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第87話 森の奥から

石柱の向きと、負傷した牙猪型の魔物が逃げた方向は重なっていた。

森の西側。古い地図では、消えた道が続いている場所だった。


レオンは位置と方角を記録し、地図を閉じた。


「野営地へ戻ろう」


「確かめなくていいのか?」


ガルドが木々の奥を見る。

枝葉が重なり、数十歩先までしか見通せない。地面には牙猪が残した血の跡が続いていた。


「今の装備と人数で、調査範囲の外へ入るべきじゃない」


「血を流してたぞ」


ノアが心配そうに言う。


「助けられるなら助けたい。でも、追った先に何がいるか分からない」


レオンは答えた。

怪我をした魔物を助けることは、今回の任務に含まれていない。何より、傷を負わせた存在が森の奥にいる可能性がある。

同情だけで班全員を危険へ連れていくことはできなかった。


担任は何も口を挟まず、レオンたちの判断を待っている。


「帰りながら、周囲の変化だけ確認するわ」


ユリアが現在の地図へ印を付けた。


「音や魔力の反応があっても、森の奥までは追わない。それでいいでしょう?」


「それでいい」


一行は来た道を戻り始めた。

先頭はセイル。レオンとミナが中央に入り、ガルドが後方を警戒する。担任はそのさらに後ろを歩いていた。


しばらくは、風で葉が擦れる音しか聞こえなかった。

牙猪の血の跡は西へ続き、やがて木々の陰に消えている。


セイルが突然、足を止めた。


「何か来る」


遠くで枝が折れた。

1度ではない。硬いものが木々へぶつかりながら、こちらへ近づいてくる。


「西側から!」


ミナが振り返る。


「魔力が3つ。速い!」


「道を空ける。戦う準備はしろ」


レオンの指示で、6人は轍の外へ移動した。

ガルドが盾を構え、その後ろへノアとミナが入る。ユリアは足元へ魔力を流し、セイルは倒木の上へ飛び乗った。


茂みを突き破り、先ほどの牙猪が現れた。

口元から泡を飛ばし、傷ついた後ろ脚を引きずっている。それでも止まらず、レオンたちの横を駆け抜けた。


牙猪を追って、2体の狼型魔物が姿を現す。

どちらも大型で、肩の高さはレオンの胸近くまであった。口の周りと前脚が赤く濡れている。


先頭の1体が牙猪ではなく、近くにいたノアへ向きを変えた。


「ガルド!」


ガルドが踏み込み、盾で狼型魔物の牙を受け止めた。

衝突音が響き、盾の表面を爪が削る。もう1体はガルドの横を抜け、ミナへ飛びかかった。


ユリアが地面を凍らせる。

狼型魔物の後ろ脚が滑り、身体が横へ流れた。セイルが倒木から飛び降り、木剣を首筋へ打ち込む。

だが、魔物は倒れない。身体を捻り、セイルへ爪を振るった。


セイルが風を使って後ろへ下がる。

爪の先が学院服の胸元を裂き、その下の皮膚へ浅い赤い線を残した。


「セイル!」


「浅い! 動ける!」


レオンは左手からゼロスレッドを伸ばした。

糸を魔物の前脚と木の根へ巻きつける。完全に止めるのではなく、踏み込む距離を短くする。


右手からも糸を伸ばした。

近くの木の幹へ固定し、左手の糸を支えようとする。


2本の糸に力がかかった。

右肩へ熱が集まり、右手の糸が大きく震える。


狼型魔物が前脚を振り上げた。

左手の糸は耐えたが、右手の糸が途中から裂けるように切れた。


支えを失った反動で、レオンの身体が前へ引かれる。


「無理に両方で引くな!」


ガルドの声が飛ぶ。

盾で押さえていた魔物が頭を振り、ガルドの肩へ牙を届かせようとしていた。


レオンは右手から再び糸を出そうとして、止めた。

複雑な拘束を左右同時に行うには、まだ精度が足りない。

右手に任せる役割を減らす。


右手の糸を足元の木の根へ短く巻き、自分の身体だけを固定する。

左手のゼロスレッドへ意識を集中させ、狼型魔物の前脚を横へ引いた。


魔物の体勢が崩れる。


「ユリア、右脚!」


「分かったわ!」


ユリアの氷が魔物の右後ろ脚を覆う。

ノアが水を地面へ広げ、氷の範囲を足元だけに留めた。セイルが魔物の死角へ回り込み、傷ついていない脚へ木剣を打ち込む。


骨が鈍く鳴った。

狼型魔物が地面へ倒れる。


もう1体がガルドの盾から離れ、仲間の方へ向きを変えた。


「行かせない!」


ガルドが盾の縁を魔物の横腹へ叩き込む。

魔物の口から血が散り、身体が木の幹へぶつかった。


それでも起き上がろうとする。

厚い毛皮と筋肉に守られ、打撃だけでは動きを止めきれない。


レオンは倒れた魔物を拘束したまま、もう1体を見る。

ゼロエッジなら皮膚は切れる。しかし、暴れる相手の急所へ正確に届かせるには近づく必要がある。

ゼロスレッドで動きを止めても、自分には硬い身体を一撃で貫く方法がなかった。


「頭を下げさせる!」


ガルドが盾で魔物の正面を押さえる。

ユリアの氷が前脚を固定し、ミナが魔力の集まる位置を指さした。


「左肩の奥! そこに魔力が集まってる!」


セイルが横から踏み込み、同じ場所へ木剣を突き込んだ。

魔物の身体が大きく跳ね、力が抜ける。


地面へ倒れたあとも脚が数回動いたが、やがて止まった。


レオンが拘束していたもう1体は、前脚を痛めながらも立ち上がろうとしていた。

仲間が倒れたことに気づくと、低く唸りながら後ずさる。


「追うな。道を空ける」


糸を緩める。

狼型魔物はレオンたちを警戒したまま身を翻し、西側の森へ逃げていった。


戦闘が終わると、ノアがすぐにセイルの傷を確認した。

学院服は裂けていたが、爪は皮膚を浅く切っただけだった。水で血を洗い、布を当てれば歩行に問題はない。


担任は倒れた魔物の前へしゃがみ込んだ。


「記録しろ」


レオンたちは時刻、位置、数、進行方向、負傷者の状態を書き残す。

牙猪を追っていたこと。西側の森から現れたこと。人間を見つけると標的を変えたこと。

確認できた事実だけを並べていく。


ミナが倒れた魔物の背中を見て、眉を寄せた。


「この傷、私たちがつけたものじゃない」


毛の間に、古い裂傷があった。

傷口は乾き始めているが、周囲の毛には血がこびりついている。


ノアが近くを確認する。


「2体とも、森から出てくる前に怪我をしてたのかもしれない」


牙猪だけではない。

追っていた狼型魔物も、何かから傷を負っていた。


「奥に、もっと強い魔物がいるのか?」


ガルドが西側の森を見る。


「可能性はある。でも、今は決められない」


レオンは地図へ新しい線を引いた。

牙猪が逃げた方向。

狼型魔物が現れた方向。

石柱の裏側に刻まれていた溝。


3つは、ほぼ同じ方角で重なっていた。


森の奥から、傷ついた魔物が流れてきている。


その原因だけが、まだ見えなかった。

良ければブックマークしていただけると泣いて喜びます。

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