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第76話 1年分の答案

第0研究室の筋書きを崩してから、3週間が過ぎた。


学院地下では新たな異常は見つかっていない。

第4支路は封鎖され、古式設備に関する調査も一時的に止まっている。


外では雪が降る日が増え、中庭の噴水には薄い氷が張っていた。


そして、年度末試験の日を迎えた。


試験初日は筆記。

翌日に個人実技。

最終日には集団戦が行われる。


3つの結果を合わせ、1年間の成績と次年度のクラスが決まる。


筆記試験の前日、レオンたちは図書室の一角へ集まっていた。


机の中央には、魔法理論、魔物生態、応急処置、学院規則に関する本が積まれている。


ガルドが問題集を開いたまま、長い時間動かなかった。


「何が分からない?」


レオンが尋ねる。


「どこが分からないか分からない」

「問題は読んだ?」

「3回読んだ」

「内容は?」

「土壁に攻撃を受けたとき、どこを補強するか」

「なら答えられるだろ」

「全部だ」


ガルドは迷わず答えた。


ユリアが本から顔を上げる。


「魔力が足りなくなるでしょう」

「壊れるよりいいだろ」

「全部を厚くして動けなくなったら、壁を作る意味がないわ」


問題には、正面から3回、右側から1回の攻撃を受けた土壁が描かれていた。

残された魔力で、どの部分を補強するべきかを答える内容だった。


「正面の同じ場所へ3回当たっている」


レオンは図を指した。


「表面だけを塞いでも、内側の亀裂は残る。中心から少し外へ魔力を流して、力を周囲へ逃がす」

「どうして外へ逃がすんだ?」

「盾で受けるときと同じだ」

「盾?」

「真正面から全部止めようとすると、腕と足に衝撃が残るだろ」

「ああ」

「盾を傾ければ、攻撃が横へ流れる」

「土壁も傾けるのか?」

「形ではなく、魔力の流れを変える」


ガルドは問題の図を見る。

自分が盾で攻撃を受けた場面を思い出しているらしい。


しばらくして、答えを書き直した。


「最初から盾の問題だと言ってくれれば分かったぞ」

「土壁の問題だ」

「でも、やってることは盾と同じだろ」

「共通する部分を理解したなら、別の問題にも使える」


ガルドは次の問題を開いた。


「じゃあ、これは何と同じだ?」

「自分で考えろ」

「急に冷たくないか?」


隣では、セイルが魔物生態の本を閉じていた。


「出題範囲が広すぎる。全部覚えるのは無理だ」

「全部を同じように覚える必要はないわ」


ユリアが答える。


「生息地域、危険度、主な行動。まず判断に必要なものを覚えればいい」

「角兎の好物まで出たら?」

「諦めなさい」

「ユリアでも覚えてないのか?」

「覚えているけれど、セイルが今から全部覚えるのは無理という意味よ」


ノアは向かい側で、過去の試験問題を解いていた。


「筆記は知識だけじゃない。最後の方は、状況に応じて理由を書く問題が多い」

「理由を書くのが一番面倒なんだよ」


ガルドが言う。


「答えだけ当たっていても駄目なのか?」

「偶然当たったのか、考えて選んだのか分からないからな」


レオンはガルドが書き直した答えを見る。


正しい補強位置だけでなく、盾で衝撃を流す場合との共通点まで書かれている。

最初の答えより長いが、自分の経験とつながったことで、もう忘れにくくなっていた。


見た言葉を、そのまま覚える。


それだけでは反復作業ルーティンは働かない。


意味を理解し、過去の経験と比べ、使える形へ直す。

そこまで行って初めて、積み上げた経験になる。


「レオン」


ミナが左手を見ていた。


「今日は、糸を使ってない」

「筆記の勉強に必要ない」

「昨日も少なかった」

「ローガン先生に止められた」


第4複合実技場で2本のゼロスレッドを正確に動かしてから、糸が形になるまでの時間はさらに短くなっていた。

一方で、左手に残る熱も強くなっている。


ローガンからは、年度末試験まで必要以上に使わないよう指示されていた。


「休ませれば治るの?」


ミナが尋ねる。


「痛みは減る」

「それだけ?」

「分からない」


魔力経路が傷ついている感覚とは違う。


糸を出すたびに、身体の内側で手順が短くなる。

今まで1つずつ行っていた動きを、途中から省いているような感覚だった。


速くなっている。


その速さに、身体がまだ追いついていなかった。


翌朝。


Cクラスの教室では、普段使われている机が、互いの答案を見られない間隔へ並べ直されていた。

机の上に置けるのは、筆記具と学院から渡された答案用紙だけだった。


ディートリヒ・ローガンが教室の前に立つ。


「試験時間は3時間。魔導具、私物の資料、補助術式の使用は禁止する」


教室の扉が閉じられた。


「答案用紙が不足した場合は、手を挙げろ。質問には、問題の不備がない限り答えない。始め」


生徒たちが一斉に問題冊子を開く。


最初は基礎魔法理論だった。


魔力経路の損傷。

属性魔法が不発になる原因。

複数人で魔法を使用する際の干渉。


レオンは、分かる問題から解いていく。


魔力経路へ一度に流せる量を超えた場合、出力だけを下げても損傷は防げない。

魔力を流す間隔と、使用する経路そのものを見直す必要がある。


左手の熱を通して、何度も確認してきたことだった。


魔力が乱れた術式を直す問題では、工房で壊れた魔導具を修理した経験が使えた。


流れが止まった場所だけをつなぎ直しても、その前に魔力が集中していれば再び壊れる。

原因が別の場所にあることも考えなければならない。


次は魔物生態。


管理森林で遭遇した角兎の問題が出た。


追い詰められた角兎が直進だけでなく、急に方向を変える理由。

角ではなく後ろ足の動きを確認する必要性。


実際に戦った経験がある。


だが、北部に生息する鳥型魔物の繁殖時期は分からなかった。

問題文を何度読んでも、答えは出てこない。


反復作業ルーティンは、知らない知識を作り出すスキルではない。

見たことがないものを、理解したことにもできなかった。


レオンは空欄の横へ印を付け、次へ進んだ。


応急処置と野外行動。

学院規則と実習時の判断。


最後の問題には、答えを選ぶ項目がなかった。


『学院から事前に与えられた手順と、現場で確認した状況が異なる場合、どちらを優先するべきか。理由とともに答えよ』


教室の中で、何人かの筆が止まった。


学院の手順を優先する。

目の前の状況を優先する。


どちらか一方を選ぶだけなら簡単だった。


だが、どちらにも危険がある。


手順は、過去の事故や失敗を繰り返さないために作られている。

現場の判断だけで無視すれば、すでに知られている危険へ踏み込む可能性がある。


一方で、管理森林では手順にない魔物が現れた。

予定された対象だけを探し続ければ、鉤爪猿の被害はさらに広がっていたかもしれない。


レオンは答案へ書き始めた。


『最初に現場で確認した事実を優先する。ただし、手順を無視するのではなく、違いが生まれた原因を確かめる』


『手順は過去の失敗から作られている。現状と合わない場合も、なぜその手順が必要だったかを理解せず捨てれば、別の形で同じ失敗をする』


『判断を変更する場合は、周囲へ共有し、変更した理由を記録する』


最後の行を書いたところで、終了を知らせる鐘が鳴った。


「筆記具を置け」


ローガンの声が教室へ響く。


答案が回収される。


ガルドは机へ額をつけていた。


「終わった……」

「試験が?」


セイルが尋ねる。


「俺のCクラス生活が」

「まだ実技と集団戦が残っている」

「筆記の失敗を取り返せると思うか?」

「どの問題ができなかったの?」


ユリアが尋ねる。


「鳥の繁殖時期」

「冬の終わりよ」

「春の初めって書いた」

「大きくは違わないわ」

「採点する人もそう思ってくれるか?」

「思わないでしょうね」

「終わった……」


レオンは最後の問題について尋ねた。


「何と書いた?」

「状況による」

「それだけ?」

「詳しく書けって意味だったのか?」

「理由とともに、と書いてあっただろ」

「状況によるから、状況によるんだ」


セイルがガルドの肩をたたく。


「集団戦で頑張れ」

「もう筆記を諦めるな!」


筆記試験の結果は、翌朝に掲示された。


Cクラス筆記部門。


ユリア4位。

レオン7位。

セイル22位。

ガルド49位。


「最下位じゃない!」


ガルドが順位表の前で喜んでいる。


「喜ぶ基準が低いわ」


ユリアが言う。


「11人も下にいるんだぞ」

「実技で抜かれる可能性がある」

「今日くらい喜ばせてくれよ!」


レオンは自分の答案を受け取った。


間違えていたのは、魔物生態の細かな知識と、古い魔法史に関する問題だった。

経験や仕組みを問う問題は、ほとんど正解している。


最後の記述問題には、ローガンの筆跡で短い言葉が書かれていた。


『変更した結果まで確認すること』


判断を変えただけでは終わらない。

その選択によって、状況がどう変化したかを見る。


第0研究室との戦いでも、同じだった。


用意された手順を拒んだ。

筋書きを崩した。


だが、その後に何が起きるのかは、まだ分からない。


「7位で不満なの?」


リゼットが順位表の横から声をかけた。


Sクラスの順位表を確認したあと、こちらへ来たらしい。


「悪くない」

「良いとも言わないのね」

「間違えた場所が分かった」

「普通は順位を見てから言うものよ」

「リゼットは?」

「3位」

「入学試験と同じだな」

「次は上げるわ」


リゼットは当然のように答えた。


Sクラス3位で満足しているわけではない。

最初から上にいる者も、そこで止まってはいなかった。


掲示板の隣には、個人実技の説明が貼り出されている。


試験は3つの区画を連続して進む形式だった。


第1区画は魔力制御。

動き続ける複数の環へ、指定された魔法を通す。


第2区画は判断試験。

攻撃対象と保護対象が混ざった訓練人形の中から、指定されたものだけを止める。


第3区画の内容は非公開。


各区画の間に休憩はない。

前の区画で使った魔力や体力も、そのまま次へ持ち越される。


やり直しは認められない。


「反復できない試験ね」


リゼットが言う。


「試験そのものは1回だけだ」

「あなたのスキルに不利?」

「今までに反復したものは使える」


同じ試験を何度も受ける必要はない。


魔力を制御した経験。

標的を見分けた経験。

途中で変わる指示へ対応した経験。


1年間に積み上げたものを、1回の試験で使う。


だが、第3区画だけは内容が分からない。


理解したことのない課題には、反復作業ルーティンも答えを出せなかった。


放課後。


レオンは第5実技場で、5つの環を使った訓練を行っていた。


明日の試験前に、糸の状態だけを確認する。


1本のゼロスレッドを伸ばす。


1つ目。

2つ目。

3つ目。


環が動く方向を見ながら、先端を変える。


4つ目。

5つ目。


すべて通った。


以前なら、何度か失敗してから成功した動きだった。

今は最初から、身体が正しい手順を選んでいる。


レオンは糸を消し、もう一度左手を開いた。


「終わりだ」


実技場の入口から、ローガンの声がした。


「まだ1回しかしていません」

「成功したなら十分だ」

「偶然かもしれない」

「確認のために、あと何回やる?」

「同じ結果が続くまで」

「それで左手が動かなくなったら、明日はどうする?」


レオンは答えなかった。


ローガンが近づき、左手を確認する。


指先には震えが出ている。

糸を1本使っただけで、魔力経路の奥に熱が残っていた。


「以前より早く、正確に出せています」

「だから負担も早く来ている」

「繰り返せば慣れる」

「肉体が耐えられる範囲ならな」


ローガンは5つの環を止めた。


反復作業ルーティンは、壊れるまで動くためのスキルか?」

「違います」

「なら、止める判断も覚えろ」


ローガンは出口へ向かう。


「明日の実技は1回だけだ。今日の成功をもう一度確かめる試験ではない」

「何を確かめるんですか?」

「この1年で、お前が何を積み上げたかだ」


レオンは動きを止めた環を見る。


失敗した回数なら覚えていない。


糸を出せなかった日。

狙いを外した回数。

左手が動かなくなった戦い。


同じ失敗を、そのまま繰り返したわけではない。


理由を考え、位置を変え、力を減らし、仲間へ任せた。


明日の試験で使えるのは、成功した動きだけではなかった。


失敗するたびに変えてきた、すべての手順だった。


レオンは短剣を鞘へ戻し、実技場を出た。


左手には、まだ熱が残っている。


反復作業ルーティンは確かに変わり始めていた。


だが、これ以上速くなれば、スキルより先に身体が壊れる。


個人実技まで、あと1日。

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