックは最期に『命令された』と言っていました。少なくとも、一連の事件の裏には組織的な動きが存在しているのは間違いありません。仮に、火山の魔物も同じ組織の仕業だと仮定しても……あの遺跡で遭遇した黒ローブの連中が、同じ組織の仲間だとはどうしても思えないんですよね」
「そうね。あいつ、『来てみたらすでに法具が壊れていた』ってつぶやいていたわ。もし同じ組織の仲間なら、わざわざ法具を壊す側に回るはずがないもの」
「と言うことは、僕たちの前に立ちはだかっているのは、最低でも2つの異なる勢力……もしくは全く個別に動く組織ですね。一つは魔物を統率し、法具を狙う存在。もう一つは、目的すら判然としない謎の黒ローブ集団。いずれにせよ、あの遺跡で接触してきた黒ローブは決してこちらに好意的ではありませんでしたし、警戒すべき敵と見た方が良さそうです」
焚き火の炎がパチリと小さく爆ぜる音を背景に、シンは冷徹に現状の仮説を綺麗にまとめていくのだった。
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