19話
地下牢の硬い椅子に座り、シンは先ほどまでセレネから聞いていた話を頭の中で一つずつ整理していた。
「なるほど……この世界の魔法は、とても奥が深いんですね」
目の前で空の食器をまとめているセレネは、わずかに目を細めてうなずいた。
「大体そんなところよ。まあ、今日すべてを理解しろと言う方が無理な話だわ。続きの詳しい仕組みやどんな魔法があるかについては、また日を改めて教えてあげる。今日はもう遅いし、あなたも寝ていたとはいえ身体も疲れているでしょうから、この続きはまた今度ね」
「ありがとうございます、セレネさん。自分、すごく勉強になりました」
「いいのよ。それじゃあ、私はこれで失礼するわね。食器は下げておくから、明日の朝までしっかり体を休めなさい」
セレネはいつもの丁寧な身のこなしでトレイを抱え、地下牢の重厚な鉄扉へと向かった。彼女が外へと出ていくと、再び牢内には静寂が戻る。
一人になったシンは硬いベッドに腰掛けたまま、先ほど聞いた話を改めて頭の中で反芻していた。
セレネの言葉によれば、この世界における魔法は、ごく普通の人間からエルフやドワーフなど特殊な種族まで、多くの人が日常的に扱える技術だった。しかし、一概に魔法と言っても、長い歴史の中で各種族ごとに形を変え、基本的な元素魔法から、身体能力の強化、他人への補助や妨害に至るまで実に多様な種類が存在している。
エルフたちが使うのは周囲の精霊たちの力を借りて放つ「精霊魔法」と呼ばれるものであり、それ以外にも人間の貴族が血統によって継承する「血統魔法」や、悪魔の使う「呪術」や「外法」と呼ばれる魔法、さらには時間を操るような例外的な魔法まで多岐にわたるという。
そして何より、種族や個人でそれぞれ魔法への適性が存在し、適性のない系統は大量に魔力を使って並以下の効果しか出なかったり、まったく適性のない者は魔法が使えないという厳格なルールがあった。
(これだけ魔法が体系化され浸透しているということは……この世界は、まさに魔法そのものが文明を形作っていると言ってもいいかもしれないな)
シンは納得するように小さくうなずく。この世界のことを知らない自分にとって、この世界の基礎知識は未知の領域であると同時に、純粋な探求心の対象でもあった。
だが思考を止め、我に返ると奇妙な違和感がシンの胸をかすめた。
「……それにしても」
シンは自分の右手をじっと見つめた。ふとした瞬間に脳裏をよぎる、夢とも現実ともつかない光景。エルフの村で見てきた穏やかな自然の景色でもなければ、エルフたちが操るような洗練された魔法でもなかった。無機質で冷たい印象の部屋とモニターに流れる数字や文字の羅列。あれは一体何だったのだろうか。自分の記憶の断片なのか、それともこの世界とはまったく別の場所で見た景色なのか。そして、なぜ自分は表示されていた文字や数字の羅列を文字列と理解できたのか。なぜ文字列が表示されていた物が初めて見るはずなのに『モニター』と認識できたのか。…といくら考えても頭の奥が重く鈍い痛みを訴えるだけで、確かな答えは見つからない。シンは小さく息を吐き出すと、これ以上考えるのをやめて硬いベッドに身を横たえた。
一方その頃、地下牢を後にしたセレネは、静まり返った夜道を歩いて自分の家へと戻っていた。
質素ながらも手入れの行き届いた自宅の扉を開け、灯りをともすと、セレネは小さく息をついて椅子に腰掛けた。静かな部屋の中で、彼女の脳裏には先ほどまでのシンとのやり取りや、村を巡る最近のざわめきが思い起こされていた。
(旅に出ること……か)
ふと、セレネは自分自身が抱き始めている予感について思考を巡らせる。ずっとこのエルフの村と精霊の森を守り、巫女としての務めを果たすことが自分の世界のすべてだった。外の世界に目を向けることなど、これまでの人生において考えたこともなかった。
しかし、異世界からやってきたシンという存在と出会い、ほかのエルフとは違う様子や自分の当たり前が当たり前じゃない様子に、セレネの心境には少しずつ変化が生まれていた。村の外へと旅に出るということ。
それは長年村の安寧を守ってきた巫女の立場からすれば、軽々しく選べる道ではない。まだ具体的にいつ、どうやってという決断が下されているわけでもなかった。
それでも、村の外の世界とは一体どのような場所なのだろうか。自分たちの知らない広大な大地が広がり、まだ見ぬ景色や人々が待っているのだろうか。そんな想像を巡らせた時、胸の奥で微かに波打つのは、不安や躊躇いだけではなかった。
(私、もしかして……少し、ワクワクしているのかしら)
普段は冷静で真面目な自分からは想像もつかない感情に気づき、セレネは思わず苦笑を漏らした。窓の外の夜空には、エルフの村を優しく包み込むように満天の星々が輝いている。まだ見ぬ未来への小さな好奇心を胸に秘めながら、セレネは静かに今日の疲れを癒やすための眠りにつく準備を始めた。
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