18話
長老との緊迫した面談を終え、集会所を辞去したシンは、少し前を歩くセレネへと声をかけた。
「あの、セレネさん。もしよろしければ、この世界の魔法の仕組みについて教えていただけないでしょうか。皆さんが僕の魔法のことを話していても、いまいちピンとこなくて…」
前を歩くセレネは、ふと足を止めて振り返ると、珍しそうに瞬きをした。この世界に魔法は当たり前のように存在する。てっきり魔法のことを知っているものだとばかり思っていたから、少し意外だったらしい。彼女は細い眉をわずかに寄せ、思案するように数秒間の沈黙を挟んでから答えた。
「そうね……。私にとっても、あなたの持つ治癒魔法のことは気になるところよ。けれど、日中は巫女としての勤めがあるから……。そうね、今日の夕方、すべての務めが片づいてからで良ければ、私が一通り教えてあげるわ」
「本当ですか? ありがとうございます、セレネさん」
シンが安堵したように柔らかく微笑むと、セレネはどこか気恥ずかしそうに視線を少しだけ逸らした。
「そんなにお礼を言われるようなことじゃないわ。それに、あなたもこれまでのゴタゴタで疲れているはずよ。今日は牢に戻ったら、余計なことは考えずにゆっくり休みなさい」
そう言い残すと、セレネはいつもの規律正しい足取りで自身の行き先である精霊の森の奥へと向かって歩き出した。シンは引き継いだ衛兵に誘導され、再びあの地下牢へと戻る足を進める。
しかし、その道すがら、広場の近くを通りかかったところで、木の根に足を引っ掛けたのか、そこではしゃいでいたエルフの子供が盛大に転び、ひざから血を流して泣きそうになっているのを目撃した。
「っと……大丈夫?」
シンは反射的に歩みを止め、子供のそばへと歩み寄った。
子供が痛みに顔を歪めた瞬間、シンの手のひらが自然と緑の淡い光を帯びて患部に触れる。次の瞬間、切り傷からタラタラと流れていた血が引き、みるみるうちに新しい皮膚が再生して跡形もなく綺麗に塞がっていった。
「え……?」
子供は痛みが消えたことに驚き、信じられないものを見るように自分の膝を触ってから、パッと顔を輝かせた。
「すごい! 痛いの、一瞬で消えちゃった! お兄さん、ありがとう!」
「よかったです、怪我はすぐに治るものじゃありませんからね。気をつけて遊ぶんだよ」
頭を優しく撫でて立ち上がろうとしたシンの背中に、その光景をずっと間近で目撃していた衛兵が、息を呑むような音を立てて声をかけた。
「おい、今の魔法……もしかして、お前……」
衛兵は少し言いにくそうにしながら、自分の右腕をそっとさすった。
「実はだな……以前、森の巡回で魔物とやり合った時の古傷が、どうにも天気が悪い日や冷える夜に痛んでな。もし迷惑でなければ、その……私の腕も診てもらえないだろうか」
シンは気さくに笑うと、快くうなずいた。
「もちろんです、自分にできることならやりますね」
そう言ってシンが再び手をかざすと、衛兵の長年苦しんでいた古傷もまた、心地よい温もりと共に綺麗に消え去っていった。衛兵は自分の腕を回し、信じられないといった面持ちで深々と頭を下げる。
その後、シンは地下牢へと戻ったのだが、少年や衛兵の怪我が一瞬で治ったという話は、瞬く間に村人たちの間に広がっていった。
気づけば、地下牢の鉄格子の前には、体の不調や古傷に悩む村人たちが次々と列をなして訪れるようになっていた。本来は罪人を閉じ込めるはずの場所が、いつの間にか村人たちの悩みを解決する臨時の診療所のようになってしまっている。
「あの、シン様……。私の腰の痛みがどうしても取れなくて……」
「自分も、最近どうも調子が悪くてな……」
代わる代わるやってくる村人たちの相談に、シンは嫌な顔一つせず、一人ひとりの声に真摯に耳を傾けた。
「できるか分かりませんが、やってみますね」
そう丁寧に前置きをしながら、シンは訪れる村人たちの怪我や体の不調を次々とその手で癒やしていった。地下牢の中から格子の外に手だけ出して魔法を使っている様子はかなり不思議な光景だった。
そして、次から次へと魔法を使い続けるうちに、シンは体の中から何かが消耗する感覚と気だるさを感じ始めていた。
やがて夕方になり、巫女としての勤めを終えたセレネは、シンの様子を確認するために地下牢へと足を運んだ。しかし、いつもならシンが声をかけてくるのに、今日は声がしなかった。
「寝ているのかしら?」と首をかしげながら奥へ進むと、そこには簡易的な寝具にぐったりと横たわり、深い眠りに落ちているシンの姿があった。
「……休みなさいとは言ったけど、この時間に寝ていると夜に寝れなくなるわよ…」
セレネは呆れたように眉をひそめながら、近くにいた衛兵へと視線を向けた。衛兵は複雑そうな表情で、今日起きた経緯をセレネに説明した。
「シンが通りすがりの子供の怪我を魔法で治したのをきっかけに、噂を聞きつけた村人たちが次々に集まってきまして……。次から次へと頼み込むもんだから、彼はそこに来た住民の治療を引き受けてしまって、ついさっき力尽きて倒れ込んだってわけです」
それを聞いたセレネは、あきれたように小さく息を吐き出した。人間への警戒心が強かったはずの村人たちが、いつの間にかシンを頼りにし、彼もまた自分の限界を顧みずにそれに応えてしまったという現実。呆れつつも、セレネの胸の奥にはどこか温かいものがじんわりと広がっていた。
「まったく……人のことばかり気にして、お人好しにもほどがある人ね」
セレネはそう呟くと、微かに微笑んだ。
夜のとばりが下り、牢の中が静けさに包まれた頃、シンはふと目を覚ました。薄暗い視界の中でぼんやりと起き上がると、そこにはちょうど夕食の入った木製のトレイを持って立っているセレネの姿があった。
「あ……セレネさん。すいません、自分から魔法について教えてもらう約束をしていたのに、すっかり寝入ってしまって……その、約束を破ってしまってすみません」
寝ぼけ眼のまま申し訳なさそうに頭を下げるシンに、セレネは少しだけ頬を緩ませながらスープの入った器を机に置いた。
「別に謝る必要はないわ。あなたが村人たちのために無理をしていたことは衛兵から聞いているもの。それにほぼ初めてで何回も魔法を使ったら疲れて当然よ」
セレネの優しげな口調に、シンはほっとしたように緊張を解いた。二人は格子越しに並んで質素な夕食の器を手に取り、静かな地下牢の一角でスプーンを動かし始める。
「それで……約束の魔法の話だけど、食べる手を止めてまで話すことじゃないわ。ご飯を食べながらでいいから、私の話を聞いてちょうだい」
そう言ってセレネは、この世界における魔法の歴史や、精霊と術者の関係性について、一つひとつ分かりやすく語り始めた。シンは温かいスープを口に含みながら、その説明に真摯に耳を傾け、時折「なるほどなぁ」と感心したように相槌を打つ。こうして、シンは初めてこの世界における魔法とは何なのかを知ることになった。
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