10話
ある晴れた昼下がりの静謐を破る甲高い警鐘が、精霊の森の木々を揺るがすように鳴り響いた。警鐘は村の方から聞こえる。
ーー何か緊急事態が起きた
その音を聞いた瞬間、風の巫女であるセレネは嫌な予感に心臓を跳ねさせ、杖を握りしめて村へと駆け出す。だが、彼女が戻るよりも早く、平穏だったエルフの村は突如として混沌の渦へと飲み込まれていた。
村の外壁を軽々と飛び越えて侵入してきたのは、飢えた獣のような凶暴な魔物たちだ。鋭い牙と歪んだ体躯を持つ複数の魔物が、突然の襲撃に混乱する村人たちめがけて襲いかかっていた。
「全員、慌てずに非難しろ! 女性と子供を奥の建物へ誘導しろ!」
遠くから衛兵たちの必死の怒号が飛び交う中、村の広場で修繕作業をしていたシンは警鐘の音を聞き、周りを見渡す。
シンを監視していた衛兵たちは、緊急事態につき村人の避難を誘導すべく走り出そうとした。しかし、監視対象のシンを放置することもできない。
逡巡する衛兵の様子を見たシンは、手早く道具をまとめて衛兵に付き従う。
「僕は逃げませんよ。だから今はすべきことを優先してください。」
その言葉に一瞬躊躇ったが、村人の危機には代えられない。
「…くそっ!ついてこい!」
そして、シンは衛兵たちと連動して動き出す。
「女子供は優先して集会所へ!戦えるものは魔法で足止めをしろ!」
あちこちで上がる悲鳴と混乱の中シンと衛兵たちは避難する人たちと逆走して大きな破壊音がする方向に向かう。その時、逃げていた一人の小さなエルフの子供が、恐怖のあまり足をもつれさせて地面に転げ倒れる。
そして狙ったかのように民家の屋根の上から、血走った目を剥き出しにした巨大な魔物が姿を現し、跳躍の勢いそのままに子供へと牙を向けた。
「危ない!」
衛兵の叫び声が届くより早く、シンが地面を蹴っていた。彼は驚異的な脚力で一瞬にして子供との距離を詰めると、近くに転がっていた柄の長い頑丈な農具を拾い上げ、魔物と子どもの間に割って入る。
ドガァッ!
振り下ろされた巨体の重い一撃を、シンは農具の柄で真っ向から受け止めた。骨が軋むようなすさまじい重圧が両腕を襲うが、彼は一歩も引かない。
「この子をお願いします!」
シンの鬼気迫る叫びに我に返った衛兵が素早く駆け寄り、倒れていた子供を抱え上げて安全圏へと引きずり出す。衛兵が必死の形相でうなずいたのを確認すると、シンの雰囲気が変わった。普段温厚な瞳の奥に鋭い光が宿り、それまでの雰囲気が嘘のように消え去る。シンは力を込めて魔物を押し返すと持っていた農具を槍のように構え、腰の工具入れから修繕用の鋭いナイフを抜き放つ。
「ここから先には通さない」
その瞬間、両者が動いた。襲いかかってきた魔物が放った鋭い爪撃を、彼は紙一重の体捌きでひらりと躱す。ただ避けるだけでなく、すれ違いざまに農具を首元に突き刺し、魔物が離れた瞬間に手近にあった尖った石を拾い上げ、魔物の顔へと強烈な投擲を叩き込んだ。
ガン!と嫌な音が響き、不意を突かれた魔物のバランスが崩れる。巨体が仰け反ったその隙を逃さず、シンは迷うことなく次の行動に移った。
「こっちに来い!でくの坊!」
挑発するように声をかけながら、シンは魔物を誘導するように素早く身を翻す。彼が飛び込んだのは、魔物の襲撃ですでに柱が折れかけ、崩落寸前になっていた古い民家の真下だった。
追ってきた魔物が怒りに任せてその巨体で突撃してくると、シンは直前で地面を蹴って跳躍し、崩れそうな柱を足場にして思い切り蹴り飛ばす。
メキメキメキッ、と耳障りな音を立てて、支えを失った民家の屋根と壁が丸ごと崩れ落ちた。莫大な土煙と瓦礫の山が、突入してきた魔物の巨体を完全に押し潰す。
「ふう…」
息一つ乱さずにつぶやいたシンは、瓦礫からわずかに顔を出した魔物の側面に回り、手に持つナイフで首筋に突き立て、そのまま切断するかのように切り下す。大量の血を流し絶命した魔物を少しだけ見つめ、何も言わずに立ち去る。
その後も武器になりそうなものを拾いつつ移動し衛兵たちと合流。
「シン…無事だったか。っておい!どうしたんだその血は!?」
「怪我はありません。それよりも皆さんは無事ですか?」
「この辺りの避難は完了した。あとは魔物たちをどうにかすれば…」
衛兵が言い切る前に、民家や木々の間から新たな魔物が出現。
周囲を取り囲もうとする他の魔物たちへと冷徹な視線を向ける。そして、飛び掛かる魔物を迎撃しようとシンが踏み込んだ瞬間、風の刃や木の根っこ、土の槍が魔物に襲い掛かる。
村の防衛体制が整い、少しずつ落ち着きを取り戻したエルフたちが反撃のため加勢する。
さらにひときわ大きな竜巻が魔物たちをまとめて切り裂く、
「みんな大丈夫!?魔法で押し返すわよ!」
駆けつけたセレネが、手に持った杖を力強く地面に突き立てた。彼女の叫びとともに、吹き荒れる猛烈な暴風の魔法が敵陣へと叩きつけられ、群がっていた魔物たちの動きが一気に鈍る。
村人たちが放つ無数の魔法が、暴れる魔物たちを次々と押し返していく。
「シン!どうしてここに!?」
セレネは鋭い眼光を魔物に向けたまま、シンがいることに驚く。その間も彼女の纏う風の刃がうねりを上げ、残っていた魔物の巨体を容赦なく両断した。エルフたちの圧倒的な魔法のコンビネーションにより、村を襲った危機は一気に収束へと向かう。
静寂が戻りつつある村の中で、シンは手にしていたナイフを納める。セレネは息を整えながら彼の方へと歩み寄り若干怒った様子で問いかける。
「どうして地下牢に戻っていないの?それにその血は…まさか魔物と戦ったの!」
「えっと…話の成り行きで衛兵の方に同行していまして…。この血は魔物からの返り血なので怪我とではありませんよ。」
ーー長老たちになんて報告したら良いのだろう。
その言葉に頭を抱えるセレネであった。
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