第77話 一度きりの反復
個人実技は、第6実技棟で行われる。
試験を終えた生徒と、これから受ける生徒は別の部屋へ分けられていた。
課題の内容を後続の生徒へ伝えられないようにするためだ。
レオンが待機室へ入ると、これから順番を迎える生徒が数人いた。
誰も大きな声では話していない。
ガルドは長椅子へ座り、両手を何度も開閉していた。
「緊張してるのか?」
レオンが尋ねる。
「してない」
「盾を持っていないのに、盾の柄を握る動きをしてる」
「手が暇なんだ」
「それを緊張していると言うのよ」
ユリアが答える。
「ユリアは平気なのか?」
「緊張しているわ」
「平気そうに見えるぞ」
「顔に出しても結果は変わらないもの」
セイルは壁へ寄りかかり、目を閉じていた。
「速さを抑えろと言われた」
「誰に?」
ガルドが尋ねる。
「ローガン先生。第1区画だけで魔力を使い切るな、と」
「お前が速さを抑えたら、何が残るんだ?」
「剣」
「普通だな」
「盾しか残らないお前よりは多い」
「槌もある!」
待機室の扉が開いた。
試験担当の教員が名簿を見る。
「レオン・アーヴェル。準備を」
レオンは立ち上がった。
「先に行ってくる」
「全部壊すなよ」
「ガルドに言われたくない」
「俺は必要な物しか壊さないぞ」
「何を壊すか自分で決めている時点で駄目でしょう」
ユリアの言葉を背中で聞きながら、レオンは待機室を出た。
試験区域の入口にはローガンが立っていた。
ほかにも2人の試験官がいる。
「武器を確認する」
ローガンが言った。
レオンは訓練用の短剣を2本見せる。
刃は潰されているが、実戦用と同じ重さだった。
「左手は?」
「痛みはありません」
「熱は?」
「少し残っています」
「異常を感じた場合は、途中でも申告しろ」
「申告したら失格ですか?」
「試験を続けられる状態か確認する。それを決めるのはお前ではない」
ローガンは正面の扉を開けた。
「結果だけでなく、魔力、体力、判断も評価する。始めろ」
第1区画には、7つの金属環が浮いていた。
環はそれぞれ異なる高さにあり、上下左右へ動いている。
床や壁には、糸が触れたことを確認するための薄い感知術式が張られていた。
正面の石板へ、試験内容が浮かぶ。
『1本の魔法を、すべての環へ順番に通せ』
制限時間は3分。
やり直しはない。
糸が環以外へ触れるたび、減点される。
レオンは左手を開いた。
ゼロスレッドが伸びる。
出そうと意識した時点で、すでに糸は形になっていた。
レオンは先端が動く前に止める。
環の位置を見る。
1つ目は右へ移動。
2つ目は下降中。
3つ目は一定の位置で回転している。
すべての進路を最初から決めない。
まず1つ目だけを狙う。
糸が環を通る。
続けて、2つ目へ先端を下げた。
2つ目の環が急に動きを止める。
練習では、同じ速度で動き続けていた。
試験では途中で速さも変わる。
レオンは糸を曲げない。
環の方が先端へ近づくのを待つ。
2つ目を通過。
3つ目。
4つ目。
左手の奥に熱が生まれる。
まだ痛みではない。
糸の形も乱れていなかった。
5つ目の環が、4つ目の背後へ重なる。
先に曲げれば、環の縁へ触れる。
待ちすぎれば、2つの環が離れて遠回りになる。
レオンは5つ目ではなく、6つ目の動きを見た。
6つ目は上へ向かっている。
5つ目を通ったあと、そのまま上へ糸を伸ばせる。
糸の先端を僅かに遅らせる。
5つ目の環が4つ目の陰から現れた。
中央を通った瞬間、先端を上へ向ける。
6つ目を通過。
最後の環は、床に近い位置を左右へ動いていた。
糸を下げる。
環が右へ動く。
その先に、感知術式が張られた柱がある。
環だけを追えば、糸が柱へ触れる。
レオンは先端を止めた。
環が柱の手前で方向を変える。
戻ってきたところへ糸を通した。
7つ目。
終了を知らせる鐘が鳴る。
接触は0回。
残り時間は42秒だった。
レオンは糸を消した。
左手の熱が強くなっている。
それでも、指は動いた。
区画の奥にある扉が開く。
第2区画には、8体の訓練人形が立っていた。
4体の胸には赤い札。
残る4体には青い札が付いている。
『赤い札の人形だけを停止せよ』
『青い札への攻撃は減点とする』
制限時間は2分。
開始の鐘と同時に、8体すべてが動き出した。
赤い人形だけが攻撃するとは限らない。
青い人形も短剣や杖を持ち、レオンへ近づいてくる。
札を見ず、動きだけで判断すれば間違える。
右側から剣が振られた。
青い札の人形だった。
レオンは攻撃を避ける。
反撃はしない。
その背後から、赤い札の人形が杖を向ける。
光弾が放たれた。
レオンは青い人形の肩へ手を置き、身体を入れ替える。
光弾の進路には青い人形がいる。
赤い人形は魔法を止めた。
保護対象へは攻撃しないよう設定されている。
レオンはその隙に赤い人形へ近づき、胸の停止札を短剣で打った。
1体目。
左から2体が迫る。
赤と青。
互いに位置を入れ替えながら進んでくる。
レオンはゼロスレッドを出そうとする。
左手の指先から、糸が伸びかけた。
狙いを決める前だった。
レオンは魔力を止める。
形になりかけた糸が消えた。
青い人形が前へ出る。
その陰に赤い札が隠れた。
身体が先に選んだのは、2体の足元へ糸を張る動きだった。
以前なら有効だった。
だが、今は青い人形を転倒させれば減点になる。
速く選ばれた手順が、現在の正解とは限らない。
レオンは前へ踏み込んだ。
青い人形の剣を短剣で受け流す。
押し返さず、刃の向きだけを変えた。
背後にいた赤い人形の腕へ、青い人形の剣が当たる。
赤い人形の姿勢が崩れた。
レオンは青い人形の脇を抜け、停止札を打つ。
2体目。
残る赤は2体。
1体は青い人形を盾にするように動いている。
もう1体は、レオンの背後へ回ろうとしていた。
両方を同時に止めようとすれば、糸が2本必要になる。
レオンは背後の1体を見ない。
代わりに、床へ伸びる影を見る。
訓練人形が短剣を上げたことで、影の形が変わった。
レオンは身体を半歩だけずらす。
刃が肩の横を通った。
振り向きながら短剣を当てる。
3体目。
最後の赤い人形は、2体の青い人形の間にいた。
正面から入れば、青い札へ触れる可能性がある。
糸で腕を引いても、隣の人形へぶつかる。
残り時間は24秒。
レオンは糸を1本伸ばした。
狙うのは赤い人形ではない。
その手が持つ訓練剣の柄だった。
糸を巻きつけ、下へ引く。
剣先が床へ向く。
赤い人形は武器を戻そうとして、青い人形の間から腕を伸ばした。
胸の停止札が見える。
レオンは短剣を投げた。
刃を潰した先端が、赤い札へ当たる。
4体目。
終了の鐘が鳴った。
青い札への攻撃は0回。
レオン自身が受けた攻撃もなかった。
ただし、第1区画より呼吸が速くなっている。
左手には、はっきりとした痛みがあった。
第3区画の扉が開く。
中には、青い標的が1体と、赤い標的が3体置かれていた。
床には出口まで続く白い線が引かれている。
壁際には、武器を持った4体の訓練人形。
石板に試験内容が浮かぶ。
『青い標的を出口まで運べ』
『赤い標的3体を停止せよ』
『制限時間3分』
Cクラスの授業で経験した課題に近い。
ただし、今は1人だった。
青い標的を守るガルドはいない。
赤い標的を追うセイルもいない。
足場を制御するユリアもいない。
すべてを自分で行う必要がある。
開始の鐘が鳴った。
青い標的が白線に沿って動き出す。
3体の赤い標的は、別方向から青へ近づいていく。
壁際の訓練人形が光弾を放った。
レオンは青い標的の前へ入り、短剣で光弾をそらす。
完全には防げない。
光が腕をかすめた。
レオンは1本の糸を右の赤い標的へ伸ばす。
進路だけを外へ変える。
糸を消し、左の赤へ伸ばす。
停止させない。
まず、青い標的へ到達する時間を遅らせる。
正面から来る3体目には、自分で向かう。
短剣を胸の札へ当てた。
1体目が停止。
右側の赤い標的が進路を戻す。
左からも近づいている。
2本の糸を使えば止められる。
左手を開く。
2本のゼロスレッドが同時に伸びた。
意識した瞬間には、それぞれが別の標的へ向かっていた。
速い。
狙いも外れていない。
レオンは2本を引いた。
右の標的が止まる。
左の標的も、床の溝から外れた。
左手に強い痛みが走る。
指先の感覚が薄くなった。
2体目を短剣で停止させる。
残る1体へ向かおうとしたとき、試験内容が書き換わった。
『目的変更』
『赤い標的を停止してはならない』
『すべての標的を出口まで運べ』
停止させた2体が再び動き始める。
胸の札も青へ変わった。
レオンの身体は、残る赤い標的へ糸を伸ばそうとしていた。
それまでの目的を続ける動き。
止めると判断するより早く、3本目の糸が指先から伸びた。
標的の足へ向かう。
「違う」
レオンは糸を強制的に曲げた。
足ではなく、標的の側面へ巻きつける。
停止させず、進路だけを出口へ向けた。
急な変更によって、左手の奥で何かが弾けた。
痛みが腕まで広がる。
それでも、糸は切れなかった。
青へ変わった3体の標的が、それぞれ違う方向へ動く。
最初から青かった標的も、出口の手前で訓練人形に塞がれている。
レオンは周囲を見る。
4体すべてを、自分で動かすことはできない。
ガルドなら、正面を守る。
セイルなら、空いた道へ走る。
ユリアなら、必要な場所だけを変える。
3人はいない。
だが、3人と訓練した経験は残っている。
レオンは最初から青かった標的の前へ立った。
正面の攻撃だけを短剣で受ける。
すべてを防がず、標的に当たるものだけを外へ流した。
ガルドが盾で行っていた動き。
右側の標的へ糸を伸ばす。
引き寄せるのではなく、出口までの障害が少ない道へ向けた。
セイルが空いた場所を選んでいた動き。
左側の標的の車輪へ糸を巻きつける。
一度だけ回転を遅らせ、ほかの標的とぶつからない順番へ変えた。
ユリアが必要な場所だけを止めていた動き。
同じ魔法を使っているわけではない。
動きの意味を理解し、自分の方法へ変えている。
残り時間は38秒。
4体の標的が出口へ近づく。
壁際の人形が一斉に構えた。
光弾が4方向から放たれる。
1発はレオン。
残る3発は標的へ向かっている。
すべてを短剣では防げない。
ゼロスレッドを3本使えば、光弾の進路を変えられる。
左手の感覚は、ほとんど残っていなかった。
ローガンの言葉を思い出す。
止める判断も覚えろ。
ここで申告すれば、試験は止まる。
途中までの結果は残る。
身体を壊してまで続ける必要はない。
レオンは出口までの距離を見る。
あと数歩。
理解している動きだった。
何度も失敗し、修正してきた。
ただ、3本を同時に動かすには、今の左手では負担が大きい。
レオンは3本を出さなかった。
1本だけ伸ばす。
最も内側を通る光弾へ巻きつけ、進路を外へ曲げた。
その光弾が、2発目へ衝突する。
2つの光が弾けた。
3発目は短剣で受け流す。
最後の1発がレオンの脇腹へ当たった。
身体が横へ流れる。
痛みで息が止まった。
それでも、標的には当たっていない。
レオンは倒れず、青い標的を押した。
1体目が出口へ入る。
続けて2体目。
3体目。
4体目。
終了を知らせる鐘が鳴った。
残り時間は2秒だった。
訓練人形が停止する。
レオンは左手を下ろした。
糸は出ていない。
指も動かない。
試験区域の扉が開き、ローガンと試験官が入ってきた。
「左手を見せろ」
ローガンが言った。
「試験結果は?」
「先に手だ」
「標的は全部入りました」
「見ていた」
ローガンはレオンの手首へ触れる。
魔力を流されても、指先にはほとんど感覚がなかった。
「なぜ途中で申告しなかった?」
「1本なら使えた」
「3本を使わなかった判断は?」
「使えば、動かなくなると思った」
「今も動いていない」
「試験が終わるまでは動いた」
「それを止める判断ができたとは言わない」
ローガンは試験官へ合図した。
治療担当の教員がレオンの左手へ布を巻く。
冷たい魔力が腕を通り、熱を抑えていく。
「試験は終了だ。治療室へ行け」
「減点ですか?」
「安全管理の評価は下がる」
「ほかは?」
「あとで確認しろ」
ローガンはレオンの肩を支えた。
「自分で歩けます」
「脇腹に光弾を受けただろ」
「標的には当たっていない」
「お前も保護対象に含まれている」
その言葉に、レオンは答えられなかった。
個人実技の結果は、すべての生徒が試験を終えた夕方に掲示された。
ユリア6位。
セイル10位。
レオン14位。
ガルド25位。
ガルドは第1区画の魔力制御で時間を使ったが、第2区画では青い人形を1体も傷つけなかった。
第3区画でも盾を使って標的をまとめて押し、最後まで攻撃を受け止めている。
セイルは第1区画を最速で通過した。
第2区画で青い人形へ1度剣を当てて減点されたが、第3区画では目的変更後も速度を落とさず対応した。
ユリアは3区画すべてで大きな失敗がない。
必要な場所だけを凍らせ、魔力も残していた。
レオンは第1区画と第2区画で高い評価を得ている。
第3区画も、目的変更への対応と標的の保護は評価された。
ただし、安全管理は最低に近かった。
「14位なら高いじゃないか」
ガルドが言う。
治療室の寝台へ座るレオンの前に、結果を書き写した紙を置く。
「筆記7位、実技14位。俺よりずっと上だぞ」
「左手が動かない」
「明日には戻るって先生が言ってただろ」
「完全に戻るとは言っていないわ」
ユリアがガルドを止める。
「明日の集団戦で、ゼロスレッドを使えるかは分からないそうよ」
「使えなくても戦えるだろ」
セイルが壁へ寄りかかっていた。
「第2区画では、糸を使わずに2体止めている」
「4体中2体だけだ」
「全部できなければ意味がないのか?」
「試験なら、点が下がる」
「明日は集団戦だ。全部を1人でやる必要はない」
第4複合実技場で、レオンが仲間へ言った言葉だった。
自分の場所を見てくれ。
それぞれが自分で判断し、異常を止めた。
レオンがいなくても、ガルドたちは結果を残している。
「左手が使えなかったら、役割を変える」
レオンが言った。
「最初からそうしろ」
ガルドが答える。
「俺が前で守る。セイルが動く。ユリアが道を作る」
「ノアとミナもいるわ」
ユリアが付け加える。
年度末の集団戦は、クラスを越えた混成班で行われる。
班分けは明日の朝に発表されるため、誰と組むかはまだ分からない。
それでも、1人で受ける個人実技とは違う。
左手が使えないなら、使えない状態でできることを探す必要がある。
ミナはレオンの左手を見続けていた。
「糸は出てない。でも、流れが動いてる」
「どこへ?」
レオンが尋ねる。
「いつも糸を出すところ」
左手を動かそうとはしていない。
魔力も流していない。
それでも、細い魔力経路だけが反応しているという。
「試験が終わったのに?」
「うん。何度も同じ場所を通ろうとしてる」
レオンは目を閉じた。
1本。
2本。
3本。
環を通した動き。
標的の武器を引いた動き。
光弾同士を衝突させた動き。
頭の中で思い出すたび、左手の奥が熱を持つ。
実際に糸を出していない。
それでも身体は、理解した動きを再現しようとしていた。
反復作業は、経験した手順を繰り返す。
今までは、レオンが意識して始めなければ動かなかった。
だが今は、理解した動きを思い出しただけで、魔力が先に経路を選んでいる。
速くなったのではない。
反復を始めるまでに必要だった手順そのものが、消え始めていた。
レオンは左手を押さえた。
その変化に、まだ身体は耐えられていない。
明日は集団戦。
左手が戻る保証はなかった。
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