第7話 目立ちたくない少年と、目立ちすぎる令嬢
「それだけ変な魔法を使っておいて、目立たずにいられるわけがないでしょう」
リゼットは、どこか楽しそうに言った。
レオンは返事をせず、外した馬車の扉へ負傷した御者を乗せる。
縄の結び目を確認する。馬が歩いたときに緩まないか。御者の身体が落ちないか。傷口を圧迫しすぎていないか。
一つずつ確かめた。
「聞いているの?」
「聞いています」
「では、何か答えなさい」
「目立たないよう努力します」
「努力する方向が間違っているわ」
リゼットは呆れたように息を吐いた。
護衛の男が、御者の隣へ侍女を寝かせる。侍女は頭を打っているが、呼吸は安定していた。
問題は御者だ。
腹部から流れる血が、押し当てた布を赤く染めている。
「この先に、街道沿いの宿場があります」
護衛の男が言った。
「エルド宿場です。残った馬で進めば、日が暮れる前には着けるでしょう」
「治療師はいるの?」
リゼットが尋ねる。
「小さな礼拝堂があります。光属性の修道女がいたはずです」
「なら、そこへ向かうわ」
リゼットは迷わず決めた。
レオンは残った馬を見る。脚に浅い傷がある。荷物を引かせたまま速度を上げれば、途中で動けなくなるかもしれない。
「ゆっくり進んだ方がいいです」
「分かっているわ」
「先ほどより、馬の呼吸が荒くなっています」
リゼットが馬へ視線を向ける。
すぐに手綱を緩めた。
指摘されて腹を立てるかと思ったが、そうではないらしい。
「ダリウス」
リゼットが護衛を呼ぶ。
「馬の様子を見ながら進むわ。無理はさせないで」
「承知しました」
ダリウスと呼ばれた護衛が、そりの横につく。
もう一人の護衛は、盗賊との戦いで脚を傷めていた。剣を杖のように使い、足を引きずっている。
レオンは森へ逃げた盗賊たちの方角を見た。
戻ってくる気配はない。
しかし、長く留まれば別の仲間が現れる可能性もある。
「出発した方がいい」
「あなたはどうするの?」
リゼットが尋ねた。
「王都へ向かいます」
「それは知っているわ。私たちと一緒に来るのかと聞いているの」
「別々に進みます」
リゼットの眉が動く。
「なぜ?」
「貴族の馬車と一緒にいれば目立つからです」
「もう馬車は壊れているけれど」
「赤い髪の令嬢も十分目立ちます」
ダリウスが小さく咳払いをした。
笑いを隠したようにも聞こえた。
リゼットが振り返る。
「何か?」
「いえ。何も」
リゼットはレオンへ向き直った。
「助けた相手を、負傷者ごと街道へ置いていくつもり?」
「宿場までの道に危険がなければ」
「危険がないと、どうして分かるの?」
レオンは答えなかった。
盗賊は五人。逃げたのは二人。他に仲間がいないとは限らない。
ここまで手際よく馬車を止めた者たちが、退路を用意していないとも考えにくい。
リゼットがわずかに笑った。
「分からないのでしょう」
「……宿場までです」
「最初から素直にそう言えばいいのよ」
「あなたに説得されたわけではありません」
「そういうことにしておいてあげる」
レオンたちは、壊れた馬車を街道脇へ寄せた。
使える食料と水。毛布。薬。
必要な物だけを持ち出す。残りは宿場から人を呼び、あとで回収することになった。
一行は、ゆっくりと街道を進んだ。
馬が簡易のそりを引く。ダリウスは周囲を警戒し、もう一人の護衛は負傷者のそばを歩いている。
レオンは一行の少し後ろについた。
リゼットが何度かこちらを振り返る。何か言いたそうな顔をしている。
レオンは気づかないふりをした。
しばらくして。
耐えきれなくなったらしいリゼットが、歩調を落として隣へ並んだ。
「どうして後ろを歩くの?」
「全員の様子を確認できます」
「盗賊が前から来たら?」
「ダリウスさんが先に気づきます」
ダリウスの肩がわずかに動いた。名前を覚えられていたことが意外だったらしい。
「では、後ろから来たら?」
「俺が気づきます」
「自信があるのね」
「森の中では、後ろから襲われることが多かったので」
リゼットが横目でレオンを見る。
「さっき倒れていた魔物。あなたが倒したのでしょう?」
街道脇に残してきた灰牙狼の血痕に気づいたのだろう。
「違います」
「嘘」
「なぜ、そう思うんですか」
「あなた、嘘をつくときも顔が変わらないのね」
「それでは判断できないのでは?」
「帳面を見たからよ」
レオンの手が腰へ動く。
帳面はある。
盗まれてはいない。
「戦いが終わったあと、何かを書いていたでしょう」
見られていたらしい。
「記録です」
「何の?」
「失敗したことを」
「勝ったのに?」
リゼットは本気で疑問に思っているようだった。
「勝ったときにも、失敗はあります」
糸が切れた。短剣が毛皮を通らなかった。右腕を傷つけられた。
次に同じ魔物と戦うなら、直すべき点はいくつもある。
「成功したことだけを覚えていると、同じ失敗を繰り返します」
「変わっているわね」
「よく言われます」
「私なら、勝った日は勝ったことを喜ぶわ」
「喜ばないわけではありません」
「そうは見えないけれど」
レオンは返事をしなかった。
リゼットは少し考えたあと、腰の剣へ手を置く。
「では、私の戦い方にも失敗があった?」
「聞きたいんですか」
「聞いているでしょう」
レオンは先ほどの戦いを思い出す。
火魔法の威力は高い。魔力量も多い。狙いも正確だった。
だが。
「相手が避ける場所を考えていませんでした」
リゼットの表情が固まる。
「どういう意味?」
「魔法を当てることだけを考えていました」
「敵を倒すのだから、当然でしょう」
「避けられたあと、どこへ移動するかを考えれば、次の攻撃を当てやすくなります」
リゼットは黙る。
「最初のフラムボルトも、相手が右へ避けるように撃てば、護衛の人が攻撃できました」
「……続けて」
「フラムシールドは大きすぎました」
「あれは全員を守るためよ」
「炎と水がぶつかって蒸気が出ました。結果として、あなたも敵の位置を見失っています」
リゼットの眉間にしわが寄る。
怒ったかもしれない。
しかし、彼女は言い返さなかった。
「ほかには?」
「聞かない方がいいと思います」
「途中で止められる方が気になるわ」
「相手の水魔法を警戒しすぎです」
「火は水に弱いのよ」
「知っています」
「なら――」
「相性が悪いなら、魔法を直接ぶつけなければいい」
リゼットが足を止めた。
レオンも少し先で止まる。
「どういうこと?」
「火で相手を攻撃する必要はありません」
「火魔法で戦うのに?」
「地面を焼く。煙を作る。逃げ道を塞ぐ。武器を熱する」
レオンは指を折りながら続ける。
「火そのものを水へ当てなければ、属性相性は関係ありません」
リゼットは何も言わない。
赤い瞳が、レオンを見つめている。
「教本に書かれていないの?」
「書かれているわ」
「では、なぜ使わなかったんですか」
「……実戦で、そこまで考えられなかったからよ」
正直な答えだった。
レオンは少し意外に思った。貴族の令嬢なら、言い訳をするかもしれないと考えていた。
「次はできます」
「簡単に言うのね」
「できなければ、何度も試せばいい」
リゼットがレオンの腰を見る。
そこには、七年間の記録が詰まった帳面がある。
「あなたのスキルは何?」
レオンは歩き出した。
「答える必要がありますか」
「助けてもらった相手のことを知りたいと思うのは、普通でしょう」
「普通の令嬢は、助けた人間のスキルを聞くんですか」
「私が知りたいの」
リゼットは諦めそうにない。
教えて困ることではない。教会の記録にも残っている。隠したところで、学院の鑑定では判明する。
「一般級・反復作業です」
リゼットが瞬きをする。
「それだけ?」
「最初は」
「最初は?」
「訓練で増えました」
「いくつ持っているの?」
「五個です」
リゼットの足が止まった。
「五個?」
「一般的な数でしょう」
「成人する頃の平均は、そのくらいよ」
リゼットはレオンの顔を見つめる。
「でも、あなたは十五歳でしょう」
「あなたも十五歳です」
「私は六個持っているわ」
少し誇らしげな声だった。
だが、すぐに表情を引き締める。
「そのうち二個は熟練級よ」
「優秀ですね」
「……それだけ?」
「何と言えばいいんですか」
「もう少し驚くとか」
「四属性持ちなら驚きます」
「私が普通に見えるということ?」
「赤い髪は目立ちます」
「髪の話ではないわ!」
前を歩くダリウスの肩が、また小さく揺れた。
日が傾き始めた頃。
街道の先に、木の柵で囲まれた建物が見えた。
旅人向けの宿。馬小屋。小さな礼拝堂。
数軒の店が、街道を挟んで並んでいる。
エルド宿場だった。
一行の姿を見た人々が駆け寄ってくる。負傷者を確認すると、礼拝堂から灰色の服を着た修道女が現れた。
「中へ運んでください!」
御者と侍女が礼拝堂へ運ばれる。
レオンも手伝おうとしたが、ダリウスに止められた。
「ここからは我々がやる。君も傷を見てもらえ」
「浅い傷です」
「胸から血を流したまま言われても説得力がない」
マーサに巻いてもらった包帯には、新しい血がにじんでいた。
戦いと移動で、傷が開いたらしい。
礼拝堂の中では、修道女が御者の傷口へ手をかざしていた。
淡い金色の光が生まれる。
「光属性魔法」
金色の光が御者の腹部を包む。荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
傷が完全に消えたわけではない。
だが、流れていた血は止まった。
「命に別状はありません」
修道女が告げる。
リゼットの身体から力が抜けた。
「よかった……」
その声は小さかった。
戦っていたときの強気な令嬢ではない。大切な人が助かったことへ、素直に安堵する少女の顔だった。
「ただし、数日は動かさないでください」
「分かりました。必要な費用は、すべてアルヴァ家が支払います」
「お金の問題では――」
「では、礼拝堂への寄付として受け取ってください」
修道女が困ったように笑う。
「まずは、あなたの傷も見せてください」
「私は大丈夫です」
「大丈夫ではありません」
リゼットは修道女に腕を引かれ、奥の椅子へ座らされた。
その様子を見ていたレオンは、礼拝堂から出ようとする。
「どこへ行くの?」
背後から声が飛んできた。
「宿を探します」
「ここに泊まりなさい」
「断ります」
「なぜ?」
「貴族の一行と同じ場所に泊まれば目立つからです」
「またそれ?」
「重要なことです」
リゼットが立ち上がろうとする。
修道女が肩を押さえ、椅子へ戻した。
「治療中です」
「少し話すだけよ」
「座ったまま話してください」
リゼットは不満そうにしながらも従った。
「レオン」
「はい」
「あなたを、王都までの護衛として雇うわ」
礼拝堂の中が静かになる。
ダリウスが振り返った。もう一人の護衛も驚いた顔をしている。
「必要ありません」
レオンは即答した。
リゼットのこめかみが動く。
「普通は条件を聞いてから答えるものよ」
「正式な護衛が二人います」
「二人とも負傷しているわ」
「宿場で別の人を雇えばいい」
「信用できる人間か分からないでしょう」
「俺も、会ったばかりです」
「私たちを助けた」
「見捨てられなかっただけです」
「盗賊を倒す手伝いをした」
「逃げる時間を作りました」
「壊れた馬車から、負傷者を運ぶ方法を考えた」
「必要だったので」
「十分信用できると思うけれど」
リゼットは腕を組もうとして、傷の痛みに顔をしかめた。
「報酬は払うわ」
レオンは少し考える。
王都までの食料。宿代。学院へ到着したあとも、生活費は必要になる。
手持ちの金は多くない。
だが、貴族との契約には危険もある。
「条件があります」
リゼットの表情が明るくなる。
「言いなさい」
「無属性魔法の詳細を、他人へ話さないこと」
「分かったわ」
「俺へ命令しないこと」
「護衛なのだから、必要な指示は出すわ」
「戦い方については、自分で判断します」
「……いいでしょう」
「学院へ到着した時点で、契約は終了」
「それもいいわ」
「報酬は先払いで銀貨十枚」
ダリウスが口を挟む。
「少年。王都までの臨時護衛に銀貨十枚は――」
「払いましょう」
リゼットが即答した。
ダリウスが頭を押さえる。
「お嬢様」
「命を助けてもらったのよ。むしろ安いわ」
リゼットはレオンへ手を差し出した。
「これで決まりね」
レオンはその手を見る。
白く、細い手。貴族令嬢の手。自分とは違う世界で生きてきた人間。
それでも、先ほど剣を握っていたため、指には小さな硬い部分があった。
彼女も何もせず、才能だけでここにいるわけではないらしい。
レオンはリゼットの手を取った。
「宿場を出てから、王都へ到着するまでです」
「分かっているわ」
「目立つ行動は避けてください」
「それは、あなたにも言いたいのだけれど」
「俺は目立っていません」
リゼットはしばらく無言でレオンを見た。
「本気で言っているの?」
「はい」
「学院に着く頃には、その考えを変えさせてあげるわ」
「余計なことをしないでください」
二人の手が離れる。
こうしてレオンは、王都までの臨時護衛になった。
その夜。
宿の一室で、ダリウスが盗賊から回収した荷物を調べていた。
剣。水属性の杖。わずかな硬貨。乾燥肉。
どれも、街道の盗賊が持っていても不自然ではない。
しかし。
「お嬢様」
ダリウスが低い声を出した。
リゼットとレオンが机へ近づく。
ダリウスの手には、小さく折りたたまれた紙があった。
広げる。
街道の地図。
襲撃された場所へ、赤い印がつけられている。
さらに、地図の端には、今日の出発時刻と、変更後の移動経路が書かれていた。
リゼットの表情から、笑みが消える。
「この経路を知っていたのは?」
「アルヴァ家の者と、護衛だけです」
ダリウスが答える。
「出発直前に道を変更したため、外部の者が知ることはできません」
ただの盗賊ではない。
誰かがリゼットの移動経路を教えた。
しかも、殺すのではなく生け捕りにするため、水属性の魔法使いまで用意していた。
リゼットは紙を見つめる。
「家の中に、私を売ろうとした人間がいるということ?」
誰も答えられない。
レオンは地図を手に取った。
紙の端。赤い印。書かれている文字。
そして、わずかに残った匂い。
油。炭。熱した金属。
レオンが七年間、毎日嗅いできた匂いだった。
「この紙」
「何か分かるの?」
「普通の紙ではありません」
指先で表面をなぞる。
わずかに硬い。
水にも強く作られている。
「魔導器工房で使われる耐熱紙です」
リゼットが目を見開く。
「作られた場所が分かる?」
「これだけでは」
レオンは紙を裏返す。
光へ透かす。
表面には見えなかった印が、うっすらと浮かび上がった。
王都の工房を示す製造印。
そして、その隣。
円の中へ、三本の剣が描かれた紋章。
ダリウスの顔色が変わった。
「これは……」
「知っているの?」
リゼットが尋ねる。
ダリウスはすぐには答えなかった。
やがて、絞り出すように言う。
「王立魔法学院の紋章です」
レオンは、地図に浮かんだ三本の剣を見つめた。
学院へ到着する前から。
すでに何かが、彼らを待っていた。
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