69話
――その場にいた一人の騎士は、狂乱と恐怖に満ちた戦場のただ中で、レリックが放った異常な一撃の瞬間を目の当たりにしていた。
それは、空から落とされる雷などではない。音すら置き去りにした不可視の光弾が、一瞬にして空間を穿ち、風の巫女の肉体を貫いていく悪夢のような光景だった。
そして、血の海に倒れ伏したセレネの元へ、シンが這うように駆け寄る。
彼は自分の衣服が鮮血に濡れることなどまるで気にも留めず、自らの両手から放つ神秘的な光で必死に彼女の傷を塞ぎ、命をつなぎ止めようとしていた。
だが、その処置を終えてゆっくりと立ち上がった少年の背中を見た瞬間、騎士は背筋が凍りつくような強烈な悪寒を覚えた。
恐ろしい――。少年の全身からは、周囲の空気を歪ませるほどの凄まじい殺意があふれ返っている。よく見れば、彼の理知的な瞳は鮮血のような異様な赤色に染め上げられていた。
「ガアアアッ!」
怒号とともに、背後から死角を突いて一匹の魔物がシンめがけて飛びかかった。
しかし、シンは振り返りすらしなかった。すれ違いざまに彼が振るった愛刀『風切』の軌跡が、飛びかかった魔物の巨体を一瞬にして細切れの肉片へと変える。さらに、もう一匹の魔物が挟み撃つように襲いかかったが、シンは魔物の顔面を素手で力任せに掴み上げた。
その瞬間、拳を包み込むように、ねっとりと濃い緑色の魔力が妖しく輝き出した。
「が……あ……!?」
魔物の絶叫すら上がらない。少年の拳が触れた部位から、魔物の頑丈な肉体がまるで強酸強でも浸されたかのように、ドロドロと音を立てて形を失い、溶けるように消え去っていく。
「なっ……なんだ、あれは……? 魔法なのか……? まるで、腐り落ちるように……」
騎士はあまりの光景に戦慄し、自分の足が恐怖で震えていることすら忘れてその場に釘付けになっていた。
一方のシンは、感情の抜け落ちた機械のように冷徹な足取りで敵の群れを蹂躙していた。
向かってくるすべての障害をただ淡々と切り裂き、武器を持っていない空いた手で魔物の体を掴んでは、あえて異常な量の治癒魔法を強引に流し込む。治癒の過剰なエネルギーは、生命を救うどころか細胞の暴走を引き起こし、組織を内部から破裂させて崩壊させる最も残酷な拷問へと変わる。
「逃がさない……」
シンは限界を超えた身体強化の魔力を全身の筋肉に漲らせ、地面を爆発的な踏み込みで蹴り飛ばした。
視界が一瞬で歪むほどの神速の踏み込み。狙うのは、すべての元凶であるレリックだ。
「がっ……!?」
レリックが反応するよりもコンマ数秒早く、シンの振るった『風切』が鮮烈な軌跡を描き、レリックの右腕と左腕の付け根を素早く両断した。宙を舞う二本の腕から鮮血が噴き出す。
さらにシンは音もなくその背後へと回り込み、返しの刀で残された両足の自由を完全に奪い去る。それだけでは終わらない。シンは倒れるレリックの背中に掌を押し付け、あえて治癒魔法の制御を狂わせて強烈な細胞破壊を引き起こし、その腹部を内側から崩壊させてドロドロの肉塊へと変えていった。
両腕両足を失い、腹部にぽっかりと開いた致命的な穴。常軌を逸した激痛が脳髄を撃ち抜いてからようやく、レリックはその身に起きた現実を理解した。
「あ……あああ……!」
崩れ落ちたレリックは、地面の血溜まりに顔を突っ伏しながら、見苦しく絶叫を上げ始めた。
「た、助けてくれ……!」
「……」
「た、助けてくれ! この街を襲ったことは謝るから……! 俺たちはただ、上の命令に従って動いていただけなんだよ……!」
「……」
「……ぁ、あぁ、死にたくない! 死にたくないんだ! こんな薄汚いところで、俺は……俺は死にたくない!」
「……」
(今更、何を言っているんだこいつは……)
シンの脳裏で、冷めた思考と、狂気に満ちた快楽が混ざり合う。
しかし、腕を斬り飛ばした瞬間の手応え。命乞いをする敵の、聞き苦しい悲鳴。それがどうしようもなく、頭の芯が痺れるほどに気持ちよく聞こえる。
もっと苦しめ、次は刀を突き刺すか。
こいつは、絶対に生かしてはいけない。殺してもいいんだ。目の前のゴミは、僕の手で徹底的に消し去ってしまえばいい。
アハハ、ハハハハ――!
「――シン……」
狂気に塗りつぶされかけていたシンの意識を現実へと引き戻すように、背後からか細く、しかし聞き覚えのある声が響いた。
その声を聞いた瞬間、シンの動きがピタリと凍りついた。
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