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第69話 消された在籍

『回収』


その2文字が見つかってから、12日が過ぎた。


第0研究室につながる新たな装置は発見されていない。

廃止された第2保守室の番号を使った申請も、あの日から1度も作られなかった。


学院は表面上、以前と変わらず動いている。


季節だけが進んでいた。


中庭を覆っていた赤い葉はほとんど落ち、朝には石畳の端へ薄い霜が残る。

制服の上から外套を着る生徒も増えた。


秋が終わり、冬が近づいている。


第5実技場では、レオンたちが4人1組の課題へ挑んでいた。


中央には、守るべき青い標的人形。

周囲には、武器を持った6体の訓練人形が配置されている。


課題は、青い標的を守りながら、指定された区域まで移動させること。

訓練人形は前後左右から攻撃してくる。


「右から2体!」


ガルドが大盾を構えた。


以前なら、レオンは右側へ糸を伸ばし、2体の進路を同時に変えようとしていた。


今回は動かない。


「任せる」


ガルドは盾を前へ出した。

1体目の剣を受け、そのまま盾の表面を滑らせる。


2体目へは片手槌を向けた。

倒すのではなく、胸元を押して進路をずらす。


青い標的の右側に道ができた。


左から迫る人形へ、セイルが走る。

最短距離で攻撃せず、一度外側へ回った。


人形の剣が空を切る。

その脇を抜け、セイルは柄で人形の背中を押した。


「左は通れる」

「前を開けるわ」


ユリアが床へ杖を向ける。


広い氷は作らない。

青い標的の前にいる2体の足元だけを、薄く凍らせた。


1体が滑る。

もう1体は踏みとどまった。


レオンは踏みとどまった人形へゼロスレッドを伸ばした。

腕ではなく、剣の柄へ巻きつける。


糸を引く。

剣先が横へずれた。


攻撃を避けながら、レオンは青い標的の台座を押す。


「前へ進める」

「後ろは俺が見る!」


ガルドが振り返る。


背後から来た人形の攻撃を盾で受けた。

その横を、セイルが風を使って駆け抜ける。


ユリアは青い標的の車輪が進む場所だけを凍らせ、抵抗を減らした。


4人は止まらない。


レオンが全員の動きを決めなくても、ガルドは守る場所を選ぶ。

セイルは空いている道を見つける。

ユリアは必要な量だけ魔力を使う。


レオンは3人が届かない場所へ糸を伸ばした。


青い標的が、指定区域へ入る。


「終了」


ディートリヒ・ローガンが訓練装置を止めた。


制限時間は、まだ18秒残っている。

青い標的が受けた攻撃は1回だけだった。


「今のはどうだ?」


ガルドが尋ねる。


「基準には届いている」

「よし!」

「最後の攻撃は、防げた可能性がある」

「絶対に何か付け足すよな!」

「次に直す場所があるからな」


ローガンは記録板へ結果を書き込む。


「アーヴェル」

「はい」

「最初に右へ動かなかった理由は?」

「ガルドが対応できると判断しました」

「失敗した場合は?」

「俺が間に入る準備をしていました」

「今回は、任せることと放置することを区別できていた」


レオンはガルドを見る。


ガルドは、褒められたのが自分ではないことに気づき、少し不満そうな顔をした。


「俺が止めたんだけどな」

「ガルドが止められると判断したことを評価された」

「それって、結局レオンが褒められてないか?」

「お前も右の2体を止めた」


セイルが言う。


「ならいいか」

「単純ね」


ユリアが杖についた霜を払った。


ローガンは次の班を呼ぶ。

レオンたちは実技区域の外へ移動した。


Cクラスへ昇格した直後は、4人とも自分の動きだけで精一杯だった。


今は違う。


ガルドは盾の向こう側を見る。

セイルは速さを使わない選択を覚えた。

ユリアは魔力量ではなく、必要な場所を選ぶようになった。


レオンも、自分がすべてを処理しようとすることは減っている。


成長したのは、自分だけではなかった。


昼休み。


レオンたちは、Dクラスの実技場へ向かった。

午後の授業まで時間がある日は、ミナとノアも交えて短い訓練を行っている。


ノアが空中へ小さな水滴を散らす。


水滴は攻撃に使うためのものではない。

実技場の数か所へ浮かび、近くを通った者の動きに合わせて揺れる。


セイルが水滴の間を走った。


風を使って速度を上げる。

だが、急に方向を変えても、水滴の揺れは途切れない。


「前より増えたな」


セイルが足を止める。


「数を増やしただけじゃない」


ノアは空中の水滴を指で動かした。


「全部を見る必要はない。大きく揺れたものだけを確認している」

「俺の位置は?」

「右後ろ。次は左へ動く」

「どうして分かる?」

「右足へ風を集めている」


セイルが左へ踏み出す。

同時に、ノアの水球が進路へ飛んだ。


セイルは身体をひねって避ける。


「外れた」

「避けられただけだ」

「当たらなければ同じだ」


ノアは新しい水滴を作った。


以前より数は多い。

それでも、息は乱れていない。


ミナはレオンの左手を見ている。


「3本目が弱い」

「分かるのか?」

「途中で細くなった」


レオンは実技場の柱へ伸ばしたゼロスレッドを引いた。


1本目は柱。

2本目は床。

3本目は、移動するガルドの盾へつながっている。


同時に維持すると、3本目だけ魔力の流れが乱れる。


「左手の負担か?」


ガルドが盾を止める。


「それもある。でも、今は2本目を意識しすぎた」

「なら、もう1回やるか?」

「午後の授業がある」

「時間はまだあるぞ」

「昼飯を食べていないでしょう」


ユリアの言葉に、ガルドが腹を押さえた。


「そうだった」

「忘れることか?」

「動いてたら腹が減った」

「食べてないから減ってるのよ」


訓練を終え、6人は食堂へ向かった。


入口にある確認台へ、学生証を順番に触れさせる。

学院から支給される食事は、在籍記録を確認してから受け取る仕組みだった。


ガルド。

ユリア。

セイル。


3人の学生証に青い光が灯る。


レオンが学生証を置いた。


確認台は反応しない。


もう一度触れさせる。

今度は赤い文字が浮かんだ。


『登録なし』


「壊れたのか?」


ガルドが確認台をたたこうとする。


「たたかないで」


食堂の職員が止める。


「学生証を見せてください」


レオンは学生証を渡した。


表面には名前と所属が刻まれている。


レオン・アーヴェル。

Cクラス42位。


職員は別の確認板へ学生証を置く。

そこにも同じ文字が表示された。


『該当する在籍記録は存在しません』


「どういうことだ?」


ガルドが職員の板をのぞき込む。


「レオンは今まで授業を受けてただろ」

「私に言われても……」


職員も困惑している。


「学生証自体は本物です。でも、学院の在籍者一覧に名前がありません」

「朝は出席を取られた」


レオンが言う。


「Cクラスの出席記録を確認します」


職員が金属板を操作する。


今日の授業記録が表示された。


Cクラス在籍者59人。


本来は60人いる。


42位の欄だけが空いていた。


順位は残っている。

だが、そこにいた生徒の名前が消えている。


「ローガン先生を呼ぶ」


セイルが食堂を出ようとする。


その前に、食堂の別の入口からリゼットが入ってきた。


普段と違い、1人ではない。

クラリスとミナが一緒にいる。


「レオンも?」


リゼットは確認台の赤い文字を見た。


「リゼットも消えたのか?」

「昼の授業へ入ろうとしたら、Sクラスの名簿に私の名前がなかったわ」


リゼットは自分の学生証を確認台へ置いた。


『登録なし』


同じ表示だった。


「管理棟へ移動する」


クラリスが言う。


「ほかの記録も確認する必要があるわ」

「飯は?」


ガルドが尋ねる。


「今は食事の話をしている場合ではありません」

「食べてないと動けないぞ」

「ガルド」


ユリアが睨む。


「分かってる。一応言っただけだ」


食堂の職員は、レオンとリゼットへ食事を渡した。


「記録に問題があるだけでしょう。学生証も、あなたたちの顔も知っています」


記録がなくても、目の前にいる人間まで消えるわけではない。


レオンは食事を受け取った。


それでも、確認台の赤い文字は消えなかった。


管理棟では、ローガンがすでに待っていた。


机の上へ、複数の記録板が並べられている。


出席記録。

順位表。

寮の部屋割り。

食事の配給。

訓練施設の使用許可。

学院内の治療記録。


レオンとリゼットの名前は、すべてから消えていた。


紙に書かれた記録と、本人たちの学生証だけが残っている。


「今朝の時点では名前があった」


ローガンが紙の出席簿を開く。


「俺はこれを見て出席を確認した」

「いつ消えたんですか?」


レオンが尋ねる。


「正午だ」


クラリスが答える。


「第0研究室の装置から『回収』の文字を読み取った時刻から、ちょうど12日後。同じ時刻に、2人の在籍記録が一斉に変更された」

「変更ではなく、削除でしょう」


リゼットが言う。


「完全な削除ではないわ」


クラリスは別の記録板を机へ置いた。


学院の在籍者一覧から名前は消えている。

だが、学生が退学、卒業、転校した場合には、移動先の記録が残る。


レオンとリゼットにも、在籍終了の処理が行われていた。


理由の欄には、同じ言葉が記されている。


『特別管理への移行』


「特別管理とは何ですか?」


リゼットが尋ねる。


「現在の学院制度に、その名称はない」


ローガンが答えた。


「少なくとも、俺が確認できる規則には存在しない」

「移行先は?」

「空白だ」


クラリスが記録の下部を示す。


処理を行った教員。

承認した管理者。

移動先の施設。


すべて空白。


それでも、処理は完了したことになっている。


第2保守室の整備申請と同じだった。


必要な承認が存在しない。

誰が操作したかも残っていない。


それにもかかわらず、学院の仕組みは正規の記録として受け入れている。


「在籍していないことになったら、どうなる?」


レオンが尋ねる。


ローガンが順番に答える。


「授業を受けられない。寮へ入れない。食事や治療を受ける権限も失う。順位戦への参加もできない」

「学院の結界は?」

「今夜の更新後、部外者として扱われる可能性がある」

「外へ出されたら、戻れない?」

「通常ならな」


現在は昼過ぎ。


学院内の権限情報は、日付が変わる際に一度更新される。

今はまだ、学生証に残った古い情報で一部の扉を通れる。


夜を越えれば、それも失われる。


「記録を戻せないんですか?」


ミナが尋ねた。


「すでに2回戻した」


クラリスが答える。


「でも、数分後にはまた消された。こちらが修正していることを、向こうも把握している」

「学院の中から操作している?」

「外部から現在の管理記録へ触れる方法は、確認されていない」


学院の中。

あるいは、学院そのものに残された古い仕組み。


どちらにしても、相手は今も動いている。


管理棟の扉が開いた。


ガルド、セイル、ユリアが入ってくる。

食堂から教室へ戻ったあと、Cクラスの順位板まで確認してきたらしい。


ガルドは、紙の束を抱えていた。


「持ってきたぞ」

「それは何?」


リゼットが尋ねる。


「レオンがいた記録だ」


今日返却された実技結果。

過去の順位戦の申込書。

学院外実習の班分け表。


すべて紙で残されている。

そこには、レオンの名前が書かれていた。


セイルも、自分の訓練記録を机へ置く。


「対戦相手や班員の欄にも名前が残っている。学院の記録から消えても、俺たちの記録までは消えてない」

「私たちが覚えていることも変わっていないわ」


ユリアが言う。


「記録にいないからといって、いなかったことにはならない」


ローガンは紙の出席簿を閉じた。


「そのとおりだ」


教室の名簿から名前が消えても、ローガンはレオンを見ている。


「レオン・アーヴェル。お前はCクラス42位だ」

「記録にはいません」

「俺が担任として確認した。今日の実技にも参加している」

「授業を受けてもいい?」

「記録が戻るまで、紙で出席を取る」


ローガンはリゼットを見る。


「Sクラス側にも、同じ対応を依頼する」

「学院の規則に反しませんか?」

「在籍記録を不正に消された生徒を、部外者として追い出す規則はない」


ガルドが大きくうなずく。


「そういうことだ!」

「お前が決めたように言うな」


セイルが答えた。


クラリスは机に並んだ記録を見つめている。


「これは嫌がらせではないわ」


在籍記録を消せば、授業や寮から切り離せる。

学院の保護対象でもなくなる。


誰かが2人を連れ去ったとしても、記録上は在籍していない。

欠席にもならない。

行方不明者として確認されることもない。


回収する前に、学院から存在を切り離している。


「今夜、何かが動く可能性が高い」


クラリスが言う。


「日付が変われば、2人の学生証は完全に無効になる。寮ではなく、管理棟の保護室へ移動して」

「先生たちは?」

「ローガン先生と私が残る。学院の警備員にも事情を伝える」

「俺たちも残る」


ガルドが言った。


「許可できないわ」

「森では、俺たちも観測されてた」

「今回の対象として記録されているのは、A―07とB―31だけです」

「だからって、2人だけ置いていけるか」

「戦力の問題ではありません」


クラリスの声が強くなる。


「何が起きるか分からないからこそ、必要以上の生徒を残せない」

「それなら、俺たちが残らない理由を説明してくれ」

「ガルド」


レオンが止める。


ガルドはレオンを見る。


「お前は、また自分だけで行くつもりか?」

「先生たちがいる」

「俺たちには、危険が近づいているなら教えるって言っただろ」

「教えた」

「聞くだけで終われって意味じゃない」


ガルドは紙の実技記録を指した。


「今日の訓練で、お前は俺たちに任せた。危ないことになった途端、全部自分でやるのか?」


レオンは答えられなかった。


訓練の中では、任せることができた。


だが、本当の危険が近づくと、仲間を遠ざけようとしている。


巻き込みたくない。

それは間違っていない。


同時に、相手が自分で選ぶ権利まで奪う理由にはならない。


「保護室の中へ入る必要はない」


ローガンが言った。


「管理棟の外側に待機場所を作る。異常が起きた場合は、警備員の指示に従う。それでいいなら許可する」

「それでいい!」


ガルドが即答する。


「勝手に動けば、次は許可しない」

「分かった」

「本当に分かったか?」

「指示を待つ。必要なときは動く」

「目的も確認しろ」

「レオンを連れていかせない」

「それは結果だ。お前たちの目的は、管理棟に近づく異常を知らせることだ」

「分かった!」


ローガンは不安そうにガルドを見る。


「今の返事が一番不安だ」

「なんでだよ!」


日が沈む。


レオンとリゼットは、管理棟の保護室へ移動した。


部屋には窓がない。

壁と扉には、外部からの魔力を遮る術式が刻まれている。


机の上には、紙の在籍証明と学生証が置かれていた。


学院の記録が消えても、本人たちが誰であるかを確認するためのものだ。


ミナは室内に残った。

魔力の流れに変化があれば、通常の測定器より早く気づくことができる。


クラリスとローガンは扉の外。

ガルド、セイル、ユリアは管理棟入口の待機室にいる。


時間だけが進んだ。


夜の鐘が1度。

2度。


日付が変わるまで、あと僅かになる。


レオンは学生証へ触れた。


名前はまだ残っている。

順位も、Cクラスの表示も消えていない。


「怖くないの?」


リゼットが尋ねた。


「何が起きるか分からない」

「それを怖いと言うのよ」

「リゼットは?」

「怖いわ」


リゼットは迷わず答える。


「自分の名前が、学院から消えている。明日になったら、寮の部屋にも入れないかもしれない。でも、一番怖いのは、これが以前にも行われていた可能性よ」

「以前にも?」

「手順が整いすぎているわ」


在籍記録を消す。

学生としての権限を止める。

移行済みとして処理する。


今夜、日付が変われば保護から外れる。


初めて行われる処理には見えなかった。


だが、過去に誰が同じ処理を受けたのかを示す記録は、まだ見つかっていない。


「記録が消されていたら、残らない」


レオンが言う。


「そうね」


リゼットは学生証を握る。


「だから、今回は残さないといけない」


深夜の鐘が鳴った。


学生証から、青い光が消える。


レオン・アーヴェル。

Cクラス42位。


刻まれていた文字が薄くなる。

完全には消えないが、学院の魔力とつながっていた感覚が途切れた。


リゼットの学生証も同じだった。


ミナが顔を上げる。


「動いた」


保護室の外ではない。


床の下。

管理棟よりも深い場所で、複数の魔力が同時に流れ始めた。


遠くから、金属の車輪が回る音が聞こえる。


第4複合実技場へ装置を運んできた、古い運搬台車と同じ音だった。


クラリスが扉を開ける。


「2人とも、ここを動かないで」


廊下の奥から、ガルドの声が響いた。


「何か来るぞ!」


管理棟入口にある大扉の向こう。

夜間は使われていない地下搬入口から、金属音が近づいている。


ローガンが剣を抜いた。


「警備員は?」

「搬入口側の扉が閉じた。こちらから開けない」


セイルの声が通信魔導具から聞こえる。


「床の線が光ってる。実技場の台車と同じだ」

「壊すな。まず退路を確保しろ」


ローガンが指示する。


金属音が止まった。


短い沈黙のあと、管理棟の地下扉が内側から開く。


誰もいない。


暗い通路から、2台の運搬車が現れた。


第4複合実技場で見た台車より大きい。

上には、人間が1人入れるほどの黒い箱が載せられている。


箱の側面には、それぞれ異なる番号が浮かんでいた。


A―07。


B―31。


運搬車の前面で、白い文字が点灯する。


『在籍終了を確認』


続いて、新しい文字が表示された。


『回収経路を開始』


記録から消された2人を迎えに、学院の古い仕組みが動き始めていた。

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