60話
静まり返った白い神殿の裏影で、嘘と疑念の糸が冷たく絡まり合う。
「ちょっと、シン! いったいどういうことよ? さっきのレリックとの会話で、なんで勝手にヴェールダンへ行くなんて嘘をついたのよ!」
神殿の裏側へと引っ張ってきた直後、セレネは不満を隠せない様子でシンにつめ寄った。
シンは周囲を鋭く見回しながら、声を極限までひそめて答える。
「声を落としてください、セレネ。……どうも、レリックの言葉の端々に、あまりにも不自然な点が多すぎたので、あえてその場で探りを入れたんです。確認ですが、水の巫女であるミズキ様は、普段はどのような性格の方でしたっけ?」
「えっと……ミズキをひとことで言うなら、とにかくマイペースよ。自分のペースを絶対崩さない性格だったはずだけど」
「ですよね。失礼ですが、テラ様やレナ様のような強い責任感を持つ方ならいざ知らず、マイペースなミズキ様が、わざわざ自ら率先して前線の危険な場所に飛び出すでしょうか?」
その若干失礼ではあった指摘に、セレネは「はっ」と息を呑んで目を見開いた。
「それに、もう一つ決定的な違和感があります。最初、レリックが現れた時、僕たちはまだ名前すら名乗っていませんでしたよね? それなのに、彼は最初からセレネのことを『風の巫女様』と正確に呼んでいました」
「っ……! 確かに、私たちはまだ名乗っていなかったわね……!」
「精霊の森の外へ滅多に出ないはずのセレネのことを、なぜあの神官が最初から知っていたのか。そして極めつきは、火山の件です。火山の神殿で法具が関係しているなんて機密は、火の巫女さまとその側近たちしか知り得ないはずです。それを外部の人間であるレリックがあのように正確に知っているなんて、まともな手段で情報を入手したとは到底思えません」
シンの分析を聞き、セレネは血の気が引くような顔で両手を押さえた。
「っ!! まさか、この街が平和に見えるのも……魔物に関係しているの!?」
「断言はできませんが、その可能性は極めて高いです。もしくは、かつて砂漠の遺跡で僕たちの前に現れた、あの黒ローブの男の影があるか……」
「それじゃあ……ミズキはっ!?」
「最悪の場合、何らかの理由で街から追い出されているか、あるいはすでに敵の手に落ちている可能性もあります」
「そんな……! もしそうなら、一刻も早く助けに行かないと……!」
「ええ、もちろん安否の確認は必須ですが、今のままでは圧倒的に情報が足りません。だからこそ、こうしてこの街の神殿に踏み込んだわけですからね」
セレネがゴクリと唾を飲み込む。
「それって、どういうこと……? まさか、あなた……」
「はい。今からこの神殿の内部に隠密潜入します。レリック、あの男はどうにも怪しいので少し探りを入れてみます。」
「でも、一人で潜入するなんて危険すぎるわよ! 私も一緒に――」
「いいえ、セレネにも手伝ってほしい重要な役割があります。もう一度、あの神官たちの注意を神殿の表側に大きく引きつけてほしいんです。理由はなんでも構いません。しばらく派手に時間を稼いでください」
「わかったわ……! 私に任せて、うまくやってみるから、気をつけてね、シン!」
シンの計画を即座に飲み込んだセレネは、わずかに息を整えると、堂々とした足取りで神殿の表側へと引き返していった。
数秒後、表の方から「ちょっと、レリック様もう一度お話を……!」とセレネの澄んだ、しかしわざとらしく響くような声が聞こえてくる。神官たちのざわめく声が表で大きくなったのを確認し、シンは迷いなく動いた。
神殿の無機質な石造りの外壁に近づくと、シンは全身に微弱な治癒魔法の応用である身体強化を巡らせ、軽やかな身のこなしで垂直な壁を蹴り上がり、屋根のわずかな隙間から音もなく内部へと滑り込んだ。
天井の梁の上に身を潜めると、シンは周囲の気配を殺しながら、掌からごく微小に分解した治癒の光を霧のように下界へと静かに散布する。
(よし、広範囲の疑似サーチ展開……っと)
微細な魔力の波が神殿内を埋めるように広がり、下の階で神官たちがセレネの対応に追われて一箇所に集まっているのが頭の中に鮮明に映し出された。他に周囲を巡回している人間の気配がないことを確認すると、シンはすっと梁から音もなく廊下に降り立ち、すぐ近くの開いていた部屋へと身を滑り込ませた。
そこは神官たちが着替えるための控え室だったらしく、壁際には予備の神官服がかかったクロークが置かれていた。
「……少し借りていきます。すみません」
心の中で軽く手を合わせると、シンは手早く自分の上着の上から神官服を羽織り、周囲に溶け込む偽装を整えた。
さらに、侵入経路と万が一の脱出路を確保するため、すぐ近くにあった廊下の窓の鍵をそっと外し、いつでも飛び出せるように準備しておく。
準備を終えたシンは、サーチの魔力を維持したまま、足音を完全に消して神殿の奥深くへと歩みを進めた。
しばらく複雑な廊下を進んだ時だった。壁一枚挟んだ向こう側から、聞き覚えのある老いた声が低く響いてくる。
(……レリックの声だ)
シンはさらに息を殺し、足音を完全に断ちながら、おそらくレリックの執務室であろう部屋の扉へと慎重に近づいた。壁に密着すると、部屋の中の会話が以前よりもはるかに鮮明に、はっきりと耳に飛び込んできたのだった。
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