55話
リプルズへと続く長い旅の途中、広大な田畑の広がりの奥に、ひっそりと佇む小さな村が見えてきた。連日にわたる過酷な野宿で身体の疲労も溜まっていたため、二人は今夜こそ温かいベッドで休もうと、その村へと足を踏み入れることにした。
村全体はどこか閑散として活気がなかったが、少ないながらも細々と旅人の往来はあるようで、村の外れにはこぢんまりとした小さな宿が営業していた。
宿の主人は無愛想ながらも部屋を用意してくれ、チェックインを済ませた二人は食堂で夕食をとる。出された料理は見た目こそ簡素だったものの、根菜がゴロゴロと入った具沢山のスープは冷え切った体に染みる驚きの美味しさだった。
夕食を終えても就寝まではまだたっぷりと時間があった。部屋に戻るなり、シンは休むどころか、いつもの癖で新しい治癒魔法の活用方法についての模索を始めてしまう。
「ねえ、少しは旅の疲れを癒やしたらどうなの? 本当に休まない人ね……」
ベッドの端に腰掛けたセレネは、あきれ顔で大きなため息をつきながらも、どこか呆れたような優しい視線をシンに向ける。
「せっかく落ち着いて作業できますからね。新しいアイディアを試してみたいんです」
シンはそう言って笑い、手のひらの上に淡い緑色の光を集中させた。先日の戦闘やこれまでの経験から編み出した「治癒ボール」の応用だ。
今回は、手のひらの上に作り出した球状の治癒魔法を、そのまま維持するのではなく、指先で微細にコントロールして砂粒ほどの大きさの粒子へと徹底的に分解し、周囲に散布するという試みだった。
シュウッと音もなく空気中に放射された無数の微小な治癒魔法は、部屋の隅々までふわりと広がっていく。想定としては、空間全体に展開することで、範囲内にいる負傷者を一斉に癒やす回復魔法のエリアヒールを真似てみたが、実際にやってみるとそれだけにとどまらなかった。
散布された魔力の粒子が、空間のわずかな揺らぎや、周囲に存在する生き物の生命反応を敏感にキャッチし、シンの脳内へと微弱なフィードバックとして返してくる。
「……なるほど。これ、周囲の状況を把握する疑似的なサーチにも使えますね」
「敵の隠密を暴くには面白そうだけど……それじゃあ、うっかり敵まで回復させちゃうんじゃない?」
セレネが少し苦笑いをしながら突っ込むと、シンは「確かにそうですね」と頷いてみせた。
「それなら、治癒効果を限界まで削ぎ落として、純粋な魔力の感知だけに特化させれば、索敵として十分に実用できそうです」
さらなる可能性を感じたシンは、次なる実験へと移行した。
「次は、治癒魔法そのものの密度を高めて、回復効果の限界値をどこまで上げられるか試してみます」
今度は粒子にせず、手のひらの上で圧縮した一つの治癒ボールに、絶え間なく自分の魔力を注ぎ込み続ける。
ギュウウッと凝縮されていく緑色の光は、見る見るうちに眩しさを増し、中に込められた魔力濃度が跳ね上がっていく。それとともに、治癒の効能そのものは想定通りに強化されていった。
だが、一定の濃度を超えた瞬間だった。
ピキッ、と空気が裂けるような音が響き、治癒ボールを素手で支えていたシンの手のひらの皮膚が、凝縮された高すぎる魔力に耐え切れず、自ら裂けて鮮血が飛び散った。
「――っ!?」
「シン……っ!」
想定外の激痛と突然の自傷に、セレネは驚愕の声を上げ、ベッドから慌てて跳ね起きるようにシンのもとへと駆け寄った。
シンも冷や汗を流しながら、急いで魔力の出力を落とし、一気に治癒魔法を解除する。
「急に魔力濃度を上げすぎたせいで……自分の身体が、その異常な高密度な治癒効果に耐え切れなかったみたいですね……」
荒い息を整えながら、シンは自分の左手を見つめる。幸いにも出血は止まったものの、傷はそのまま残っており治癒魔法をかけても傷がふさがらない。
「治癒魔法で怪我をするなんて、聞いたこともないわよ……。しかも傷がふさがらないって…いったいどうしてこんなことが…?」
セレネは心配そうにシンの顔を覗き込み、傷部に手際よく包帯を取り出して丁寧に包帯を巻き上げた。
痛む手を抑えながら、シンは首を傾げる。
「魔力の出力を上げれば何でもいいってもんじゃない、か……。コントロールの精密さがまだまだ足りないってことですね。それに傷がふさがらないなんてどういうことだろう。」
「実験はこれくらいにしておきなさいよ。今夜はもう寝る時間よ、シン」
セレネの呆れを含んだ優しい忠告を受けつつも、シンはどうしても気になっていた最後の実験を試みることにした。先ほどの粒子状にした魔法による「疑似的なサーチ」が、屋外の広範囲でどこまで通用するのかを確かめたかったのだ。
「最後に一度だけ、外で試させてください。すぐ戻りますから」
「まったく……気になると止まらないんだから。気を付けてよね」
シンは上着を羽織って部屋を出て、そのまま外へと足を踏み出した。
ひんやりとした夜の風が頬を撫でる中、シンは両手を軽く合わせ、微細に分解した治癒の光を夜空へとふわりと解き放った。
緑色の光の粒子は、まるで微細な光の精霊のように細やかに舞い上がり、静まり返った村全体の空気に溶け込むように広がっていく。
シンは目を閉じ、全身の感覚を研ぎ澄ませて、その光が捉えた魔力の反応を頭の中で組み立てていこうとした。
しかし、その直後だった。
シンの脳裏に流れ込んできたフィードバックの感触に、彼は思わず目を見開き、息を呑んだ。
(……え……?)
奇妙なことに、この時間の農村であるはずなのに、家々の外、それも暗がりの中に、異常なほど多くの人間がひしめくように存在しているのが判明したのだ。
しかも、どの家からも生活の気配や灯りは一切漏れていない。真っ暗闇の中で、彼らは一体何をしているのか。
(この時間に、灯りもつけず、こんな大人数が外に……?)
背筋に冷たいものが走るような強烈な違和感を覚え、シンは急いで宿へと引き返し、部屋で待っていたセレネへと真っ直ぐに向き合った。
「セレネ、ちょっといいですか……? この村、何か変です」
「どうしたの、急に真面目な顔をして」
シンのただならぬ気配に、セレネもすっと表情を引き締める。
「外でサーチを試したら、この時間の村に、灯りもつけずに外をうろついている人たちが大量にいるんです。……ちょっと、二人でこの村を探索してみましょう」
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