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56話

「……行きますよ、セレネ」

「ええ、気をつけてね」


シンとセレネは、先ほどの治癒魔法によるサーチが捉えた奇妙な違和感を確かめるため、念のために愛刀『風切』や杖を手に取り、静まり返った宿の外へと再び足を踏み出した。

夜の村は不気味なほどに静かで、出発の際に受付にいたはずの宿屋の店主の姿も見当たらない。どこかに出かけているのか、それとも最初からいなかったのか。シンは手元のランタンの明かりを慎重に絞り、周囲を警戒しながら村の小道を歩いていく。


しばらく進むと、前方の薄闇の中に一つの人影が見えた。


「あそこに誰かいます……」


セレネが声をかけようと一歩踏み出した瞬間、シンはスッと手を伸ばして彼女の肩を掴み、その動きをピタリと制止した。


「待ってください。様子がおかしいです」


よく見ると、その人影は尋常ではない前傾姿勢のまま、まるで操り人形のように上半身を大きく揺らしながらふらふらと歩いていた。足取りもおぼつかず、はじめはただの酔っ払いかとも思われたが、関節の曲がり方や不規則な痙攣は人間のそれではない。あまりの挙動の気味悪さに、これ以上不用意に接触するのは危険だと判断した二人は、光量をさらに抑えて別の小道へと迂回した。

しかし、少し歩いた先で、事態がただ事ではないことを思い知らされる。


「……っ、この臭いは……」


別の建物の陰から聞こえてきたのは、絞り出すような低いうめき声と、鼻腔を突くかすかな腐臭だった。それは明らかに、正常な人間が発する声でも、生きている者が纏う匂いでもない。二人の警戒レベルは一気に跳ね上がった。


「これはマズいですね……。まともな状態じゃない。一度宿に戻って荷物をまとめて、すぐにこの村を出ましょう」


シンが小声で早口に告げ、二人が静かに踵を返した、そのコンマ数秒後だった。

ガサリ、と曲がり角の建物の陰から、突如として別の人影が飛び出してきた。


「きゃっ……!?」


突然の襲来に、セレネは反射的に小さな悲鳴を上げる。

咄嗟にシンが手元のランタンを向け、その顔を強烈な光で照らし出した。


そこに浮かび上がったのは、生きた人間の顔ではなかった。皮膚は死者のように青白く、血走った眼窩の奥には光がなく、ただ濁った虚無だけが広がっている。


「――ゾンビ、ですか……!」


シンは瞬時に判断を下すと、ためらうことなくセレネを後ろへと強く引き寄せ、迫りくるゾンビの鳩尾めがけて鋭い蹴りを叩き込んだ。

ドゴッ、と重い肉のぶつかる音が響き、ゾンビは勢いよく背後の地面へと転がり倒れる。


「セレネ、しっかりしてください!」


呼びかけるが、セレネは突然の恐怖と異様な光景に顔を引きつらせ、わずかに涙を浮かべたまま硬直していた。返事はない。

周囲の暗がりからは、ぞっとするほどの数の足音やうめき声が、じわじわと近づいてくるのが聞こえていた。これ以上ここで足止めを食らえば囲まれる。


「……っ、掴まっていてください!」


シンは硬直しているセレネを迷うことなく素早くお姫様抱このように抱え上げると、宿へと向かって全速力で駆け出した。

道中に現れるゾンビたちは、強烈な蹴り飛ばし、あるいはセレネが走れるようになってからは鞘をつけたままの『風切』で殴りつけて強引に排除していく。


「はぁ、はぁ……っ!」


息を切らしながら宿に滑り込んだシンは、扉を閉めるとすぐに見取りにあった重い木製の棚を引っ張り、入口をしっかりと固定した。


「……っ……、はぁ……。一体、あれは……いったい何だったの……?」


宿の床にそっと下ろされたセレネは、ようやく現実に戻ったように荒い息をつきながら、震える声で呟いた。


「原因はわかりませんが……間違いなく、あの村人たちがゾンビ化していました。家屋から人の気配がしなかったのは、最初から全員が……いや」


シンは歯をくいしばりながら状況を分析する。


「ただ、状況が分からない以上、元に戻せるのかどうかも不明だし、むやみに全員を倒して回るわけにもいかないわね……」

「ええ。それに、悠長に調べている暇はありません。大量のゾンビに囲まれてしまったら、逃げるのも戦うのも一苦労ですから、一度この村を出ましょう!」


二人は素早く旅支度を整え、意を決して入口のほうへと向かおうとした。

その瞬間。

ドスッ! ドンッ!

と、宿の頑丈な木の扉の外側から、何者かが激しく体をぶつけてくるような凄まじい衝撃音が響き渡った。先ほどよりも濃厚な腐臭が、隙間から部屋の中へと流れ込んでくる。


「うわぁ……もう来てますよ……!」

「嘘……どうするの、シン!?」


切迫した表情で問いかけるセレネに、シンは即座に周囲を見回した。入口はすでに塞がっているが、外からの圧力でいつ破られるか分からない。


「ここじゃ持ちません。2階に行きましょう! 階段を塞げば、いくらか時間は稼げます!」


二人は迷うことなく、音を立てないように急いで2階へと駆け上がった。

廊下に面した部屋から椅子や重い木製の家具を次々と引きずり出し、階段の上から転がり落とすようにして通路をガッチリと塞ぐ。

そして、逃げ道を確保するため、シンが2階の窓をそっと押し開けた。

しかし、その窓から下を覗き込んだ瞬間、二人は血の気が引くような光景を目の当たりにする。宿の真下の入口周辺には、すでに逃げ場を失うほどの大量のゾンビたちが、群れをなして埋め尽くすように密集していたのだった。

読んでいただきありがとうございます!

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