41話
砂塵と熱気の街イグニスに別れを告げる朝、乗り合い馬車の発着所には旅立ちの高揚感が静かに満ちていた。
「それじゃあ、気をつけて行くのよ。また何かあったら遠慮なく私を頼りなさい!」
レナがさっぱりとした笑顔でそう言い放ち、その隣で笑顔を絶やさないギルが大きく頷く。シンとセレネの二人は、これから始まる新たな砂漠への道程に向けて、待合所の馬車の前で二人を見据えて深く頭を下げた。
「レナさん、ギルさん、本当にいろいろとお世話になりました。皆さんの助けがあってこそ、僕たちも旅を続けられます」
シンが誠意を込めてそう告げると、セレネも優しく上品に微笑みながら言葉を添えた。
「私からも感謝するわ。この街の平穏がこれからも続くことを、心から祈っているわね」
セレネの言葉に、レナは少し照れくさそうにしながら、首を横に振った。
「なに言ってるのよ、感謝したいのはこっちのほうよ。シンがあの法具を直してくれなかったら、今頃この街は溶岩の底だったんだから。胸を張りなさいよ、本当にありがとう」
レナのまっすぐな言葉を受け、ギルが二人に近づく。
「そうですよ! 火の巫女様の言う通りです。私もこれからまた行商に出ますが、この街は私にとって大事な故郷です。この街を守ってくださり本当にありがとうございました。また、旅の途中でお会いしたらお声がけください。必ず力になることをお約束します」
「ええ、ぜひお願いします」
名残惜しさはありつつも、これからの旅路に胸を躍らせながら、シンとセレネは乗り合い馬車の扉を開けて乗り込んだ。御者の威勢のいい掛け声とともに馬車がゆっくりと動き出し、窓の外で手を振り続けるレナとギルの姿が、舞い上がる砂煙の向こうへと少しずつ小さくなって消えていった。
ガタゴトと心地よい木の車輪の音を響かせながら、馬車は荒涼とした街道を進んでいく。
車内に腰掛けたセレネは、ふぅっと息をつきながら外の景色を眺めてぽつりと呟いた。
「エルフの村を発ってからイグニスに着くまでの道のりは、ずっと歩き通しだったから……こうして馬車に揺られていると、なんだかすごく新鮮で不思議な気分だわ。今までの旅とは全然違うものね」
セレネの言葉に、シンは新調したばかりの新しい防具の重みを確かめつつ、のんびりとした口調で笑った。
「そうですね。歩く旅も悪くありませんけど、たまにはこういう乗り物に揺られてのんびりするのもいいですねえ。少し贅沢な気分になりますよ」
二人が他愛のない会話を交わしていると、向かいの席に座っていた一組の夫婦が柔らかな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「おやおや、若いお二人は夫婦ですかな?これからどちらへ? 」
温和そうな夫の問いかけに、セレネは少しだけ頬を染めながら、落ち着いたトーンで答えた。
「夫婦って…ただの旅の仲間よ。私たちは東の砂漠のオアシス、ヴェールダンを目指しているのよ。あなたたちは?」
「私たちはね、中央都市のヴェリタスに行く途中なんだよ。娘から子供が生まれたと連絡をもらってね。これから会いに行くところ何ですよ。」
そこから、馬車の中は旅の話題で和やかに盛り上がった。中央都市の賑やかな噂話や、砂漠のオアシスに関する珍しい特産品の話など、夫婦の陽気な語り口に、シンとセレネも自然と笑顔をほころばせる。
道中、何度か荒野の物陰から野良の魔物が姿を現すことがあったが、馬車の前後に控えていた屈強な護衛の冒険者たちが、手慣れた連携で次々と素早く撃退していった。シンも何度か参戦したが、道中は驚くほど平和かつ順調に進んでいく。
そして、イグニスを発ってから数日。
馬車は、巨大な街道の十字路――ヴェリタスへと続く大通りと、ヴェールダンへと続く荒野の小道が分かれる分岐点へと差し掛かった。
「おや、もうここでお別れだね。若いお二人はあっちの砂漠のほうかい? 気をつけて行くんだよ」
「はい、本当にいろいろとお話楽しかったです。そちらも道中お気をつけて」
シンとセレネは馬車から降りると、これまで楽しく会話を共にしてくれた夫婦に深く頭を下げて別れを告げた。車窓から手を振る夫婦の姿が見えなくなるまで見送ったあと、二人は前方に広がる乾いた砂の大地へとしっかりと視線を据えた。
「さてと、ここからはまた自分たちの足で歩く番ですね。セレネ、準備はいいですか?」
「ええ、もちろんよ。砂漠のオアシスなんて初めてだから、どんな場所なのかちょっと楽しみだわ。行きましょう、シン!」
土の巫女が待つという未知の砂漠のオアシス『ヴェールダン』へ向け、二人は新たな一歩を踏み出し、乾燥した風が吹く荒野の道へと歩き出したのだった。
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