3話
初めての執筆になります。
拙作ですが温かい目で見ていただけますと嬉しいです。
地下牢の天窓から差し込む淡い陽光が、冷たい石の床を微かに温めるようになってから、すでに数日が経過していた。
エルフの村の地下に作られたその空間は、本来であれば罪を犯した村人や侵入した賊の処罰のための場所であるはずだったが、そこに収容されているシンは、日課のようになった静かな時間の中で粛々と過ごしていた。
記憶の大半を失っているという現実を受け止めつつも、彼はおろおろと取り乱すことなく、与えられた環境の中で淡々と生活している。
ただ、退屈を持て余しただじっと座るだけの毎日に、シンは少しでも何か生産的なことができないかと考え始めていた。
監視や食事の差入れで鉄格子の前を通りかかる衛兵やセレネの姿を観察しながら、彼は声をかけるタイミングを見計らう。
ある日の昼下がり、交代の衛兵が退屈そうにあくびを噛み殺しながら牢の前を通りかかったとき、シンは穏やかな笑みを浮かべて声をかけた。
「あの、お疲れ様です。もしよろしければ、何か自分にお手伝いできることはありませんか? ずっとこうしていると、体が鈍ってしまって」
初めのうちは、正体不明の不審者に対して目を光らせていた衛兵も、シンの人当たりの良さと棘のない雰囲気にすっかり毒気を抜かれていた。
人間に対する警戒心から冷たくあしらうのが定跡だったはずだが、こうもしつこく穏やかに気遣われては、険しい表情を維持するのも難しい。
「手伝いだと? おいおい、お前はれっきとした容疑者だぞ。牢の中で大人しくしていろ!」
最初は眉をひそめて突っぱねた衛兵だったが、シンのあまりにも自然な親切心に根負けしたのか、手元にあった使い古されたポーチ付きの革のベルトを無造作に外して鉄格子の隙間から押し出した。
「そこまで言うなら、これでも直してみろよ。ただし、変な細工をしたらそれだけで罪が重くなると思え」
「承知いたしました。丁寧に扱わせていただきます」
シンは手渡された革のベルトと簡単な道具を受け取ると、驚くほど手慣れた手つきで作業を始めた。
記憶はないものの、不思議と手の動かし方だけは体に染み付いている。傷んだ部分を綺麗に整え、頑丈な糸でよどみなく縫い上げていく。
その作業の早さと正確さは、素人の域をはるかに超越していた。
わずか十数分後、シンは綺麗に補修されたベルトを差し出した。
「お待たせしました。これなら当分の間、切れることはないはずです」
衛兵は半信半疑でそれを受け取り、縫い目を見て思わず絶句した。それは職人が丹精込めて仕上げたかのような美しい仕上がりであり、乱雑にちぎれていた痕跡すら綺麗に消し去られていたからだ。
「おい、お前……これ、本当にお前が直したのか?まだほとんど時間も経っていないぞ、一体どんな手品を使ったんだ…」
「いえ、ただ縫い直しただけですよ。お役に立てたなら何よりです」
シンが柔らかく微笑んだその時、地下牢の階段を急ぐ足音が響いた。
緊張感のある足取りの主は、シンの監視役を務めるセレネだった。
彼女は日課のように様子を確認しにやってきているが、今日の牢内の様子はいつもと少し違っている。
鉄格子の手前で立ち止まったセレネは、衛兵が手にした真新しい仕上がりの革ベルトと、ちょうど道具を衛兵に返そうとしながら穏やかに微笑むシンを交互に見て、状況を瞬時に察知した。
彼女の美しい眉が鋭く吊り上がる。
「……あなた、何をしているのですか」
その冷ややかで咎めるような声に、衛兵は慌てて背筋を伸ばした。
「い、いや、これはですね、セレネ様。彼が退屈そうにしていたから、ちょっとした雑用を頼んだだけで……」
「いくら看守の許可があったとしても、禁域に侵入した重罪人に私物を預けるなど言語道断です。もし彼がこの道具を使って脱走を試みたり、村の者に危害を加えたらどう責任を取るつもりですか。規律をなんだと思っているのです」
セレネの容赦ない叱責に、衛兵は返す言葉もなく「申し訳ありません……」と小さくなって頭を下げる。
牢の中からその様子を見ていたシンは、困ったような、しかしどこか申し訳なさそうな表情を浮かべると、静かに口を開いた。
「セレネさん、彼を叱らないでください。自分が無理を言って、何か役に立ちたいとお願いしたものですから。彼に悪気はありませんよ」
「……あなたが庇う必要はありません。彼は規律を破ったのですから」
そう返しつつも、セレネの視線は衛兵ではなくシンに向けられていた。
怒られることを恐れる様子もなく、ただ他人のために割って入るその姿勢。人間であり、なおかつ正体の知れない危険人物であるはずの男が、いつの間にか村の衛兵と会話をして物のやり取りまでしている現実。
その光景は、セレネの中で固く築き上げられていた常識を静かに揺さぶっていた。
――この男は、本当に危険な人間なのだろうか。
疑念を抱いていたはずの胸の奥で、別の感情が微かに芽生えるのを自覚しながら、セレネは複雑な思いを飲み込むように小さく息をつくのだった。
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