第9話 2人目のリゼット
「アルヴァ家の馬車は、昨日の夕刻、すでにこの門を通過しています」
王都守備隊の隊長が告げた言葉に、リゼットは動けなくなった。
自分の名を使った誰かが、すでに王都へ入っている。しかも、その人物はアルヴァ家の正式な護衛証を持ち、王都邸へ向かったという。
「お父様が危ない」
リゼットが馬車へ戻ろうとする。
「待ってください」
レオンが止めた。
「何を言っているの! 偽物が屋敷へ入ったのよ!」
「相手は、あなたが街道で捕まったと思っている可能性があります」
レオンは門の向こうへ視線を向ける。
王都の中では、無数の人間が行き交っている。このままアルヴァ家の紋章を掲げた馬車で屋敷へ向かえば、本物のリゼットが到着したことを知らせるようなものだった。
「今は、こちらが生きていると知られていないことが有利です」
「でも、時間をかけている間に――」
「急ぐことと、考えずに飛び込むことは違います」
リゼットが口を閉じる。
納得したわけではない。それでも、盗賊との戦いで周囲が見えなくなったことを思い出したのだろう。
深く息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
「では、どうするの?」
「馬車をここへ置きます」
レオンは隊長を見る。
「しばらく預かってもらえますか」
「可能だ」
隊長が答える。
「アルヴァ家の馬車だと分からないよう、詰所の裏へ移動させよう」
「俺たちは歩いて王都へ入ります」
ダリウスがうなずいた。
「屋敷へ着くまで、家紋の入った物はすべて隠します」
隊長は部下を呼び、無地の外套を3着用意させた。
「今回の入場については、一般の記録簿にはまだ書かない」
「問題にならないの?」
リゼットが尋ねる。
「本物が2人いる状態の方が問題です」
隊長は低い声で答えた。
「ただし、守備隊内部の記録には残します。何か起きた場合、あなた方が本日到着した証明になる」
リゼットは外套を受け取った。鮮やかな赤い髪を頭巾の中へ隠す。
ダリウスも護衛の紋章を外し、荷物の奥へしまった。
レオンは焦げた受験許可証が胸元にあることを確認する。
「行きましょう」
3人は馬車を残し、王都の門をくぐった。
王都の中は、レオンが想像していたよりも騒がしかった。
石畳の道を、何台もの馬車が行き交っている。建物は故郷の町より高く、2階や3階まである石造りの家も珍しくない。
商人の呼び声。馬の蹄。工房から響く金属音。
さまざまな匂いが、風に乗って流れてくる。
通りには人間種だけでなく、長い耳を持つ森人種や、獣の耳と尾を持つ獣人種の姿もあった。
レオンは目で追いかけそうになり、すぐに前へ視線を戻した。
今は観察している場合ではない。
「アルヴァ家の王都邸は、ここからどれくらいですか」
「歩いて30分ほどだ」
ダリウスが答える。
「大通りを使えば早いが、今は避ける」
3人は人通りの多い道を外れ、細い路地へ入った。
リゼットは何度も歩調を速めようとする。そのたびに、ダリウスが周囲を確認するため足を止めた。
「誰も追ってきていないようです」
「なら、もっと急げるでしょう」
「お嬢様」
「分かっているわ」
リゼットは唇をかみ、歩調を戻した。
やがて、高い鉄柵に囲まれた屋敷が見えてきた。
白い石造りの壁。整えられた庭。正面の門には、アルヴァ家の紋章が掲げられている。
門の前には、2人の衛兵が立っていた。どちらも見覚えのある人間らしい。
リゼットの足が動く。
「待ってください」
レオンが腕をつかんだ。
「今度は何?」
「門番の様子がおかしい」
2人とも、屋敷の外を見ていない。何度も背後を振り返っている。
客を警戒しているのではなく、屋敷の中を気にしているように見えた。
「顔を知っている?」
レオンが尋ねる。
「1人は、王都邸の衛兵よ」
リゼットが小声で答える。
「もう1人は?」
「知らないわ」
ダリウスの目が細くなる。
「制服は同じですが、立ち方が違います」
正規の衛兵は、門の左側に立っている。
知らない男は右側。腰の剣へ何度も触れている。
屋敷を守る者ではなく、何かが起きた場合に剣を抜くため待っている者の動きだった。
「正面は使えません」
ダリウスが言う。
「裏手へ回ります」
3人は屋敷から離れ、隣の通りへ入った。
高い塀に沿って歩く。屋敷の裏には、食材や薪を運び込むための使用人用の門がある。
リゼットが幼い頃、屋敷を抜け出すため何度か使った場所らしい。
「それを先に言ってください」
レオンが言う。
「子どもの頃の話よ」
「今も使うことになりました」
「怒られるから、忘れたことにしていたの」
裏門へ着く。
そこに見張りはいなかった。扉には鍵がかかっている。
ダリウスが懐から鍵を取り出した。
だが、鍵穴へ差し込む前に手を止める。
「傷がある」
鍵穴の周囲に、細い傷が残っていた。
何度も金属を差し込んだような跡。
「無理やり開けた人間がいます」
レオンが扉へ耳を当てた。
向こうから、人の声は聞こえない。
左手を扉へ添える。
隙間から透明な糸を伸ばす。
内部の閂。鍵。周囲に張られた仕掛け。
1つずつ触れて確かめる。
「入れます」
「罠は?」
「今のところありません」
ダリウスが鍵を開ける。
扉をわずかに開き、3人は屋敷の敷地へ入った。
裏庭には誰もいなかった。
いつもなら、使用人が洗濯物を干したり、料理人が食材を運んだりしている時間だという。
窓は閉じられている。屋敷の中からも、ほとんど音がしない。
「静かすぎるわ」
リゼットがつぶやく。
3人は裏口へ近づいた。
扉は開いている。
中へ入ると、薄暗い廊下が続いていた。
床に、木製の盆が落ちている。割れた食器。こぼれた水。
少し先には、使用人の女性が倒れていた。
「っ!」
リゼットが駆け寄る。
「エマ!」
女性の身体を起こす。
呼吸はある。目立った外傷もない。
レオンは倒れている女性の口元へ顔を近づけた。
甘い匂いがする。
「眠らされています」
「毒なの?」
「分かりません。今は起こさない方がいい」
廊下の先にも、使用人が2人倒れていた。
どちらも生きている。争った跡はほとんどない。
何かを飲まされたか。煙を吸わされたのか。
一度に屋敷の人間を眠らせた可能性がある。
「お父様は2階の執務室か、書斎にいるはずよ」
リゼットが立ち上がる。
「旦那様は、今日は王城で会議の予定です」
ダリウスが言った。
「戻るのは夕方のはずです」
「では、偽物は何のためにここへ?」
答えは、屋敷の中にある。
3人は階段を上がった。
足音を立てないよう、壁際を歩く。
2階へ着くと、かすかな話し声が聞こえた。
廊下の奥。
アルヴァ家当主の書斎。
扉がわずかに開いている。
レオンたちは壁へ身を寄せた。
「見つからないわ」
女性の声がする。
リゼットとよく似た声。
「本当に、この部屋にあるの?」
「アルヴァ公爵が持ち出していなければな」
男の声が答えた。
聞き覚えはない。
「机の引き出しも、隠し棚も調べたでしょう」
「家印がなければ、次の段階へ進めない」
家印。
アルヴァ家当主が、正式な命令書へ使用する印章。
それを使えば、家の兵士や使用人だけでなく、取引先や一部の行政機関まで動かすことができる。
「公爵は、いつ戻るの?」
「夕方だ」
「なら、帰ってきたところを捕らえればいい」
女性は、何でもないことのように言った。
リゼットの拳が震える。
レオンは手で制した。
まだ飛び込むべきではない。
相手の人数。装備。能力。
分かっていないことが多すぎる。
「本物の娘は?」
男が尋ねる。
「街道の連中から連絡がないわ」
「失敗した可能性は?」
「水属性まで用意したのよ。あの小娘1人に失敗するわけがないでしょう」
「護衛もいた」
「全員まとめて鉱山へ売られている頃よ」
リゼットが歯を食いしばる。
レオンは書斎の扉を観察した。
開いている隙間は、指2本分ほど。中には少なくとも2人。女性と男。
そのほかに気配があるかは分からない。
透明な糸を床へ伸ばす。
扉の隙間から中へ入れる。
机。椅子。床に散らばった書類。男の靴。女性の長い外套。
さらに奥。
窓際に、もう1人立っている。
合計3人。
レオンは指を3本立てた。
ダリウスがうなずく。
リゼットが耳元へ顔を寄せる。
「私が先に入るわ」
「駄目です」
「私の家よ」
「相手は、それを利用しています」
レオンは書斎の中へ意識を戻す。
「偽物を捕まえます。殺せば、誰の指示か分かりません」
「分かっているわ」
そう答えたリゼットの声には、明らかな怒りが含まれていた。
「できるんですか」
「何が?」
「怒ったまま、相手を殺さずに戦うことです」
リゼットは答えない。
盗賊との戦いでは、感情によって周囲が見えなくなった。本人も帳面へ書いていた。
リゼットは目を閉じる。
ゆっくりと息を吸う。
そして、静かに吐いた。
「できるわ」
先ほどより声が落ち着いている。
「次は、同じ失敗をしない」
レオンはうなずいた。
作戦を短く伝える。
ダリウスは廊下の反対側へ回る。退路となる窓を塞ぐ。
レオンが先に書斎の中へ糸を張り、3人の動きを止める。リゼットは炎を直接当てず、逃げ道だけを塞ぐ。
すべてが思い通りになるとは限らない。
だが、何も考えず飛び込むよりはいい。
ダリウスが移動する。
レオンは左手を上げた。
透明な糸が、書斎の床を這う。
男たちの足元。机の脚。窓の取っ手。
必要な位置へ、静かに伸ばしていく。
準備が整った。
レオンがリゼットを見る。
彼女は細身の剣を抜いた。右手には、赤い魔力が集まっている。
レオンは扉へ手をかけた。
そのとき。
書斎の中で、女性が笑った。
「それにしても、この顔は便利ね」
声とともに、何かが床へ落ちる。
薄い布のような音。
レオンは扉の隙間から、中を見た。
女性が顔を覆っていた包帯を外している。
赤い髪。赤い瞳。整った顔。
そこにいたのは。
リゼット・アルヴァだった。
レオンは隣を見る。
本物のリゼットも、扉の隙間から中を見ている。
2人のリゼット。
顔だけではない。髪の長さ。瞳の色。背格好まで同じだった。
偽物が、ゆっくりと扉の方へ顔を向ける。
視線が。
扉の隙間にいる、本物のリゼットと重なった。
偽物の口元が、笑みの形へ歪む。
「見つけた」
良ければブックマークしていただけると泣いて喜びます。




