65話
静まり返った牢獄の廊下に、敵の意識を奪う鈍い打撃音だけが、不気味なリズム刻むように響きわたっていた。
シンは睡眠不足で油断しきっていた残りの見張りたちも次々と正確な急所を突いて無力化し、全ての拘束と無力化を完璧に成し遂げた。
手際よく神官たちの懐から鉄格子の鍵を回収したシンは、重い金属音を立てないよう慎重に鍵穴へ差し込み、一つずつ丁寧に檻の扉を開放していく。
ガチャリ、と重苦しい鉄扉が開く音が静かな地下区画に響き、驚いて何人かの住民や神官たちがピクリと目覚めた。しかし、シンが素早く口元に人差し指を当てて静かにするようにジェスチャーを送ると、彼らは事態を察してぐっと息を呑み、声を押し殺した。
シンは掌の微細なサーチで周囲の状況を入念に探り、他に近づいてくる生体反応が一切ないことを確認すると、かすれた低い声で囚人たちに語りかける。
「皆さんを助けに来ました。これから両手にはめられている魔力封じの枷を外します。……ですが、今は一刻を争う状況です。まずは武器を持って自衛や戦闘ができる方を優先して解放しますので、全員で一丸となってこの地下から脱出しましょう」
その現実的でありながらも力強い言葉を聞いた瞬間、絶望に染まっていた囚人たちの瞳に、次々と強い希望の光が灯った。
シンは立候補した屈強な男たちの腕に嵌まった頑丈な枷を、愛刀『風切』の鋭い切先と精密な魔力制御で次々と断ち切っていく。両手が自由に動かせるようになった者たちに、気絶させた神官から剥ぎ取った剣や槍などの武器を次々と手渡した。
「武器の扱いは大丈夫ですか? こちらです。脱出経路ではなるべく敵との接敵を避けますが、万が一どうしようもない事態になった時は、皆さんのお力を貸してください。それと、道中で怪我をした方がいたら、遠慮なく僕に声をかけてくださいね」
指示を出し終えると、シンは水路の外で待機しているセレネへ計画の始動を合図するため、自分の魔力をごく微量に混ぜ込んだ治癒の光を水路の水流へと流し込んだ。
「よし、行きましょう。僕が先頭を走ります」
シンは解放された住民の先頭に立ち、地下水路の出口へ向かって静かに、しかし淀みのない足取りで駆け出した。
しかし、しばらく進んだ十字路の先で、微かな敵の生体反応が接近してくるのをシンのサーチが捉えた。戦闘を避けることはもはや不可能と判断したシンは、すぐ後ろを走る護衛騎士の男へと振り返り、短く鋭く声を飛ばす。
「――この先の角を曲がった直後、敵が来ます。僕が先頭の1人を一瞬で叩くので、もう1人の対応をお願いします!」
「分かった、任せろ!」
男の力強い返事を確認した瞬間、シンは床を強く蹴り込み、一気に爆発的な加速をつけて角を飛び出した。
「なんだ、おま――」
「ぐわっ……!」
通路に飛び込んできた敵の神官が驚愕の声を上げたその隙を逃さず、シンは『風切』の峰打ちを神官の鳩尾へと正確に叩き込み、激しい衝撃で昏倒させる。
同時に、シンの動きに呼応して飛び出した護衛騎士が、もう一人の敵の側面へと強烈な拳を叩き込み、見事に気絶させた。
「お見事ですね」
「あなたこそ、完璧なタイミングでした!」
シンは素早く倒れた敵を縄で縛り上げて完全に拘束すると、その隙に奪い取った武器を、後ろで戦える態勢を整えていた別の男性へと即座に手渡した。
――その頃。
地下水路から離れた地上では、セレネが水路から送られてきたシンの微かな魔力の波を肌でしっかりと受け取っていた。
「……シンからの合図ね。なら、私も一気に動くわ!」
彼女は一瞬たりとも時間を無駄にするまいと、走り出したまま両手の指先で複雑な魔力の紋様を幾重にも重ね、高位の呪文を猛烈な勢いで収束させていく。
敵に見つかる前に、一撃のもとにあの忌々しい水晶を粉砕しなければならない。膨大な風の魔力が彼女の周囲で激しく渦を巻く。
一気に駆け抜けたセレネが街の中心部である噴水広場へと飛び出すと、そこにいた見張りの神官が異変に気づいて「なっ、おいお前!――」と叫ぼうとした。だが、その声をあげる暇すら与えない。
「遅いわよ!」
セレネは鋭く言い放つと同時に、溜め込んだすべての魔力を一点に凝縮し、とっておきの高威力の魔法弾を真っ直ぐに放った。
狙いたがわず、青く光る魔法弾は一直線に噴水の底へと突き進み、街全体を覆っていた核である『結界の水晶』へと激突した。
バキイイイッ……! と、ガラスが粉々に砕け散るような耳をつんざく高音が響き渡り、頑丈な水晶は一瞬にして無数の細かい破片へと粉砕された。
だが、水晶が破壊されたその瞬間、周囲の景色がまるで陽炎のようにぐにゃりと歪み、信じられないような異変が起こり始めた。
街を守っていたはずの美しく平和な石畳や建物が、まるで幻影だったかのように次々と溶けるように消え去っていく。その代わりに目の前に現れたのは、あちこちに血痕が残り、無残に破壊し尽くされた生々しく荒廃した実際の街並みだった。
それだけではない。先ほどまで人間として怯えていたはずの神官たちの姿が、ぐにゃりと肉体を膨らませ、おぞましい牙と異形の手足を持つ醜悪な魔物の姿へと次々に変貌を遂げていく。
「な……なにこれ……」
目の前で繰り広げられる悪夢のような光景を目の当たりにし、セレネはあまりの衝撃に息を呑み、その場から一歩も動けなくなって言葉を失った。
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