42話
イグニスでの一件から次の目的地ヴェールダンへ向かう旅、数日間の移動の末、二人は砂漠地帯の玄関口に位置する小さな宿場村へとたどり着いていた。乾ききった熱風が吹き抜ける村の食堂は、これから砂漠へ挑む者や、そこから命からがら逃れてきた者たちで異様な熱気を帯びている。
木製の粗末なテーブルに向かい合い、シンは冷えた果実水の入った木コップを静かに見つめていた。
「ふぅ……歩き詰めの体に、この冷たさは沁みますね。セレネ、少しは疲れが取れましたか?」
グラスを軽く傾けながら、シンは柔らかな笑みを浮かべる。対面に座るセレネは、軽く濡れた前髪を指先で払いながら小さく息を吐いた。
「ええ、おかげさまでね。それにしても、ここから先は本格的な砂漠地帯よ。気を引き締めていかないと、本当に命がいくつあっても足りなさそうね。」
旅の疲れを癒やす束の間、その平和な空気を切り裂くように、店の一角でけたたましい怒号と悲鳴が入り混じった。
「おい、冗談じゃねぇぞ! ヴェールダンはどうちまったんだ!」
「知らねぇよ! 俺たちが脱出したときには、もう街の周りが真っ黒な砂嵐にすっぽり包まれちまって……!」
血相を変えてまくし立てる男の周囲に、客たちが群がっている。ぼろぼろになった衣服、恐怖に引き攣った顔、その只ならぬ様子にシンとセレネは自然と視線を合わせた。
「ヴェールダン……。テラさんがいる街ですね」
シンの声から鋭い緊張の色が帯びる。セレネもまた、美しい眉を険しくひそめてうなずいた。
「ええ。一体何があったのかしら?」
男の必死な叫び声が、食堂の隅にいる二人の耳にもはっきりと飛び込んでくる。
ヴェールダンが突如発生した巨大な砂嵐に囲まれたこと、そして、街を潤すオアシスの巨大湖の水が目に見えて干上がってきているという。旅人の男は、街を出た直後にその異常が発生したからこそ、命からがら逃げてこられたと青ざめた顔で語っていた。
イグニスで見せた不自然な異変の気配と酷似している。何より、地の巫女テラの安否が脳裏をよぎり、胸の奥がざわついた。
「……テラさんが心配ですし、イグニスの一件もあります。何か関連性があるかもしれませんね。」
「私も同意見よ。法具に関係するのであれば私たちが力になれるかもしれないわ。すぐに準備をしましょう」
二人は意思を固めると、その日のうちに宿の主人から乾パンと水を購入し、夜明けとともに発つための旅支度を整えた。
◇◇◇◇
まだ夜の帳が完全に上がりきらない早朝、二人は宿場村の門をくぐり、どこまでも続く黄金色の砂漠へと足を踏み入れた。
「うっ……足が、想像以上に沈みますね」
一歩踏み出すごとに、サラサラとした乾いた砂が足首まで容赦なく飲み込んでいく。体重がうまく乗らず、普段の何倍もの筋力を強要される悪路だ。前衛を務めるシンは、すでに額にうっすらと汗をにじませていた。
「砂が深くて足を取られるわね。シン、無理をして足を痛めないように気を付けて」
「大丈夫です、自分はこれくらい……っと!」
警告の声を遮るように、足元の砂塊が不自然に波打った。次の瞬間、足元から漆黒の鱗を持つ巨大な砂漠蛇が鎌首をもたげ、凄まじいスピードでシンの喉元へと突進してきた。
「――っ、速いな!」
咄嗟に身を引いたシンは、背中に担いでいる槌と籠手を構えかけるが、すぐにそれを止めて別の武装へと手を伸ばした。
「砂の上で重い槌を振るうのは、足場が不安定すぎて隙になる……! ならば!」
シンは瞬時に判断を切り替え、背負っていた槌をその場に捨て、鋼の槍を鮮やかな手際で抜き放つ。砂煙を蹴立てて迫る蛇の鋭い牙に対し、シンは重心を低く落として槍の石突を砂地に深く突き立て、軸を安定させた。
「逃がさない!」
ガキィンッ! と硬質な金属音と乾いた衝撃が響き渡る。蛇の頭部を槍の穂先で正確に受け流し、そのまま砂中へと縫い付けるように突き刺した。暴れる魔物の巨体が砂を跳ね飛ばす中、シンは素早く距離を詰めて一閃、急所を貫き沈黙させる。
「見事な対応ね、シン!」
後方から声を飛ばしながら、セレネはすでに詠唱を完了させていた。頭上に浮かぶ無数の氷の結晶が、冷気を纏いながら輝く。
だが、休む間もなく次の脅威が迫る。地面の砂が盛り上がり、今度は巨大な鋏を持ったスコルピオンが二匹、左右から挟み撃ちにするように飛び出してきた。
「次から次へと……! セレネ、左右の足止めを頼みます!」
「任せて!」
セレネが杖を地面に強く打ち鳴らすと、周囲の熱気を切り裂くように奔流の魔法が放たれた。激しい水流が鞭のようにしなり、右側のスコルピオンの足元を激しく打ち据えて、重い巨体を砂ごと凍結させる。
「氷像にしてあげるわ!」
氷結の魔力が瞬時に広がり、右の魔物の動きが完全に封じられる。その隙を見逃さず、シンは左側へと跳び込んだ。
「僕はこいつを片付けます!」
砂に足を取られる悪条件の中、シンは槍を投げつけ、接近戦用の短剣へと持ち替える。スコルピオンが繰り出した巨大な毒の尾の突きを、投げた槍で軌道を逸らし、紙一重で身をひるがえしてかわし、その硬質な甲殻の継ぎ目へと鋭い刃を突き入れた。
「っ……硬い!」
一撃では貫通しなかったものの、シンの腕力と魔力が込められた刃が内部の神経を破壊し、スコルピオンは断末魔の鳴き声を上げながら砂塵の中に崩れ落ちた。
「ふぅ……。砂上を素早く動く魔物を相手にするなら、やっぱり槌や籠手よりも軽い武器の選択が重要ですね」
シンが汗を拭いながら息を整えると、セレネが氷の魔法で残る一匹を完全に撃破し、冷ややかに周囲を見回した。
「油断しないで、シン。上空よ!」
セレネの鋭い叫び声に合わせ、シンが上を仰ぎ見る。頭上の太陽を背にして、巨大な翼を持つ鷲型の魔物グリフォンが、鋭い鉤爪をむき出しにして凄まじい勢いで急降下してきていた。
「空からも!」
シンは瞬時に身構え、今度は武器を長剣へと持ち替える。上空からの奇襲、さらに不安定な砂上の足場という最悪の状況下でも、シンの瞳に迷いはない。
「セレネ、あの翼の動きを止めてください!」
「ええ、今いくわ!」
セレネが両手を掲げ、濃密な冷気を纏った氷の槍を次々と空へと放つ。放たれた氷撃は一直線にグリフォンへと迫り、その片翼を的確に撃ち抜いた。
「グアァァッ!?」
バランスを崩し、急降下の勢いが鈍ったグリフォンに対し、シンはその隙を逃さなかった。落ちてきた氷塊を足場にして、一気に跳躍する。
「もらった!」
渾身の抜刀術が、魔物の硬い羽毛を鮮やかに切り裂き、熱砂のうえに鮮血が飛び散った。グリフォンは大きな羽をばたつかせたまま、激しい砂煙を上げて地面に墜落した。
静寂が戻った砂漠の中で、二人は荒い息を整える。
「ふぅ……次から次へと、よく湧いてきますね。これが砂漠の普通なのか、それとも異常事態だからなのか…。いずれにしてもヴェールダンまでの道のりはさらに険しくなりそうです」
シンが剣の血を払いながら苦笑を浮かべると、セレネは涼しげな笑顔を湛えつつも、その瞳に強い決意の色を宿して前を向いた。
「急ぎましょう、少しでも早くヴェールダンに向かうのよ!」
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