58話
先日のゾンビ襲撃の際、一言の相談もなく突然荷物のように担がれ、さらには二階の窓から豪快に飛び降り脱出させられた件について、セレネの機嫌は底なしに悪かった。とにかく悪い。文字通り、話しかける者を寄せ付けないほどの険しいオーラを全身から放っている。
「あの……セレネ……さん?」
シンが恐る恐る、うかがうように機嫌を取ろうと声をかける。
「なに!」
セレネは一瞬でツリ目になり、怒気を含んだ鋭い返答を叩き返してきた。さすがにこれほど怒らせてしまったのはばつが悪いと感じたシンは、冷や汗を流しながら
「その……十分な説明もなしにあんな荒っぽい真似をして、本当にすみませんでした」
と平身低頭で謝罪する。だが、セレネはなおも頬をぷうっと大きく膨らませたまま、そっぽを向いて口をきいてくれない。
気まずい空気のままトボトボと歩き続けるそんな道中、ゴトゴトと車輪の音を立てながら、後ろから1台の商用馬車がゆっくりと追い抜いていこうとした。
「おや、旅人かい? うちはリプルズの街まで向かうところなんだけど、良かったら荷台に乗っていくかい?」
御者台に座っていた気さくな雰囲気の若い青年が、気にかけて声をかけてくれた。
シンはどうしたものかと、隣で不機嫌そうにしているセレネの様子をそっと窺うが、セレネは腕を組んだままむすっとした顔でだんまりを貫いている。ありがたい申し出だったため、シンは青年に頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えても良いでしょうか?」
「もちろんいいとも! 積み荷があるから少し狭いけど、後ろの荷台に乗ってくれよ」
青年の快い返事とともに馬車がピタリと停車し、シンはまだ機嫌の直らないセレネを気遣いながら、一緒に揺れる荷台へと乗り込んだ。
馬車が再び動き出すと、狭い荷台の上でシンは御者台の青年と他愛のない世間話を交わす。
「いやあ、この辺りも最近は魔物の動きが少し変でさ、こうして旅人を乗せるのも久しぶりなんだよ」
「そうなんですね。僕たちもつい先日、とある村で散々な目に遭いまして……」
そんな風に会話が弾んでいる最中、道に転がっていた大きな石を馬車の車輪が踏み越えた拍子に、ガタッ! と車体が大きく跳ねた。その衝撃で、荷台の隅に積まれていた木箱の位置がずれ、蓋の隙間からふわりと鼻腔をくすぐるような、濃厚で芳醇な甘い香りが周囲に広がった。
「あ、これ……」
香りに敏感に反応したセレネが、思わずといった様子で小さくつぶやき、木箱のほうへと視線を落とす。
振り返った御者の青年は、香りの出どころに気づくと楽しげに振り返って説明してくれた。
「お、それに気づいたかい? それは西のエルフが住む深い森の特産果物さ! 運よく森の入り口付近で知り合いのエルフ商人から直接買い付けることができてね、これからリプルズを含めて各街に卸しに行くところなのさ」
「へえ、エルフの果物ですか。エルフの人たちは基本的に森から出ない閉ざされた種族というイメージがありましたが……」
シンが興味深そうに尋ねると、青年は手綱をさばきながら得意げに頷いた。
「一般的な大多数のエルフはそうらしいんだけどさ、一部の一風変わった者たちは、村全体の発展のために商売で森から出たり、あるいは最先端の魔法の探求のために外の世界へ飛び出したりする者もいるって聞いたよ。俺が知り合ったのも、まさにそういったアツい商売気質のエルフたちさね」
「……」
青年とシンの会話の最中も、セレネはトロリとした甘い香りを放つその果物を、まるで吸い寄せられるようにじっと見つめていた。大好物である果物の魅力には、さすがの彼女の機嫌も抗いきれないらしい。
その様子を横目でしっかりと捉えたシンは、クスリと小さく笑うと、御者の青年に向かって穏やかに頼み込んだ。
「あの、もしよろしければ、その果物をいくつか僕たちに購入させていただけないでしょうか?」
「おっ、いいよ! ちょうど仕入れ分だし、旅の道連れだ、少しばかり分けてあげるよ!」
青年は快く取引に応じてくれ、シンはその場で代金を支払い、お目当ての果物を手に入れたのだった。
受け取った果物をそっと差し出すと、セレネはちらりとそれを見て、それから照れくそうに目を伏せた。
「……シン……」
「これ、今日の夜にでも宿でゆっくり食べましょうか」
「うんっ!」
さっきまでの不機嫌さが嘘のように吹き飛んだセレネは、一転して花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、何度も大きく頷いてみせた。
険しかった空気がすっかり柔らかくなった車中で、二人はゆっくりと進む馬車の心地よい揺れに身を任せながら、次の目的地であるリプルズへの道のりを進んでいくのだった。
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