第3話:イザベラの野心、禁術への接触
夜会の煌びやかさが嘘のように、王都の外れには灯りも届かない路地が続いていた。イザベラは、その奥にある古びた扉の前に立つ。
一人でその扉を叩く。
「……お待ちしておりました、公爵令嬢」
扉の向こうから現れたのは、フードを深く被った老婆だった。部屋の中は、薬草と、何か焦げたような匂いが混じり合っている。
「例のもの、用意できて?」
イザベラの声には、いつも夜会で見せる優雅さの欠片もなかった。
「記憶を操る術は、禁術中の禁術。使えば、あなた自身にも相応の代償が降りかかりますが」
「構わないわ」
イザベラは即答した。目には、これまで誰にも見せたことのない、暗い光が宿っている。
「代償とは、具体的に何なの」
「等価交換です。他人の記憶を奪う以上、あなた自身の記憶も一つ、対価として差し出していただきます。どの記憶が失われるかは、術師にも選べません」
「私の、記憶……」
イザベラは、一瞬だけ息を詰めた。それでも、すぐに気を取り直したように頷く。
「いいわ。どうせ、大した思い出なんて残ってない」
「セレスティア様から、ディートリヒ様との記憶を奪って。それで、あの人の心も、私に向くようになるのかしら」
老婆は首を横に振った。
「いいえ。記憶を奪うだけでは、殿下の御心までは動きません。……ですが、お二人には、聖女の儀式によって結ばれた魂の絆があるはず」
「絆……?」
「その絆は、セレスティア様の記憶と分かちがたく結びついています。記憶を奪えば、絆そのものにひびが入る。ひびの入った心は、無防備なもの——そこに、別に魅了の術をかければ、容易く入り込めましょう」
イザベラは息を呑んだ。二つの術が必要だということに、初めて気づかされる。
「魅了の術も、あなたが?」
「それは、また別の代償が要ります」
老婆の声が、一段と低くなった。
「他人の心を、真実の想いを捻じ曲げてまで奪う術。その代償は、あなた自身が、二度と誰からも真実の愛を得られなくなること。……それでも、よろしいですか」
イザベラの喉が、小さく鳴った。想像していたよりずっと重い代償に、さすがに指先が冷たくなる。
けれど、彼女は震える声で、それでも頷いた。
「……いいわ。今は、それでいい」
「賢明な判断とは、申し上げられませんが」
老婆は静かにそう言うと、それ以上は何も言わなかった。
「今日のところは、記憶を奪う分だけ、お持ちください」
老婆は懐から、小さな硝子瓶を取り出した。中には、深紅の液体がゆらめいている。
「対象者の眠りに、これを一滴。それだけで、絆にひびが入ります」
「……ありがとう」
震える手で瓶を受け取ったイザベラの表情には、罪悪感よりも、渇望に近い何かが浮かんでいた。
「これでやっと、私が手に入れる番だわ」
小さく呟いたその声は、誰にも届かないまま、路地の暗闇に溶けて消えていった。
その頃、王宮ではセレスとディーンが、庭園で穏やかな時間を過ごしていた。二人はまだ、迫りくる影に気づいていない。
イザベラの手の中で、深紅の液体が静かに揺れていた。あとは、実行するだけだった。




