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第73話 存在しない第4支路

第4支路の調査申請に返答が届いたのは、3日後だった。


クラリスが提出した申請書には、学院管理部の印が押されている。


北棟地下の旧設備調査。

古い修繕記録との照合。

生徒の安全に関わる異常の確認。


調査そのものは許可されていた。


ただし、申請書の下には赤い文字が書き加えられている。


『第4支路と呼ばれる区画は、学院の現行図面および過去の建築記録に存在しない』


「存在しない場所の調査が許可されたのか?」


ガルドが首をかしげる。


「北棟地下の基礎部分を調べる許可よ」


クラリスが答えた。


「第4支路という名称については、学院側は認めていない」

「修繕記録には書いてあっただろ」

「だから、記録同士が食い違っているの」


18年前の修繕帳簿には、北棟地下第4支路と明記されていた。


だが、学院の建築記録には存在しない。

廃止されたとも、埋められたとも書かれていなかった。


最初からなかった場所として扱われている。


「調査へ参加できるのは、申請書に名前を記載した者だけだ」


ローガンが紙を広げた。


クラリスとローガン。

レオン、リゼット、ミナ。


さらに、過去の記録を発見した立会人として、ガルド、セイル、ユリア、ノアの名前も追加されていた。


「全員で行けるのか?」


ガルドが声を上げる。


「授業ではない。勝手に走り回れば、その場で地上へ戻す」

「分かってる」

「古い帳簿を上下逆に持った者の言葉は信用しづらいな」

「あれは1回だけだろ!」


調査は、その日の放課後に行われる。


それまで、レオンたちには通常の授業があった。


第5実技場では、床から複数の細い柱が伸びている。

柱の先には、小さな金属環が取り付けられていた。


課題は、ゼロスレッドを1本だけ使い、5つの環へ順番に通すこと。


環は一定の速度で動き続ける。

糸が柱や床へ触れれば、最初からやり直しだった。


「本当に1本しか使っちゃ駄目なのか?」


ガルドが実技区域の外から尋ねる。


「俺の課題だ」

「見てる方が暇なんだよ」

「なら、自分の課題をやればいいでしょう」


ユリアが氷の板を薄く伸ばしながら答えた。


隣の区域では、ガルドたちも別の訓練をしている。


ガルドは盾で受けた衝撃を、足を止めずに外へ流す。

セイルは風を使う時間を短くし、加速と減速を細かく切り替える。


ユリアは小さな氷を複数作り、必要な場所だけを残す練習をしていた。


レオンは左手を開く。


ゼロスレッドが伸びる。


以前より、出るまでが速い。

考えてから魔力を流すのではなく、伸ばそうとした時点で糸が形になる。


1つ目の環を通る。

続いて2つ目。


3つ目の環が上へ動く。


レオンは糸を追わせようとする。

その瞬間、先端が予定より早く曲がった。


糸が柱へ触れる。


「失敗」


ローガンが告げた。


「もう1回」

「今ので12回目だ」

「まだ授業時間は残っています」

「回数の話ではない。失敗した理由を言え」

「環が動く前に、糸を曲げました」

「どうしてだ?」

「前の11回で、同じ場所へ動いていたからです」

「12回目も同じとは限らない」


ローガンが装置を操作する。


5つの環が、先ほどまでとは違う方向へ動き始めた。


「速く出るようになった分、お前自身が糸へ追いついていない。予測だけで動かすな」

「見てからでは遅れる」

「見る前に決めるなとは言っていない。決めたあとも見続けろ」


レオンは1つ目の環を見る。


最初の位置。

動く方向。

次の環までの距離。


すべてを先に決めても、途中で変わる可能性を残す。


糸を伸ばす。


1つ目。

2つ目。


3つ目の環が、途中で速度を落とした。


先ほどなら、最初の動きだけを見て先へ曲げていた。

今回は糸を真っ直ぐ保つ。


環が糸の方へ動く。

通過した瞬間に、先端を4つ目へ向けた。


4つ目。

5つ目。


糸はどこにも触れなかった。


「成功だ」


ローガンが言う。


「次は6つですか?」

「今日は終わりだ」

「まだ時間がある」

「放課後に地下へ行く。左手を使い切るつもりか?」

「1本だけです」

「1本を正確に使う方が、今のお前には負担が大きい」


レオンは左手を見る。


熱は弱い。

だが、指先には僅かな震えが残っていた。


速く出すこと。

複数を同時に使うこと。


それだけが成長ではない。


変化する相手を見ながら、狙った場所へ正確に届かせる。

今のレオンに必要なのは、その反復だった。


放課後。


調査に参加する9人は、北棟地下へ集まった。


北棟の地下は、暖房用の魔石や古い資材を保管する場所として使われている。

石造りの通路は狭く、壁には一定の間隔で明かりの魔石が取り付けられていた。


最も奥に、18年前の修繕記録が示す場所がある。


目の前にあるのは、何の変哲もない石壁だった。


扉もない。

床を走る魔力経路も、壁の手前で途切れている。


「ここが第4支路?」


ガルドが壁をたたく。


鈍い音が返る。


「普通の壁にしか見えないぞ」

「強くたたくな」


ローガンがガルドの腕を止めた。


「内部に何があるか分からない」

「だから確かめたんだ」

「拳で確かめるな」


クラリスが古い修繕帳簿を開く。


記録された距離が正しければ、この壁の向こう側に鎖門があった。


18年前、何者かが内部から繰り返し攻撃し、門を破壊した。

その後、新しい門へ交換されている。


しかし、現在の壁には修繕された跡さえ見えない。


「空洞があるか確認する」


ノアが小さな水球を作った。


水を薄い膜へ変え、石壁の前へ浮かせる。

壁から空気が漏れていれば、水面が僅かに揺れる。


最初は何も起きなかった。


ノアが膜の位置を少しずつ下げる。


床から膝ほどの高さ。

壁の右端で、水面に細かな波が生まれた。


「風が出ている」

「隙間は見えないわ」


ユリアが壁へ顔を近づける。


ミナは右端の石へ手をかざした。


「線がある」

「古い術式か?」


レオンが尋ねる。


「うん。でも、壁の表面じゃない。中に隠れてる」


現在の石壁の奥に、別の魔力の流れが残っている。


リゼットが指先へ小さな炎を灯した。


壁全体を熱するのではない。

ノアが見つけた場所だけへ熱を近づける。


温められた石から、水分が薄く蒸発する。


その跡に沿って、縦に細い線が浮かび上がった。


「継ぎ目ね」


ユリアが杖の先を当てる。


熱せられた部分だけを冷やす。

石が僅かに縮み、見えなかった隙間が広がった。


「レオン」


ローガンが呼ぶ。


レオンはゼロスレッドを1本だけ伸ばした。


細い隙間へ入れる。

途中で石に触れないよう、糸の先端を少しずつ曲げる。


奥に金属の感触があった。


引く。


動かない。


「固定具があります。壁の右奥」

「いくつだ?」

「今触れているのは1つだけです」


以前なら、別の糸を増やして周囲を探していた。


今は1本を動かす。


金属の表面をなぞり、形を確かめる。

横に長い留め具。


下側に、小さな引っかかりがある。


糸をそこへ回し、上へ持ち上げた。


壁の内側から、硬い音が響く。


「外れた」


石壁が僅かに前へ傾いた。


ガルドがすぐに両手を当てる。


「押せばいいのか?」

「ゆっくりよ」


クラリスが壁の周囲を確認する。


「倒すのではなく、手前へ引く構造みたい」

「じゃあ任せろ」


ガルドは足を開き、石壁を少しずつ手前へ動かした。


重い石が床の上を滑る。

人1人が通れるほどの隙間が生まれた。


その向こうには、暗い通路が続いていた。


壁の裏側には、現在の学院で使われていない複雑な術式が刻まれている。


石壁に見えたものは、扉だった。


「こんな重いものを、誰が開けるんだ?」


セイルが内部をのぞく。


「本来は、人の力で動かすものではない」


クラリスが術式を見る。


「決められた条件を満たせば、壁そのものが移動したはずよ。今は術式の大部分が止まっている」

「学院を建てた人間が作ったんですか?」


ノアが尋ねる。


「学院の最古の記録にも、この書き方は残っていない」


クラリスは断定しなかった。


ただ、現在の学院では再現できないほど古い設備であることは確かだった。


ローガンが先頭に立つ。

その後ろにクラリス。


生徒たちは間隔を空けて続いた。


通路の壁には、明かりがない。

クラリスが作った小さな風の灯りだけが、周囲を照らしている。


床には2本の細い溝が続いていた。


過去に搬送架が通った跡だと考えられる。

溝は通路の奥へ向かっている。


「足跡は残っていないな」


セイルが床を見る。


「18年前でしょう。残っている方がおかしいわ」


ユリアが答えた。


「でも、あれは新しい」


ミナが通路の端を指す。


壁際の埃が、一部だけ薄くなっている。


誰かが最近通った跡ではない。

床下から漏れる微かな魔力によって、埃が外側へ押し流されていた。


現在も、この通路の一部は動いている。


少し進むと、床に小さな金属片が落ちていた。


レオンが拾う。


学院の順位札だった。


表面は錆びている。

名前が刻まれていた場所は削り取られている。


それでも、クラスと順位だけは読めた。


Cクラス。

31位。


「18年前の生徒のもの?」


リゼットが尋ねる。


「同じ順位の別の生徒かもしれない」


レオンは断定しなかった。


だが、偶然とは考えにくい。


18年前、在籍記録から消されたCクラス31位。

内部から破壊された鎖門。


その鎖門があったとされる通路で、名前を削られた順位札が見つかった。


「ここまで来たことは確かね」


クラリスが順位札を布へ包む。


「ただし、回収されたあとか、逃げる途中かは分からない」


通路の先に、古い金属壁が見えてきた。


第72話で確認した鎖門とは違う。

こちらには大きな破損がない。


中央には、2つの円形のくぼみが並んでいる。


右側にはA。

左側にはB。


現在の第0研究室で使われている記号と同じだった。


レオンとリゼットが近づく。


壁の術式が淡く光った。


『対象A―07』


リゼットの前に文字が浮かぶ。


続いて、レオンの前にも光が現れた。


『対象B―31』


誰も魔力を流していない。


それでも古い門は、2人を識別した。


床から、2つの円が浮かび上がる。

Aの円は右側。

Bの円は左側にある。


『指定位置へ移動』


「乗れば開くのか?」


ガルドが尋ねる。


「用意された場所へ立てばね」


リゼットは円を見下ろす。


「従う必要はある?」

「ない」


レオンはすぐに答えた。


管理森林での観測。

同時刻に行われたSクラスの訓練。

第4複合実技場に置かれた2つの装置。


第0研究室は、何度もAとBを分けた。


違う状況を与え、反応を比べる。

回収時にも、2人は別々の箱へ入れられる予定だった。


この門も同じだった。


Aは右。

Bは左。


最初から進む場所を決められている。


「乗らなければ、先へ進めないかもしれないわ」


クラリスが門を調べる。


「だからといって、すぐ従う必要はない。別の開け方を探す」

「古い設備を壊すのは?」

「最後の手段だ」


ミナは門の周囲を見る。


「円から門へ線が伸びてる。でも、別の線もある」

「どこ?」


ユリアが尋ねる。


「下。2つの円の間」


AとBの指定位置。

その中央には、何も描かれていない。


レオンは床へしゃがんだ。


ゼロスレッドを細く伸ばす。


石板の隙間を通り、床の下へ入れる。

中央には、小さな留め具が隠されていた。


AとBの円から流れる魔力は、そこで1つに集まる。

その先で門を開く構造だった。


「2人が円へ立たなくても、中央へ魔力を流せれば開ける」

「私たちの魔力でなければ反応しない可能性は?」


リゼットが尋ねる。


「なら、円には立たずに魔力だけを流す」


レオンはAの円へ糸を伸ばした。


リゼットが糸へ指先を近づける。

細く絞った炎を、ゼロスレッドへ触れさせない距離で維持する。


糸の周囲に、リゼットの魔力が残る。


レオンはその糸をAの円へ置いた。


続いて、別の糸をBの円へ伸ばそうとする。


左手に熱が走る。


ローガンが止めた。


「1本だけだ」

「両方へ必要です」

「お前自身がBの位置にいる。円へ入らず、外側から触れればいい」


レオンはBの円の手前へ立った。


足は入れない。

左手だけを円の上へ伸ばす。


Aの円には、リゼットの魔力をまとった糸。

Bの円には、レオンの左手。


2つの術式が同時に光った。


『位置――不一致』


門は開かない。


「やっぱり立たないと駄目なのか?」


ガルドが尋ねる。


文字が変わる。


『対象反応――確認』


AとBの存在は認識されている。


『固定――未完了』


「門を開くためではない」


リゼットの表情が変わる。


「円へ立たせること自体が目的なのね」


門を通るための鍵ではない。

指定された位置へ2人を固定し、その反応を確認するための装置だった。


「なら、従わない方がいい」


セイルが剣へ手を添える。


「別の線を探すぞ」


ガルドが中央の床へしゃがむ。


「俺にも見えるように説明してくれ」

「中央の下に、2つの流れが集まる場所がある」


レオンが答える。


「そこへ直接力を送ればいい」

「床を持ち上げる?」

「古い術式ごと壊す可能性があるわ」


ユリアが床へ杖を向ける。


「隙間だけ広げる。リゼットが温めて、私が冷やす」

「俺は浮いたところを支える」


ガルドが盾を床へ寝かせた。


セイルは後方へ向き直る。


「俺は通路を見る。動くものがあれば知らせる」

「声を使える状況でよかったな」


ガルドが言う。


「無言でも伝えられる」

「今は話せよ」


リゼットが中央の石板を温める。

ユリアが外側だけを冷やす。


石の収縮によって、僅かな隙間が生まれた。


ガルドが盾の縁を差し込み、ゆっくり持ち上げる。


レオンは1本の糸を隙間へ通した。


中央の留め具へ巻きつける。

今度は位置を探し直さない。


先ほど確認した形を思い出し、最初から引っかかりへ糸を回す。


引く。


金属が動いた。


門の内部から、低い音が響く。


AとBの円が消えた。


『指定条件――不成立』


続いて、新しい文字が浮かぶ。


『規定外操作を確認』


金属壁の中央に、縦の線が入った。


左右へ分かれるのではない。


Aの道でも、Bの道でもない。


2つの円の間。

何も描かれていなかった場所が、奥へ沈み始める。


中央に、人1人が通れる細い入口が現れた。


「3つ目の道?」


リゼットが暗闇を見る。


古い門は、AとBを別々の位置へ立たせようとした。


レオンたちは従わなかった。

指定された2つの入口ではなく、中央の仕組みを直接動かした。


その結果、記録にも図面にもない通路が開いた。


入口の内側には、刃物で削られた文字が残っていた。


古代の術式ではない。

18年前の鎖門に刻まれていたものと同じ、乱れた筆跡だった。


第72話で見つけた言葉。


『次は』


その続きが、ここに残されている。


『用意された道を選ぶな』


過去の誰かも、AとBへ分けられた道を拒んでいた。

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