第85話 異常なしの数字
天幕を張り終えた頃には、森の中は薄暗くなっていた。
火を起こし、持参した食料で簡単な夕食を済ませる。地中から見つかった石の周囲には目印を置き、誰も誤って踏み込まないようにした。
担任は焚き火の前で、夜間の見張り順を決めた。
「2人ずつ交代する。最初はユリアとセイル。次にレオンとミナ。最後がガルドとノアだ」
「先生は寝ているんですか?」
ガルドが尋ねる。
「お前たちより先に異常へ気づける程度には起きている」
「それ、起きてるってことじゃねえか」
「見張りの役目を俺へ押しつけるな」
夜が深くなると、焚き火の光が届く範囲は急に狭くなった。
学院の訓練場と違い、森の中には完全な静寂がない。風で枝が擦れ、落ち葉の下を小さな生き物が動く。遠くで鳴き声が上がるたび、音の方向と距離を考える必要があった。
ユリアとセイルの見張りが終わり、レオンとミナが天幕の外へ出た。
焚き火へ薪を加えたあと、レオンは野営地の周囲をゆっくり歩く。右手から短いゼロスレッドを伸ばし、木々の間へ張った警戒用の糸へ触れた。
どの糸にも、強く引かれた形跡はない。
「右手、昨日より震えなくなってる」
ミナが小声で言う。
「短く出して、触れるだけだからな。引っ張ったり動かしたりすると、まだ安定しない」
「それでも早いよ」
「覚えるのが早くなっただけだ。腕が慣れたわけじゃない」
レオンは糸を消し、右肩を回した。
痛みはない。しかし、長く維持すれば熱が溜まってくる感覚は残っている。
熟練加速によって技術が先へ進んでも、身体まで同じ速さで強くなるわけではなかった。
見回りを終えた2人は、露出した石から少し離れた場所へ戻った。
昼間の確認では、石そのものに魔力は流れていなかった。周辺にも目立った異常はなく、学院から渡された魔力分布図では安定地域とされている。
ミナが石の方向を見たまま、僅かに首を傾げた。
「やっぱり、変なんだよね」
「魔力が見えるのか?」
「石からは見えない。でも、周りの魔力が少なすぎる」
「安定しているからじゃなくて?」
「安定してる場所でも、魔力は動いてるよ。風とか水みたいに、少しずつ流れてる。でも、あの石の近くだけ動きが弱い」
レオンは記録用紙へ書き込んだ。
魔力がないのではない。
周囲と比べて、流れが弱い。
それ以上の理由は、まだ分からない。
「朝になったら、測定器でもう一度確認しよう」
「数字に出るかな」
「出なかったとしても、それも記録になる」
見張りを交代するまで、石に変化は起きなかった。
物音も、魔力の反応もない。ただ地面の下に、人工的に削られた石が残っているだけだった。
翌朝、周囲が明るくなると、担任の許可を得て正式な測定を始めた。
学院から持参した魔力測定器は、3本の脚で地面へ固定し、中央の針へ周囲の魔力を集める構造になっている。
最初に、野営地から離れた川辺で測定した。
針は小さく揺れたあと、安定範囲の中央付近で止まる。
次に、森林側の端。
ここでも数値に大きな違いはなかった。
最後に、露出した石の近くへ測定器を置く。
ノアが脚の位置を整え、ユリアが時刻と天候を記録した。
「測定を開始する」
担任が装置を起動した。
中央の針が左右へ揺れ、やがて止まる。
表示されたのは、安定範囲内の数値だった。
「異常なし、か」
セイルが言う。
ミナだけは、測定器の下を見つめていた。
「もう1回やって」
「何か見えたのか?」
レオンが尋ねる。
「装置が動いた時だけ、魔力が下へ流れた」
担任は測定器を停止させた。
「石が反応したのか?」
「分からない。石から魔力が出たんじゃないよ。測定器が集めた魔力の一部が、地面の下へ抜けたように見えた」
担任は測定器を石から5歩ほど離し、もう一度起動した。
針は先ほどとほとんど同じ数値を示す。
「今は?」
「下には流れてない」
3度目は、石の縁へ近づけて測定した。
数値は変わらない。
しかし、ミナには再び魔力の一部が地中へ沈むように見えた。
「表示は同じだ」
ガルドが測定器を覗き込む。
「でも、中で起きてることは違うってことか?」
「まだ決めるな」
担任が記録用紙を指した。
「確認できた事実だけを書け。石の近くでも測定値は安定範囲内。測定時に、ミナが地中へ向かう弱い魔力の流れを確認した。装置を離すと、その流れは確認できなかった」
レオンは担任の言葉どおりに記録した。
そのあと、過去の測定結果を取り出して現在の数値と比較する。
3年前。
同じ地点で記録された値は、今朝の測定結果とほぼ一致していた。
「記録どおりですね」
ノアが少し安心したように言う。
「少なくとも、数字は合ってる」
「そうだな」
レオンは測定器と地中の石を見比べた。
学院の資料に書かれた数値は、間違っていないのかもしれない。
ただし、その数字が何を拾い、何を取りこぼしているのかまでは書かれていなかった。
担任は測定器を片づけ、野営地の地図へ印を付けた。
「この石には、これ以上触れない。予定どおり、事前報告にあった道標を確認しに行く」
一行は天幕を残し、必要な装備だけを持って森林の奥へ向かう。
古い地図に描かれた3基の境界標。そのうち、野営地の下にある2基目は見つかった。
次に向かうのは、地上へ露出していると報告された1基目だった。
レオンは出発前に、測定記録へ最後の一文を加えた。
測定値、異常なし。
ただし、測定時にのみ、記録されない魔力移動を確認。
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