68話
「やはり、あの二人がこの戦況の要というわけですね……」
レリックは、負傷した兵士を神業的な手際で癒やしながら戦場を縦横無尽に駆け回るシンと、絶え間なく圧縮された風の刃を鋭く飛ばし続けるセレネを冷ややかに見据えて呟いた。
――あの二人のどちらか、いや、まずは厄介な魔法を操る女の方を落とせば、この場の形勢は傾くはず。
レリックは邪悪な笑みを浮かべると、手元の杖に強大な魔力を一気に集中させ始めた。
敵の異様な魔力の収束をいち早く察知したセレネは、背後に控えるミズキを守りながら、周囲の味方に向けて鋭く声を張り上げた。
「みんな、気をつけて! レリックがまた大きな魔法を撃ってくるわ、上からの雷に警戒してっ!」
しかし、セレネがどれほど警戒を強めても、いつまで経っても空から雷が落ちてくる気配はない。
(……おかしいわね、雷じゃないなら、いったい何を――)
不審に思ったセレネが視線を正面のレリックへと向けた、まさにその瞬間だった。
視界の端ですら捉えられないほどの不可視の超高速弾が、空気をつんざく音すら置き去りにして彼女の身体を容赦なく貫いた。
「……え?」
呆然とした呟きを最後に、セレネが自分の腹部に視線を落とすと、純白の衣装が一瞬にして鮮やかな赤色へと染め上げられていく。ほんの一拍の遅れのあと、内臓を焼き裂かれるような強烈な激痛が全身を襲い、彼女の体からすべての力が抜け落ちてその場に崩れ落ちた。
「ぐっ……は……」
あまりの痛みに呼吸が浅くなり、意識が急速に暗くなっていく。セレネは震える手で懐から回復薬を取り出そうとしたが、出血多量による痺れで指先が思うように動かない。
傍らでは、怪我をしているはずのミズキが必死に何かを叫んでいるが、遠ざかる意識のせいでその声はまるで水面の下にいるかのように酷く遠く、聞き取れなかった。
そして、冷たい地面に倒れ伏したまま、セレネはプツリと完全に意識を手放した。
――一方その頃。
戦場の反対側で魔物の群れを切り伏せていたシンは、突如としてレリックのいる方向から肌を突き刺すような凄まじい魔力の圧縮を感じ取り、即座にそちらへと視線を走らせた。
(――っ、狙いはセレネか!)
シンは反射的に地面を強く蹴り、愛刀『風切』を構えながらレリックの方向へと全速力で駆け出した。
だが、シンがレリックの姿を捉えたまさにその瞬間、不敵に笑うレリックの杖の先端に浮かんでいたこぶし大の光の石が、一瞬にして視界から消失した。直後、耳をつんざくような破壊の轟音が遅れて響き渡る。
シンの超感覚的な反射神経が危機を察知し、辛うじて体をねじって回避行動をとったが、その不可視の弾丸はシンの予測とは違う軌道を描き、彼の背後へと突き抜けていった。
いやな予感が全身の産毛を逆立てる。
そのままレリックを無視して斬りかかろうとした矢先、戦場のざわめきを切り裂くように、ミズキの悲鳴に似た叫び声が耳朶を打った。
「セレネっ……!」
その名を聞いた瞬間、シンの全身から一気に血の気が引いた。世界の色が音を立てて消え去り、思考のすべてが真っ白に染め上げられる。
シンは一目散にその場を駆け抜け、視線の先にある光景を見た瞬間、彼の心臓は凍りついたように止まった。
そこには、腹部を真っ赤な鮮血に染め、広がり続ける血の海の中でぐったりと倒れ伏しているセレネの姿があった。
「セレネッ……!」
シンは自分の衣服が血に濡れることなど気にする余裕すらなかった。文字通り這うようにして彼女のもとに駆け寄ると、震える両手をその傷口に当て、持てるすべての魔力を注ぎ込んで治癒魔法を叩きつけた。
(治れ……! 頼むから、塞がってくれ……っ!)
シンの懸命な魔力により、セレネの腹部の裂傷はみるみるうちに塞がり、肉体的な傷自体は消えていく。しかし、失われた血の量が多すぎた。彼女の顔立ちは青を通り越して、すでに生気のない真っ白な色に変貌していた。
「おい、しっかりしてください……! 目を覚ましてくれ、セレネ!」
シンの必死の呼びかけに、セレネの長い睫毛がわずかに震え、ほんの一瞬だけ重い瞼を持ち上げた。彼女は目の前で青ざめている少年の顔を見ると、力の抜けた声で、どこかおかしそうにふっと微かに笑った。
「……そんな、顔……初めて、見たわよ……っ」
「馬鹿なことを言わないでください! 血が……血が足りない……!」
シンは血走った目でセレネの指を見ると、その指にはめられた収納魔法の指輪にすがりつくように触れた。
「セレネ、収納魔法の中に薬がありますね……! 動かないでください、僕が取ります」
指輪から放たれる微かな魔力を手繰り寄せ、シンは中からエルフの里に伝わる秘蔵の最高級回復薬を取り出した。すぐにそのコルクを歯で引き抜き、セレネの震える唇へと含ませる。
薬を飲まされたセレネは、一時的に苦しげな表情を浮かべたが、次の瞬間、エルフの秘薬が持つ強力な生命力が彼女の体内で爆発的に巡り、顔色にわずかに血の気が戻ってきた。
最悪の死地からは辛うじて引き戻した。それを確認して、シンはわずかに安堵の息をもらすと、すぐに背後に控えていたミズキへと振り返った。
「ミズキ様、申し訳ありませんが……セレネのことを見ていてあげてください。それと、あなたもその薬を少し飲んでください。先ほどの傷の負担が少しは楽になるはずですから」
そう告げると、シンは床に転がっていたもう一つの薬瓶をミズキへと手渡し、ゆっくりと立ち上がった。
彼の纏う空気は、先ほどまでのものから変質していた。
シンがゆっくりと振り返ったその瞳には、理性の光が完全に消え去り、底知れない殺意の炎だけが静かに、しかしはっきりと燃え盛っていた。
あいつだけは……絶対に、この手で地獄に叩き落とす。
シンの頭の中で、護るべきものを脅かす外敵に対する冷徹な処刑宣告だけが、激しくこだましていた。
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