26話
火の巫女のいる業火の街イグニスへと続く荒野の道中、夜を越すための小さな野営地では、パチパチと薪が爆ぜる音が心地よく響いていた。
周囲を囲む闇は深く、遠くで時折不気味な魔物の鳴き声が聞こえるが、この空間だけは妙に落ち着いた空気に包まれている。
シンは、燃え盛る焚き火の炎から少し離れた岩場に腰を下ろし、目を閉じて深く呼吸を繰り返していた。夜の静けさが訪れると、彼は必ず自分の体内へと意識を向け、魔力の体内循環の訓練を行うことを日課にしていた。
「ふう……やっぱり、まだ思うようには流れてくれない…」
シンが小さく息を吐き出すと、手元の空気がわずかに揺らぐ。体内の中心から引き出した微量の魔力を、自身の血管や神経の経路に沿って巡らせようと試みるが、どうしても途中で散らばってしまう。最初期に比べれば確実にコントロールの精度は上がっているものの、スムーズに全身を循環させるにはまだ壁があった。
だが、思い通りにならないもどかしさを抱えつつも、試行錯誤の過程でシンは新たな技術の芽を見出していた。単に魔力を流すだけでなく、その性質や形状を変化させる面白さに気づき始めていたのだ。
「見ててください、セレネ。ちょっと面白いものができたんですよ」
シンは目を開けると、向かい側に座るセレネに向かってニヤリと笑いかけた。
「面白いものって……何か変なことでも思いついたの?」
セレネは呆れたような、しかしどこか興味をそそられたような複雑な視線を向けながら、カップに注いだ温かいお湯を一口飲んだ。
シンは手のひらを上に向けて差し出し、そこに魔力を集中させる。すると、柔らかな光を帯びた直径数センチほどの小さな球体が、ポンと手のひらの上で形作られた。淡い光を放つその球体は、まるで生き物のように小刻みに脈打っている。
「これはいったい何をつくっているの……?」
「治癒魔法のエネルギーを凝縮して作った球体です。以前から少しずつ試していたんですけど、形を維持したまま固定することに成功したんです。これ、人にくっつけると少しずつ身体に溶け込んで、継続回復の効果を発揮してくれるんですよ」
シンが得意げに説明すると、セレネは思わず目を丸くした。
「待ってよ、シン。私の知っている回復魔法は怪我をした部位に対して直接魔法を展開して注ぎ込むものよ。それを攻撃魔法みたいに形にして、しかも遠隔で継続発動させるなんて、治癒魔法ってそういうものなのかしら…?」
セレネは信じられないといった様子で首を横に振る。しかし、シンの検証はこれにとどまらなかった。彼はさらにその球体を指先で器用に転がし、軽く放り投げてみせた。
「それに、これくらいの投擲なら、遠く離れた場所からでも味方に当てればそのまま即座に効果を発揮させられます。いわゆる、遠隔投擲型の治癒サポートですね」
「治癒魔法の球を……投げつけるの?」
セレネは言葉を詰まらせ、何とも言えない微妙な表情を浮かべた。戦場で傷ついた仲間に、光る球をすごい勢いで投げつけるシンの姿を想像してしまったのか、彼女は小さくこめかみを押さえている。
「なんだか、すごく頼もしいような、でも受ける側としてはすごく嫌な気分になりそうな技ね……。というか、シンって時々すごく斜め上の方向性の発想をするわよね。それって本当に効果があるの?」
「実際に試してみないと分からないですが、自分の中では手応えありですよ。あ、ちなみに名前も考えたんです。『治癒ボール』ってどうですか?」
「その直球すぎるネーミングセンスはどうにかしなさいよ。もう少しこう、神秘的な響きとか考えられないわけ?」
セレネが呆れたようにため息をつくが、その表情にはどこか楽しげな色合いが混じっていた。過酷な旅路にあって、シンの突飛な発想とマイペースな姿勢は、彼女の緊張を自然と解きほぐしてくれる。
「まあ、名前はともかくとして、治癒魔法や回復魔法自体がこの大陸でも非常に希少なものだし、そもそも正しい使い方を知っている人が他にいるのかどうかも怪しいものね。大陸のどこを探しても、あなたみたいに治癒魔法を球体にして投げつける変な男なんていないはずだわ」
「褒められているのか貶されているのか微妙なところですね。でも、色々試してみるとは悪いことではありませんよ」
シンは肩をすくめると、今度はその治癒魔法の扱いに関するもう一つの実験を始めた。彼は治癒魔法を自分自身に向かって放出し、そのエネルギーを体内にではなく、肉体の表面へと纏わせるように意識を集中させた。
パァッと淡い光がシンの全身を包み込む。先ほどまでの球体とは異なり、魔力の質そのものを微かに変化させ、筋肉や神経の反応速度を強制的に引き上げる。
「これは……?」
「治癒魔法を自分に放出することで、怪我を癒すこともできますけど、こうして質を変えることで身体能力を向上させることもできるんです。これなら、前衛での立ち回りが一段と楽になりますよ」
シンの体がわずかに引き締まり、纏う気配が一段と鋭くなる。その変化を目の当たりにしたセレネは、納得したように深くうなずいた。
「なるほどね。その身体能力向上の効果は、前衛として戦うシンにぴったり合っているわ。私を守るためだとしても、あなたが無茶をして傷つくのは嫌だから、そういう自己強化の手段が増えるのは大歓迎よ」
「ありがとうございます、セレネさんにそう言ってもらえると心強いですね」
シンは満足そうに微笑みながら、纏っていた魔力をそっと霧散させた。身体能力が底上げされた感覚が心地よく残っている。
「それにしても、シンを見ていると、魔法の常識なんてあっさり覆せるものなんだって思い知らされるわね。既存の術式や伝統に縛られないからこそ、そんな変な発想ができるのかしら」
「変な発想って言われると少し複雑ですが……でも、自分が生き残るため、そしてこの旅を無事にやり遂げるためには、常識に囚われていられないのも事実ですからね」
シンは立ち上がり、パチパチと音を立てる焚き火の薪を少しだけ突き直した。オレンジ色の温かな光が二人の顔を照らし出し、夜の冷たい風を心地よく遮ってくれる。
「明日も朝早いんだから、あまり無理な実験ばかりして夜更かししないでよね」
「分かってますよ。そろそろ休みます。おやすみなさい、セレネさん」
「おやすみ、シン」
静かな夜の帳の中で、二人はそれぞれの思いを胸に、業火の街イグニスへと続く眠りについた
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