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第8話 もう1台のアルヴァ家の馬車

「王立魔法学院の紋章です」


ダリウスの言葉に、宿の一室が静まり返った。


机の上には、盗賊が持っていた地図が広げられている。


リゼットたちが襲われた場所。出発時刻。直前に変更した移動経路。


そして、裏側へ浮かび上がった3本の剣。


王立魔法学院の紋章だった。


「学院の人間が、私を襲わせたということ?」


リゼットが地図を見つめる。


「まだ断定はできません」


ダリウスが答えた。


「学院の耐熱紙が盗まれた可能性もあります。紋章そのものを偽造したとも考えられます」


「でも、この紙は一般には流通していないのでしょう?」


レオンが尋ねた。


「ああ。魔法実験や魔導器研究に携わる者へ支給されるものだ」


学院の関係者。学院へ出入りできる商人。研究用の物資を運ぶ業者。


手に入れる方法はいくつか考えられる。


しかし、街道の盗賊が偶然持っているような紙ではない。


「お父様へ知らせるわ」


リゼットが立ち上がろうとする。


「お待ちください」


ダリウスが止めた。


「今回の移動経路を知っていたのは、アルヴァ家の者と護衛だけです」


リゼットの動きが止まった。


「家の中に、情報を流した人間がいるということ?」


「その可能性があります」


「では、誰を信用すればいいの?」


ダリウスは答えなかった。


無責任に名前を挙げることはできない。リゼットの父親本人が裏切っているとは考えにくい。


だが、父親へ届ける手紙を、別の誰かが読む可能性はある。使者を雇っても、その者が信用できるとは限らない。


レオンは地図へ視線を落とした。


「王都へ着くまで、連絡しない方がいいと思います」


リゼットがレオンを見る。


「理由は?」


「今から連絡すれば、俺たちが生きていることと、現在地を教えることになります」


襲撃を仕組んだ者は、盗賊たちが失敗したことをまだ知らないかもしれない。


こちらから動かなければ、相手は結果を確認する必要がある。その間に王都へ入る。


「新しい護衛も雇わない方がいい」


レオンが続けた。


「身元を調べる時間がありません。新しく加えた人間が、襲撃者とつながっている可能性もあります」


ダリウスがうなずいた。


「私も同意見です」


「でも、あなたも傷を負っているでしょう」


リゼットが言う。


ダリウスの左腕には包帯が巻かれている。深い傷ではないが、剣を振るう動きには影響する。


「馬車は私が動かします」


「護衛は?」


「レオンと交代で警戒します」


レオンは何も言わなかった。


王都までの臨時護衛を引き受けた以上、異論はない。


「宿場の職人に、馬車を修理してもらいます」


ダリウスは地図を折りたたむ。


「負傷した御者と侍女、それにもう1人の護衛はここへ残します。動かせば傷が悪化するでしょう」


「3人だけで進むのね」


「人数を増やすより安全です」


リゼットはしばらく考えたあと、うなずいた。


「分かったわ」


不安が消えたわけではない。


それでも、今できる中で最も危険の少ない方法を選ぶしかなかった。


翌朝。


修理された馬車が、宿場の前に止まっていた。


壊れた車輪は取り替えられている。車体の傷までは直っていないが、王都まで走るには問題ない。


御者台へダリウスが座る。リゼットが馬車へ乗り込み、レオンは後方の荷台へ腰を下ろした。


「中へ乗らないの?」


窓からリゼットが顔を出す。


「周囲が見えません」


「昨日からほとんど寝ていないでしょう」


「途中で交代します」


「倒れられる方が迷惑よ」


「そのときは起こしてください」


「そういう問題ではないわ」


ダリウスが手綱を動かした。


馬車がゆっくりと走り始める。宿場の建物が、少しずつ遠ざかっていく。


襲撃について、誰にも知らせなかった。宿場を管理する者にも、壊れた馬車が魔物に襲われたとだけ説明している。


どこから情報が漏れるか分からない。


レオンは後方の街道を見つめた。


追ってくる者はいない。


王都までの道のりは、残り8日。


3人は、できるだけ人の多い街道を選んで進んだ。森の中を通る近道は使わない。人目のない場所へ泊まらない。


宿では家名を出さず、必要以上に誰とも話さない。夜はレオンとダリウスが交代で見張った。


リゼットも見張りをすると言い張ったが、ダリウスとレオンの両方から止められた。


「また襲われたとき、魔力が足りない方が困ります」


レオンにそう言われると、リゼットは不満そうにしながらも引き下がった。


ただし、休んでいるだけではなかった。


昼間の休憩時間になると、リゼットは帳面を開いた。


最初の頁に書いたのは、盗賊との戦いで失敗したこと。


『攻撃を当てることだけを考えていた』


『水属性を警戒しすぎて、周囲が見えていなかった』


『炎と水で蒸気が発生することを考えていなかった』


レオンが内容を見る。


「何か言いなさい」


「続けるんですか」


「当然でしょう」


「3日で飽きると思っていました」


「あなた、私を何だと思っているの?」


「貴族令嬢です」


「それは見れば分かるわ!」


リゼットは炭筆を強く握った。


「失敗したことを書けば、次は勝てるのでしょう?」


「書くだけでは変わりません」


「分かっているわ。原因を考えて、次に試すのでしょう」


「その通りです」


リゼットは少し得意げに笑った。


レオンは帳面へ視線を戻す。


「ただ、文字が大きすぎます」


「そこは関係ないでしょう!」


静かな旅だった。


少なくとも、表面上は。


盗賊は現れない。不審な馬車もない。追跡されている様子もなかった。


何も起きないことが、かえってレオンには不自然に思えた。


襲撃を仕組んだ者が、失敗したことに気づいていないのか。すでに次の準備をしているのか。


それとも。


目的は、リゼットを捕らえることだけではなかったのか。


答えは出ない。


レオンは、その疑問を帳面へ書き残した。


宿場を出発してから8日目。


街道を進む馬車の中へ、鐘の音が届いた。


レオンは荷台から顔を上げる。


平原の先に、巨大な城壁が見えた。


地平線を横切る灰色の壁。壁の向こうには、無数の塔と尖った屋根が並んでいる。


中央には、白い城が空へ向かって伸びていた。


王都ヴァルディア。


この国で最も多くの人間が暮らす都市。


王家。貴族。商人。騎士。冒険者。


そして、王立魔法学院。


レオンが7年間目指し続けた場所だった。


王都へ近づくほど、街道を進む人々の数が増えていく。


大きな荷車を引く商人。剣を下げた冒険者。貴族の紋章が描かれた馬車。


長い耳を持つ森人種(エルフ)の旅人が、人間種の商人と話している。少し離れた列では、獣の耳を持つ獣人種(ビーストフォーク)の親子が、門の方向を眺めていた。


レオンは無意識に、その姿を目で追った。


「珍しい?」


馬車の窓から、リゼットが尋ねる。


「初めて見ました」


「王都へ入れば、もっと色々な種族がいるわ」


「全員、この国で暮らしているんですか」


「住んでいる者もいれば、交易や留学で来ている者もいるわ。学院にも多いはずよ」


レオンは腰の帳面へ手を伸ばしかけた。


だが、獣人種の父親と目が合ったため、やめた。


人を珍しい物のように記録するのは、失礼かもしれない。


覚えておくだけにする。


王都の門前には、入場を待つ長い列ができていた。


馬車。荷車。徒歩の旅人。


一般の列とは別に、貴族や公的な使者が使う検問所がある。


ダリウスは馬車を、そちらへ進めた。


門を守る兵士が、扉に刻まれたアルヴァ家の紋章を確認する。


「身分証をお願いします」


ダリウスが護衛証を差し出した。続いて、リゼットがアルヴァ家の証明書を見せる。


兵士の姿勢が正された。


「リゼット・アルヴァ様」


「何か?」


兵士は証明書と、馬車の紋章を交互に見た。


その顔に、戸惑いが浮かんでいる。


「失礼ですが、馬車の中を確認させていただきます」


ダリウスの目が鋭くなる。


「理由を聞いても?」


「規則です」


「貴族用の検問で、家紋まで確認したあとに?」


兵士は答えなかった。


代わりに、別の兵士へ合図する。


2人の兵士が馬車へ近づく。


リゼットは逃げも隠れもせず、扉を開いた。


「確認しなさい」


兵士が車内を調べる。


座席。荷物。床下。


何かを探しているように見えた。


「何を探しているの?」


リゼットが尋ねる。


「申し上げられません」


「私の馬車を調べながら?」


「命令ですので」


ダリウスが御者台から降りる。


「誰の命令だ」


兵士が一瞬、言葉に詰まった。


その様子を見て、レオンは周囲を確認する。


検問所の兵士は6人。門の上には弓兵。


騒ぎを起こして突破することはできない。


それ以前に、逃げる理由もない。


やがて、馬車を調べていた兵士が首を横へ振った。


「誰もいません」


「私たちがいるでしょう」


リゼットの声が冷たくなる。


「誰を探していたの?」


兵士たちは答えない。


しばらくして、隊長らしき男が詰所から出てきた。


年齢は50歳ほど。銀色の胸当てには、王都守備隊の紋章が刻まれている。


「失礼いたしました」


男はリゼットへ頭を下げた。


「確認が必要でした」


「だから、何を確認したの?」


隊長は周囲を見回した。


それから、声を落とす。


「リゼット・アルヴァ様ご本人です」


リゼットの表情が変わる。


「どういう意味?」


隊長は、ダリウスが持っている護衛証を確認した。


「この馬車が本物であることは分かりました」


「質問に答えなさい」


リゼットが一歩前へ出る。


隊長は迷ったあと、詰所の机から1冊の記録簿を持ってきた。


頁を開く。


そこには、王都へ入った貴族の馬車と、使用した家門が記録されている。


隊長が、昨日の日付を指さした。


『アルヴァ公爵家』


『乗員、4名』


『リゼット・アルヴァ及び護衛』


リゼットが息を止める。


ダリウスが、記録簿を奪うように受け取った。


「昨日?」


「はい」


隊長が答える。


「アルヴァ家の馬車は、昨日の夕刻、すでにこの門を通過しています」


「あり得ない」


ダリウスの声が低くなる。


「我々は、たった今到着した」


「私たちも、何かの間違いだと思いました。しかし、家紋と通行証は本物でした」


「乗っていた者の顔は?」


「馬車の中にいたリゼット様は、体調が悪いとのことで顔を隠していました」


「なぜ通したの!」


リゼットが声を上げる。


「同行していた護衛が、アルヴァ家の正式な護衛証を持っていたからです」


正式な護衛証。


簡単に偽造できるものではない。


アルヴァ家の内部にいる者でなければ、手に入れることは難しい。


隊長が記録簿を閉じる。


「昨日の馬車は、そのままアルヴァ家の王都邸へ向かいました」


リゼットは王都の門を見上げた。


巨大な城壁。その向こうにあるアルヴァ家の屋敷。


自分より先に王都へ入り。


自分の名前を使い。


自分の家へ向かった誰か。


「お父様が危ない」


リゼットが馬車へ戻ろうとする。


「待ってください」


レオンが止めた。


「何を言っているの! 偽物が屋敷へ入ったのよ!」


「だからこそ、このまま正面から行くのは危険です」


「では、どうしろというの?」


レオンは記録簿を見る。


偽の馬車は昨日、王都へ入った。襲撃が失敗したと知らず、予定通りに行動した可能性が高い。


だが。


偽物が屋敷へ入ったなら、リゼットの父親が気づかないはずがない。


本物の娘の顔。声。癖。


別人が簡単に成り代われるとは思えない。


それでも、騒ぎになっていない。


「偽物が入ったあと、アルヴァ家から何か連絡は?」


隊長が首を横へ振る。


「ありません」


「馬車が出ていった記録は?」


隊長が記録簿を確認する。


そして、動きを止めた。


「ありません」


偽のリゼットは、まだアルヴァ家の王都邸にいる。


あるいは。


誰にも偽物だと気づかれていない。


レオンは王都の開かれた門を見つめた。


7年間目指し続けた場所。


ようやくたどり着いたはずの王都。


その中にはすでに。


本物のリゼット・アルヴァより先に、彼女の名前で入り込んだ何者かがいた。


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