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第10話 偽物の顔

「見つけた」


偽物のリゼットが、扉の隙間を見つめて笑った。


本物と同じ赤い瞳。本物と同じ声。


顔立ちだけではない。唇の動き。首の傾け方。笑ったときに、右の眉がわずかに上がる癖まで同じだった。


「どうして……」


隣にいるリゼットが、小さく息を漏らす。


偽物は、書斎の扉へ身体を向けた。


「そこにいるのでしょう?」


男たちも動く。


机の前にいた男が剣を抜いた。窓際の男は、外套の内側へ手を入れる。


姿を隠している意味は、もうない。


レオンは左手の指を曲げた。


書斎の中へ張り巡らせていた透明な糸が、一斉に引かれる。


剣を抜いた男の足首。窓の留め金。机の脚。扉の取っ手。


男の足が止まった。


「何だ、これは!」


動けば動くほど、透明な糸が革靴へ食い込む。


窓際の男が外へ逃げようとする。だが、窓の取っ手も糸で固定されていた。


「今です」


レオンが扉を押し開ける。


リゼットが書斎へ踏み込んだ。


偽物と本物。


2人のリゼットが、真正面から向き合う。


「随分と勝手なことをしてくれたわね」


本物のリゼットが細身の剣を構える。


偽物は驚く様子もなく、彼女の姿を見つめていた。


「本当に、生きていたのね」


「残念だった?」


「いいえ」


偽物が微笑む。


「直接会えて嬉しいわ」


その笑みまで、リゼットと同じだった。


「その顔で笑わないで」


リゼットの右手に、赤い魔力が集まる。


だが、すぐには撃たなかった。


偽物の背後には、本棚と机。床には、倒れた使用人はいない。


炎を使っても巻き込む者はいないが、相手を殺してしまえば情報を得られない。


「誰の命令?」


「答えると思う?」


「では、捕まえてから聞くわ」


「できるかしら」


偽物が腰の剣を抜いた。


構えまで、リゼットとよく似ている。


しかし。


レオンは2人の足元を見た。


本物のリゼットは右足が前。偽物は左足が前。


似ているようで、完全には同じではない。外見と声は真似られても、長年積み重ねた動きまでは同じにならない。


「左から来ます」


レオンが言った。


偽物の表情が変わる。


次の瞬間。


予告通り、左足で踏み込み、剣を突き出した。


リゼットが身体を横へずらす。刃が肩の横を通過した。


本物のリゼットは、すぐに反撃しなかった。


右手を床へ向ける。


「フラムボルト!」


炎は偽物ではなく、その右側へ放たれた。


床が燃え上がる。


偽物が炎を避け、左へ動く。


そこには、レオンが張った糸があった。


足首が絡め取られる。


「くっ!」


偽物の体勢が崩れた。


リゼットが剣を振る。


刃は偽物の首ではなく、手にした剣を狙った。


金属同士がぶつかる。


偽物の剣が床へ落ちた。


「当てることだけを考えない」


リゼットが言う。


「逃げる場所を作って、そこへ追い込む」


旅の間、帳面へ書き続けたこと。盗賊との戦いで失敗したこと。


それを、今の一撃へ変えていた。


偽物が舌打ちする。


「少し見ない間に、随分と賢くなったのね」


「以前から賢いわ!」


リゼットが言い返した。


「そこは否定しません」


レオンが答える。


「今、あなたに聞いていないわ!」


その一瞬。


窓際にいた男が、外套の中から小さな黒い球を取り出した。


レオンの背中に冷たい感覚が走る。


一般(コモン)(クラス)危機察知(デンジャーセンス)


「伏せて!」


レオンが叫ぶ。


男が黒い球を床へ投げつけた。


球が割れる。


中から黒い煙が噴き出した。


視界が一瞬で塞がれる。


「目を閉じてください!」


甘い匂い。


屋敷の使用人たちを眠らせたものと同じ可能性がある。


レオンは外套の袖で口元を覆った。


周囲の姿は見えない。


咳き込む音。足音。机が倒れる音。


透明な糸から伝わる感覚に意識を集中する。


男の足首へ巻きつけた糸。


まだ切れていない。


窓の留め金。


動いている。


誰かが窓を開けようとしている。


レオンは左手を強く握った。


糸を引く。


「ぐあっ!」


煙の中から男の悲鳴が聞こえた。


窓へ向かっていた身体が床へ倒れる。


別の場所。


偽物へ巻きつけた糸が、急に軽くなった。


切られた。


逃げる。


レオンは足元へ糸を広げた。


床全体を探る。


机の脚。倒れた椅子。ダリウスの靴。リゼットの足。


そして。


書斎の扉へ向かう、軽い足音。


「扉です!」


レオンが叫ぶ。


リゼットが声の方向へ右手を向ける。


「フラムシールド!」


扉の前へ、炎の壁が立ち上がった。


黒い煙が熱で押し戻される。


偽物が炎の直前で足を止めた。


その姿が一瞬だけ見える。


リゼットと同じ顔。


だが、その表面が水面のように揺れていた。


頬の形が崩れる。赤い髪が色を失う。細い身体が、わずかに伸びる。


偽物は自分の首元へ手を当てた。


職人(レア)(クラス)擬態変装(ミミクリー)


リゼットと同じ声が、少しずつ別人のものへ変わっていく。


「見られてしまったわね」


赤い髪が黒へ変わる。赤かった瞳が、淡い灰色になる。


現れたのは、20歳ほどの女性だった。


切り揃えられた黒髪。特徴の少ない顔。王都の人混みへ入れば、すぐに見失いそうな姿だった。


「それが、本当の顔?」


リゼットが尋ねる。


女性は笑った。


「どうかしら」


擬態変装(ミミクリー)


外見と声を別人と同じものへ変えるスキル。


職人(レア)(クラス)


ただの変装ではない。家族や長年の知人さえ欺けるほどの能力なのだろう。


だが。


能力が完璧なら、なぜ本物のリゼットが近づいたことに気づいた。


なぜ、すぐに「見つけた」と言ったのか。


レオンは女性の首元を見る。


皮膚が赤く腫れている。


変装が崩れる直前、女性はそこを押さえていた。


「そのスキル」


レオンが言う。


「変装した相手が近くにいると、何か起きますね」


女性の笑みが一瞬だけ止まった。


「本人が近づくと、身体に負担がかかる」


レオンは続ける。


「だから、俺たちが扉の外にいると分かった」


「黙りなさい」


「顔と声は真似られても、本人と同じ場所には長くいられない」


レオンは帳面を取り出そうとして、今は戦いの途中だと思い直した。


女性の目が細くなる。


「あなたが、レオン・アーヴェルね」


今度はレオンが動きを止めた。


「なぜ、俺の名前を?」


「無属性で、透明な魔法を使う少年」


女性はレオンの左手を見る。


「聞いていた話より、ずっと厄介」


誰から聞いた。


レオンが尋ねる前に、女性は懐へ手を入れた。


「動かないで!」


リゼットが炎を向ける。


女性は手を止めない。


取り出したのは、小さな銀色の筒だった。


武器ではない。


筒の先端には、青い魔石が埋め込まれている。


女性が魔力を流した。


窓際に倒れていた男の身体が、青い光に包まれる。


「転移用の魔導器です!」


ダリウスが叫ぶ。


「止めろ!」


レオンはゼロスレッドを伸ばした。


狙うのは女性ではない。


魔導器の魔石。


糸を巻きつける。


引き抜こうとする。


女性が魔導器を握り締めた。


青い光が強くなる。


「遅いわ」


レオンは魔石へ糸を食い込ませた。


壊す。


極限まで細く圧縮する。


魔石の表面に、わずかな亀裂が入った。


転移の光が乱れる。


女性の身体の半分だけが、青い光に包まれる。


「何を――!」


さらに糸を食い込ませる。


魔石が砕けた。


光が弾ける。


書斎の窓が大きく揺れた。


女性の身体が消える。


同時に。


床へ、何かが落ちた。


短い悲鳴が響き。


青い光は完全に消えた。


煙が薄れていく。


窓際にいた男は、その場に倒れたまま残っていた。


転移できなかったらしい。


剣を持っていた男も、ダリウスに取り押さえられている。


偽物の女性だけが消えた。


床には、銀色の筒の破片。


そして。


黒い布に包まれた、細い左腕が落ちていた。


転移の途中で魔導器が壊れ、身体の一部だけが残された。


リゼットが顔を青くする。


「腕……」


「本人は逃げました」


レオンは床へ落ちた腕を見る。


出血は不自然なほど少ない。切断面には、青い光が残っている。


「ですが、無傷ではありません」


ダリウスは捕らえた男の腕を背中へ回し、縄で縛った。


「こいつらから話を聞ける」


剣を持っていた男。煙を使った男。


2人とも生きている。


完全な失敗ではない。


リゼットは床に散らばった書類を見た。


「家印は?」


「見つけていないはずです」


レオンは書斎を見回した。


机。本棚。開けられた引き出し。隠し棚。


偽物たちは、かなりの時間をかけて探していた。


それでも見つからなかった。


「家印は、どこにあるんですか」


ダリウスが尋ねる。


リゼットは首を横へ振る。


「私も知らないわ」


アルヴァ公爵だけが保管場所を知っている。


だから、偽物たちは父親の帰りを待っていた。


リゼットは捕らえた男の前へ立った。


「誰の命令?」


男は答えない。


「なぜ私を学院へ行かせたくないの?」


反応はない。


だが。


学院という言葉を聞いた瞬間。


男の目が、わずかに動いた。


レオンは見逃さなかった。


「学院に関係がある」


男の顔がこわばる。


リゼットが一歩近づく。


「何を知っているの?」


男は歯を食いしばった。


その口元から、何かが割れる音がした。


レオンの危機察知が反応する。


「口を開けさせて!」


ダリウスが男の顎をつかむ。


遅かった。


男の口から、黒い液体が流れる。


身体が激しく震えた。


「毒です!」


床へ倒れる。


もう1人の男も、同じように歯を動かそうとしていた。


ダリウスが顔を殴り、口を無理やり開かせる。


奥歯の間から、小さな黒い粒が落ちた。


毒を仕込んだ歯。


捕まった場合、情報を残さず死ぬためのものだった。


「こちらは生きています」


ダリウスが男を押さえ込む。


だが、最初の男はすでに動かない。


リゼットは床に膝をついた。


怒り。恐怖。悔しさ。


いくつもの感情が、表情に浮かんでいる。


レオンは死んだ男の服を調べた。


懐。腰袋。靴。武器。


身元を示す物はない。


ただし。


左手の中に、小さな紙片が握られていた。


死ぬ直前まで、隠そうとしていたもの。


レオンは指を開かせ、紙を取り出した。


小さく折られている。


広げる。


そこには、数字と短い文章が書かれていた。


『対象Aを確保』


『対象Bが同行していた場合、観察を優先』


『無属性への接触は禁止』


対象A。


おそらく、リゼット。


そして、対象B。


レオンは最後の1行を見つめた。


無属性への接触は禁止。


だが、偽物の女性はレオンの名前を知っていた。無属性魔法の存在も知っていた。


偶然ではない。


「何が書いてあるの?」


リゼットが尋ねる。


レオンは紙を渡した。


読み終えたリゼットの顔から、怒りが消える。


代わりに、戸惑いが浮かんだ。


「対象Bって……」


「俺かもしれません」


街道でリゼットを襲った者たち。アルヴァ家へ入り込んだ偽物。王立魔法学院の耐熱紙。


そして、レオンに接触するなという命令。


レオンは胸元にしまった、焦げた受験許可証へ触れた。


自分は、王都へ来たばかりだ。


学院へは、まだ足を踏み入れてすらいない。


それなのに。


誰かはすでに。


レオンが王立魔法学院を目指していることを知っていた。


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