第74話 用意されなかった手順
『用意された道を選ぶな』
暗い入口の内側に、刃物で削られた文字が残っていた。
18年前に回収対象となった誰かが刻んだ可能性が高い。
だが、その人物が中央の通路を進んだのか、別の者へ残した言葉なのかまでは分からない。
「中央なら安全、という意味ではないわね」
リゼットが暗闇の奥を見る。
「AとBに分けられた道を選ぶな、としか書かれていない」
「ああ」
レオンは入口の床へゼロスレッドを伸ばした。
中央の通路には、搬送架が通った2本の溝がない。
床は狭く、壁も途中から人の肩幅ほどまで近づいている。
人を箱に収めて運ぶための経路ではなかった。
誰かが歩いて作った道。
あるいは、古い施設を知る者が後から開いた道だった。
「先頭は俺とクラリス先生だ」
ローガンが剣を抜く。
「レオンとリゼットは中央。ミナは2人の近くにいろ。ガルドは最後尾」
「俺が最後なのか?」
「後ろから門が閉じた場合、止められるのはお前だ」
「それなら任せろ」
セイル、ユリア、ノアは前後を確認できる位置へ分かれた。
誰か1人を先へ行かない。
AとBだけを進ませない。
用意された分断を避けるため、9人全員で中央の通路へ入った。
入口を越えても、古い門は閉じなかった。
クラリスが作った小さな風の灯りが、石壁を照らす。
壁には古代の術式が刻まれているが、多くは途中で削られていた。
自然に壊れた跡ではない。
線を断ち切るように、必要な場所だけが削られている。
「誰かが術式を止めながら進んだのか?」
セイルが壁を見る。
「可能性はあるわ」
クラリスは削られた部分へ触れず、杖の先を近づけた。
「ただし、すべてを止めたわけではない。残す線と切る線を選んでいる」
「仕組みを知っていた?」
ノアが尋ねる。
「何度も試して覚えた可能性もある」
レオンは壁に残された傷を見た。
同じ場所へ何度も刃を当てた鎖門。
その後、反復する衝撃へ対処する補強が加えられた。
過去の対象は、最初から正しい線を知っていたとは限らない。
間違った場所を切る。
門が開かない。
別の線を試す。
それを繰り返して、進める手順を見つけた。
第0研究室は、その失敗を次の設備へ反映した。
この通路に残る傷は、両者が互いの方法を変え続けた跡かもしれない。
少し進むと、通路の幅が広がった。
円形の小部屋。
正面、右、左の3方向に扉がある。
正面の扉には記号がない。
右側にはA。
左側にはB。
背後の入口を含めれば、4方向へ道が伸びていた。
「また分けるつもりか」
ガルドが中央へ進む。
床が淡く光った。
『対象A―07』
『対象B―31』
続いて、新しい文字が浮かぶ。
『随伴者――7名』
「私たちの人数まで分かっている」
ユリアが杖を構える。
文字が変わった。
『観測対象外の退去を要求』
左右の扉が開く。
Aの扉の先には赤い灯り。
Bの扉の先には、色のない白い灯りが見える。
正面の扉は閉じたままだった。
『対象Aは右へ』
『対象Bは左へ』
『随伴者は後方へ退去』
「誰が行くか」
ガルドが言う。
床の光が強くなる。
『退去を確認できません』
部屋の入口で、石壁が上から降り始めた。
「閉じるぞ!」
ガルドが入口へ走る。
大盾を横へ倒し、降りてくる石壁の下へ差し込んだ。
石壁が盾へぶつかる。
ガルドの膝が沈んだ。
「長くは持たないぞ!」
「戻る?」
ユリアが尋ねる。
「戻っても、次は開かない可能性がある」
クラリスは3つの扉を確認する。
「ただし、ここで全員が閉じ込められるのも避けるべきね」
「正面を開ける」
レオンが言った。
「前と同じように、中央の仕組みを探すのか?」
ローガンが尋ねる。
「同じ方法が通じるとは限りません」
「なら、どうする?」
「反応を見ながら変えます」
レオンは正面の扉へゼロスレッドを伸ばした。
糸が届く前に、床から細い光が立ち上がる。
ゼロスレッドの進路を塞ぐように、透明な膜が作られた。
糸が膜へ触れる。
左手に強い熱が走った。
レオンはすぐに糸を消す。
「前の門で使った方法を知っている」
リゼットが言った。
「中央へ糸を通すことまで記録された?」
「古い門が記録を送ったとは限らない」
クラリスは透明な膜を見る。
「この部屋の術式が、通路で行われた操作を読み取った可能性もある」
「どっちでも同じだ」
セイルが正面の扉へ剣を向けた。
「同じ方法は止められる」
「なら、別の場所から探す」
ノアが水球を作った。
薄い水の膜を部屋の中央へ広げる。
透明な防壁や空気の流れがあれば、水面の揺れに現れる。
正面の扉の前だけではない。
右と左の扉からも、中央へ向かう細い空気の流れがあった。
「3つの扉がつながっている」
ノアが言う。
「開いている左右から、正面の奥へ空気が流れてる」
「右と左を通らないと、正面は開かない?」
リゼットがAの扉を見る。
「それも用意された手順よ」
「中へ入る必要はない」
セイルは右側の扉へ近づいた。
足は境界を越えない。
入口から奥を確認する。
「右の壁に、魔力を流す場所がある。左も同じ形だ」
「AとBをそれぞれ中へ入れ、魔力を使わせる仕組みでしょうね」
ユリアが左側を見る。
「なら、外から動かせばいい」
「前にも試した」
レオンが答える。
「対象が指定位置に立っていないと、固定未完了と判断された」
「今回は、扉の中へ入れとは書いてあっても、どこへ立てとは書いてないわ」
リゼットが右手へ炎を集める。
「入口から届くなら、中へ入る必要はない」
リゼットはAの扉の奥へ細い炎を伸ばした。
広く燃やさない。
壁にある術式の1点だけを熱する。
右側の床が赤く光る。
『対象A反応――確認』
リゼットは扉の外にいる。
それでも、魔力だけには反応した。
「片方は動いた」
ユリアが左側の床を見る。
「Bは?」
「糸は防がれる」
レオンは左手を開いた。
ゼロスレッドを出そうと考えた瞬間、糸が伸びた。
意識して魔力を流すよりも早い。
だが、先端はBの扉ではなく、正面の透明な膜へ向かっていた。
レオンは糸を止める。
完全には間に合わない。
先端が膜へ触れ、左手に痛みが走った。
糸を消す。
「また勝手に出たのか?」
ガルドが盾を支えながら尋ねる。
「ああ」
「速くなったのはいいことじゃないのか?」
「狙った場所へ行かなければ邪魔になる」
レオンは左手を閉じた。
身体が先に動こうとしている。
これまで繰り返してきた経験から、正面の障害を糸で調べようとした。
だが、今必要なのは速さではない。
Bの扉へ、正確に魔力を届かせることだった。
「糸を出さずに魔力だけを送れる?」
ミナが尋ねる。
「距離がある」
「糸の形にする前なら、膜に止められないかもしれない」
「どうやって届かせる?」
「ノアの水」
ノアがミナを見る。
「水にレオンの魔力を乗せる?」
「流れが見えれば、途中でずれたときに分かる」
ノアは小さな水球をBの扉へ浮かせた。
水球から細い水の線を伸ばし、壁の術式までつなげる。
レオンは水へ左手を近づけた。
ゼロスレッドは出さない。
魔力だけを、細く水の中へ流す。
水の線が淡く光った。
「少し右」
ミナが言う。
ノアが水の流れを曲げる。
「下。もう少し」
「ここか?」
「そこ」
水がBの術式へ触れた。
左側の床に、白い光が広がる。
『対象B反応――確認』
AとB。
2つの反応がそろった。
だが、正面の扉は開かない。
『対象位置――不一致』
『固定工程へ移行できません』
「やっぱり、中へ入らないと駄目なのか?」
セイルが尋ねる。
「固定工程には進まない」
レオンは表示を見る。
「でも、反応は確認された」
「2つの魔力が必要なだけなら、次の仕組みが動くかもしれないわ」
クラリスが正面の扉へ杖を向ける。
正面を塞いでいた透明な膜が、僅かに揺れている。
完全には消えていない。
だが、最初より薄くなっていた。
「もう1つ必要」
ミナが床を見る。
「AとBの線が中央で止まってる。正面へつながってない」
「中央に何がある?」
レオンが尋ねる。
「何もない。でも、7本の細い線が集まってる」
随伴者7名。
ガルド、ミナ、ノア、セイル、ユリア。
そしてクラリスとローガン。
第0研究室は、対象外として退去を要求した。
だが、古い術式には7人分の線が残されている。
「観測対象外ではない」
リゼットが言う。
「最初から、私たち以外の反応も取るつもりだった」
「退去させるのは、反応が不要だからじゃない」
レオンは床に浮かぶ7本の線を見る。
「AとBが分けられたとき、ほかの者がどう動くかを見るためだ」
「なら、全員が残ることも条件になる?」
ユリアが尋ねる。
「用意された条件ではない」
ローガンが答える。
「だが、中央の扉には影響している」
ガルドの盾が軋む。
降り続ける石壁の重さで、表面に新しい亀裂が入った。
「考えるのはいいけど、早めに頼むぞ!」
レオンは7本の線を見る。
AとBだけで正面を開こうとしても、つながらなかった。
中央の道を作った過去の者は、用意された2人だけで進んだわけではない。
外に残った誰か。
門を支えた者。
魔力の流れを見つけた者。
複数の人間が関わったから、用意されていない道が開いた。
「全員で中央へ魔力を流す」
レオンが言った。
「属性が違うぞ」
セイルが答える。
「同じ魔力にする必要はない。7本の線へ、それぞれが触れる」
「俺は魔法が得意じゃないぞ」
ガルドが言う。
「盾へ流している魔力でいい」
「今、盾を支えるのに使ってる」
「そのまま流れている」
ミナがガルドの足元を見る。
「線につながってる」
「最初からか?」
「うん」
石壁を支えるガルド。
周囲を見るセイル。
床を冷やす準備をしているユリア。
水を維持するノア。
それぞれがすでに魔力を使っている。
クラリスとローガンも、いつでも動けるよう武器と杖へ魔力を流していた。
必要なのは、新しい魔法ではない。
今使っている力を、中央の線へつなぐことだった。
「ミナ、位置を教えてくれ」
「床に7つある。全員の近く」
ミナが順番に場所を示す。
ユリアは杖の先を床へ当てた。
セイルは剣先を石板へ向ける。
ノアが水の線を足元へ落とす。
クラリスは小さな風を流した。
ローガンは剣を床の隙間へ差し込む。
ガルドは盾を支えたまま、踏み込んだ右足へ魔力を集める。
7本の線が光った。
正面の透明な膜が消える。
「レオン!」
ローガンが叫ぶ。
レオンはゼロスレッドを伸ばした。
速さを求めない。
正面の扉の中央だけを見る。
1本。
糸は狙った場所へ真っ直ぐ届いた。
扉の表面にある小さなくぼみへ巻きつく。
レオンはすぐには引かない。
リゼットの炎がAの術式へ流れ続けている。
ノアの水を通したレオンの魔力は、Bの術式を維持していた。
7人の線も中央へ集まっている。
すべてがつながったことを確認してから、糸を引く。
正面の扉が奥へ沈んだ。
同時に、入口を閉じようとしていた石壁が止まる。
「開いたぞ!」
ガルドが盾を引き抜いた。
右と左の扉が閉じる。
AとBの表示も消えた。
残ったのは、正面に開いた1本の通路だけだった。
『規定外の手順を確認』
床に文字が浮かぶ。
『随伴者の介入を記録』
続いて、今までの古い文字とは形の違う術式が現れた。
線が新しい。
摩耗もない。
超古代文明の仕組みに、後から加えられたものだった。
『回収工程――修正』
「第0研究室が追加した術式ね」
クラリスが杖を向ける。
新しい文字が続く。
『対象A・対象Bの分離に失敗』
『原因――随伴者7名』
ガルドが床を見る。
「俺たちのことか?」
「ああ」
第0研究室は、回収が失敗した理由を記録していた。
黒い箱を止めた者。
古い動力経路を外した者。
対象Aと対象Bを守った者。
7人全員を、失敗の原因として認識している。
文字がさらに変わる。
『次工程を再設定』
正面の通路から、重い音が響いた。
何かが近づいている音ではない。
奥にある複数の門が、順番に閉じていく音だった。
「退路は?」
セイルが背後を見る。
入口の石壁は止まっている。
今なら戻れる。
だが、正面の奥から古い紙が1枚、風に押されるように滑ってきた。
クラリスが風で受け止める。
学院で使われる新しい記録用紙だった。
超古代の遺物ではない。
表には、授業の編成表が書かれている。
2日後。
CクラスとSクラスの合同実技。
参加者の欄には、レオンとリゼット。
ガルド、ミナ、ノア、セイル、ユリアの名前もあった。
クラリスとローガンの名前だけがない。
「この合同実技は予定されていない」
ローガンが言う。
「少なくとも、俺は何も聞いていない」
「偽の授業?」
リゼットが記録用紙を見る。
授業内容の欄には、短い言葉だけが書かれていた。
『分離対応訓練』
その下に、第0研究室の新しい術式と同じ文字が浮かび上がる。
『次回は、随伴者から分離する』
観測と回収を止めた仲間たちは、もう対象外ではなかった。
第0研究室は、レオンとリゼットだけを見ていない。
2人を用意された結果から引き離す者たちも、次の筋書きへ組み込み始めていた。
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