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第68話 観測の次

日が沈む前、レオンは寮へ戻らず、第5実技場で短剣の手入れをしていた。


刃に付着した訓練用の塗料を落とし、柄の緩みを確かめる。

今夜、第4複合実技場へ何が運び込まれるかは分からない。


戦闘になるとは限らない。

だからといって、武器を持たずに行く理由もなかった。


「今日は残らないのか?」


ガルドが大盾を背負い直す。


「用事がある」

「また管理棟か?」

「答えられない」

「そうか」


ガルドはそれ以上尋ねなかった。


セイルも剣を鞘へ収める。


「戻ってこなかったら、ローガン先生へ聞く」

「ローガン先生も一緒だ」

「なら、クラリス先生に聞く」

「クラリス先生も一緒だ」

「全員そろって、答えられない用事なのね」


ユリアが杖を持ち上げる。


「危険なことなら、終わってから話しなさい。話せる範囲でいいから」

「分かった」

「本当に?」

「ああ」

「今回は早いな」


ガルドが疑うようにレオンを見る。


以前なら、何も言わずに動いていた。

知られれば止められる。

説明すれば巻き込む。


そう考えて、必要なことまで隠していた。


今夜の調査へ3人を連れていくことはできない。

それでも、何か起きていることまで隠す必要はなかった。


「戻ったら話す」

「よし。じゃあ待ってる」

「先に夕食は食べるぞ」

「待ってないじゃない」

「話を聞くのを待つんだ。飯まで待つ必要はないだろ」


ガルドたちは実技場を出ていった。


レオンも短剣を鞘へ戻す。

今夜の目的は、運び込まれる部品と、その経路を確認すること。


相手を捕まえることではない。

証拠を得るために危険を増やさない。


管理森林でローガンから指摘されたことを、もう一度確認した。


第4複合実技場は、学院の西側にある。


通常の実技場より広く、複数のクラスが同時に訓練できる構造になっている。

中央の訓練区域を挟み、左右に観覧席と装置管理室が設けられていた。


日が沈むと、周辺を通る生徒はいなくなった。


レオン、リゼット、ミナは、実技場に隣接する用具室で待機していた。

第4複合実技場との間には細い確認窓があり、内部を見渡すことができる。


クラリスとローガンは、反対側の装置管理室にいる。


「もう一度確認する」


通信魔導具から、ローガンの声が聞こえた。


「何か入ってきても、すぐには触るな。設置場所と作業方法を確認する」

「運び込んだ者は追わない」


クラリスが続ける。


「実技場の外には、学院の警備員を配置している。誰かが逃げた場合は、そちらへ任せること」

「装置が動き始めた場合は?」


リゼットが尋ねる。


「こちらから指示する。独断で壊さないで」

「証拠を残すためですね」

「それもある。ただし、何を壊せば停止するか分からない状態で手を出す方が危険よ」


レオンは左手を開く。


確認窓から、短いゼロスレッドを実技場の床へ伸ばしていた。

人が歩けば、床から伝わる僅かな振動を感じ取れる。


直接見るだけでは、死角が多い。

だが、糸を広く張れば魔力を感知される可能性がある。


使うのは3本だけ。

正面入口。

整備用の通路。

実技場中央。


「来る」


ミナが小さく言った。


「どこからだ?」

「下」


レオンが伸ばした糸にも、振動が伝わる。


人の足音ではない。

一定の間隔で、小さな車輪が床を通る感触だった。


実技場の奥にある整備用扉が開く。


誰も触れていない。

扉の横にある魔導具が青く光り、内側から小型の運搬台車が入ってきた。


台車には、細長い木箱が2つ積まれている。


押している人間はいない。

引いている魔物もいない。


台車は床に刻まれた細い金属線の上を、ゆっくり進んでいた。


「自動運搬装置か」


ローガンの声が通信魔導具から聞こえる。


「現在の学院では使われていない」

「第2保守室の設備ですか?」

「形式は似ている。ただし、記録で見ただけだ」


台車は実技場中央で停止した。


車体の側面から、細い金属製の腕が伸びる。

1つ目の木箱を持ち上げ、床へ下ろした。


留め具が外れる。


箱の中には、黒い金属板に覆われた円筒が入っていた。

鉤爪猿の首に取り付けられていた魔導具と、同じ素材に見える。


2つ目の箱も開く。


中身は同じ形だった。

ただし、一方の円筒には赤い線。

もう一方には、色のない透明な線が刻まれている。


台車の腕が床板を外した。


下から現れたのは、複数の魔力管と接続口だった。

学院の現在の設備としては、使われていない場所に見える。


「昨日まで、あの床板の下は確認できなかったんですか?」


レオンが尋ねる。


「図面では空洞になっていない」


ローガンが答えた。


「床板の継ぎ目もなかった」

「台車が来てから開いた」

「台車の魔導具が、隠されていた接続口を起動した可能性がある」


金属製の腕が、赤い線の円筒を右側の接続口へ近づける。

透明な線の円筒は左側。


それぞれが床下へ設置されようとしていた。


ミナが確認窓へ手を触れる。


「線が増えた」

「どこへ伸びている?」

「円筒から床の下。2本はつながってる。もう1本は、もっと奥」

「送信先まで見えるか?」

「途中で薄くなる」


レオンは通信魔導具を握った。


「設置が終われば、床下の線を通って記録を送れる」

「まだ止めるな」


クラリスが答える。


「台車が戻るか確認する」


1つ目の円筒が接続された。

続いて、2つ目も床下へ収められる。


台車の腕が床板を戻した。


その瞬間、実技場の照明が一斉に点いた。


赤い円筒がある右側。

透明な円筒がある左側。


中央の訓練区域を分けるように、床から金属製の仕切りがせり上がる。


「設置作業ではない」


ローガンが言った。


「装置が起動した。全員、その場から動くな」


実技場の左右にある訓練人形が動き始めた。


右側の人形は、杖を中央へ向ける。

左側では、刃を潰した剣を持つ人形が台座から降りた。


誰も訓練区域へ入っていない。

それでも装置は、何かを待つように動き続けている。


赤い円筒が光った。


同時に、リゼットが胸元を押さえる。


「何か、魔力を引かれた」

「円筒から線が伸びた」


ミナがリゼットを見る。


「リゼットにつながってる」


透明な円筒も光る。

レオンの左手に、弱い熱が生まれた。


ゼロスレッドを使っていない。

それでも、魔力経路を外側からなぞられているような感覚がある。


「場所ではなく、本人へ反応した」


レオンが言う。


偽の予定表では、レオンとリゼットがこの実技場へ来ることになっていた。

実際の合同授業は3日後。


装置は設置された直後に、用具室にいる2人を見つけた。


観測者が居場所を知っていたわけではない。

だが、装置そのものには、対象を見分ける機能がある。


「退避する」


クラリスが指示した。


用具室の扉へ向かう。

しかし、取っ手が動かない。


実技場の起動と同時に、周囲の扉が施錠されていた。


「壊す?」


リゼットが掌へ炎を集める。


「まだだ」


レオンは扉の隙間へ糸を通す。


外側の閂ではない。

壁の内部にある魔導具が、扉全体を固定している。


力で開ければ時間がかかる。


実技場の訓練人形が、用具室の方向へ向きを変えた。


壁越しでも、対象の位置を把握している。


「右側の円筒から、リゼットへ伸びる線が太くなってる」


ミナが言う。


「左も?」

「レオンへ伸びてる。でも、もう1本ある」

「どこだ?」

「装置管理室」


クラリスとローガンがいる方向。


観測装置は、対象だけを見ているわけではない。

近くで動く者の反応も記録しようとしている。


管理森林の鉤爪猿と同じだった。

対象Bだけでなく、その周囲で誰がどう動くかまで見ていた。


「扉を開ける」


レオンはゼロスレッドを壁の内部へ伸ばした。


固定具を1つずつ探す。

その間にも左手の熱が強くなる。


「待って」


ミナがレオンの腕をつかんだ。


「扉じゃない。床の下を止めた方が早い」

「接続口か?」

「2つの円筒から線が集まってる場所がある。中央の仕切りの下」


実技場の中央。


用具室からは距離がある。

扉を開けなければ届かない。


レオンは通信魔導具を取る。


「ローガン先生。中央の仕切りの下に、2つの装置をつなぐ部分があります」

「こちらからも見えた。だが、訓練人形が動いている」

「先生は人形を止めてください。クラリス先生は床下へ送られる魔力を遮断できますか?」

「位置が分かれば可能よ」

「ミナが伝えます」


レオンはリゼットを見る。


「扉を開けたら、右側の円筒を外してくれ」

「炎で焼くの?」

「接続部だけを熱で広げる。円筒そのものは壊さない」

「簡単に言うわね」

「できない?」

「できるわ」


リゼットは炎を小さく絞った。


以前なら、レオンは扉を開け、円筒を外し、中央の接続部まで自分で止めようとした。


だが、同時にはできない。


自分だけが知っていることもない。

ミナには線が見える。

リゼットは熱を細かく調整できる。

ローガンとクラリスは、装置と人形を止める力を持っている。


「開ける」


レオンは壁の内部へ伸ばした3本の糸を同時に引いた。


固定具が外れる。

用具室の扉が僅かに開いた。


リゼットが隙間へ剣を差し込み、扉を押し広げる。

レオンとミナも実技場へ出た。


訓練人形が一斉に動く。


左側から、剣を持つ2体がレオンへ向かう。

右側の杖からは、リゼットへ火球が放たれた。


ローガンが装置管理室から飛び出した。

細身の剣で、レオンへ向かう人形の腕を下から弾く。


人形の刃が上へそれた。

ローガンはもう1体の足を払い、進路を塞ぐ。


「自分の仕事をしろ!」


レオンは左側の床板へ糸を伸ばした。


リゼットは火球を横へ避け、右側へ走る。

杖を持つ人形から、2発目が放たれた。


炎には炎をぶつけない。

リゼットは床へ細い火線を走らせ、訓練人形の台座にある魔力管だけを焼いた。


火球が消える。


「右へ着いた!」


リゼットが床板の隙間へ剣先を入れる。


レオンも左側の床板を糸で引き上げた。


透明な線を持つ円筒が、接続口の中で光っている。

表面には文字が浮かんでいた。


B―31。


右側から、リゼットの声が届く。


「こっちはA―07よ!」


円筒の周囲にある金属環が締まり始める。

装置を外されないための固定機能だった。


「接続部を熱する!」


リゼットが金属環へ炎を当てる。


広く燃やさない。

円筒へ熱が伝わらないよう、外側の留め具だけを赤くする。


レオンは金属環と円筒の間へゼロスレッドを通した。

引くだけでは切れる。


3本の糸を別々の方向へ固定し、力を分散させる。


左手の熱が、痛みに変わる。

観測装置から伸びる魔力と、レオン自身の糸が同じ場所でぶつかっていた。


「送信が始まる」


ミナが中央の仕切りへ走る。


「クラリス先生、中央から右へ3歩。床の下に太い線」

「確認したわ」


クラリスが杖を床へ向ける。


風属性魔法(エアフロウ)


床板の隙間へ風が入り込む。

内部を通っていた魔力が乱れ、実技場の照明が明滅した。


訓練人形の動きが遅くなる。


ローガンが2体目の剣を弾き、壁際へ押し倒した。


「今だ!」


レオンは糸を引く。

リゼットも赤くなった金属環へ剣を差し込み、外側へひねった。


左右の接続口から、2つの円筒が同時に外れる。


中央の仕切りの下で、白い光が膨らんだ。


「下がれ!」


ローガンが叫ぶ。


レオンは円筒へ糸を巻きつけ、床の外へ引いた。

リゼットも円筒を抱え、仕切りから離れる。


クラリスが風を中央へ集めた。


床下から弾けた魔力が、風の膜へ衝突する。

実技場全体が震え、中央の金属板が大きく歪んだ。


だが、爆発は仕切りの周囲だけで止まった。


訓練人形が動きを止める。

照明も消えた。


暗くなった実技場で、2つの円筒だけが弱く光っていた。


しばらく誰も動かなかった。


「怪我は?」


クラリスが尋ねる。


「ありません」


リゼットが答える。


「左手だけです」


レオンは拳を開いた。

指先に震えが残っているが、魔力経路が切れた感覚はない。


ローガンは倒れた訓練人形を確認し、剣を鞘へ戻した。


「指示を待てと言ったはずだ」

「待ちました」

「途中から指示を出していたな」

「必要な位置が分かったからです」

「俺たちへまで指示する生徒は初めてだ」

「間違っていましたか?」

「間違っていれば従っていない」


ローガンは中央の床を見る。


「管理森林のときよりはましだ。全部を自分でやろうとはしなかった」

「まだ左の円筒は自分で外したでしょう」


リゼットが言う。


「私たちに右と左を分けただけよ」

「両方はできない」

「ようやく分かったのね」


ミナは、回収された円筒を見ていた。


「線が消えてない」

「まだ送っているのか?」


レオンが尋ねる。


「違う。中に残ってる」


クラリスが2つの円筒を封印容器へ入れる。


完全な状態ではない。

中央の仕組みを止めた際、表面には細かな亀裂が入っていた。


それでも、管理森林で回収した魔導具より多くの記録が残っている可能性がある。


運搬台車は、装置が停止すると同時に動かなくなっていた。


ローガンが車体の側面を調べる。

新しい部品に見えた外板を外すと、その下から変色した金属が現れた。


表面には、第2保守室の番号が刻まれている。


「この台車は、最近作られたものではない」


ローガンが金属板の汚れを指で落とす。


「少なくとも20年前の機体だ」

「どこに保管されていたんですか?」


リゼットが尋ねる。


「搬入経路を調べる」


クラリスは、台車が入ってきた整備用扉へ向かった。


扉の先には細い通路がある。

現在使用されている倉庫へつながる道だが、台車の車輪跡は途中で壁へ向かっていた。


行き止まりの石壁。

扉も、隙間もない。


レオンは床へしゃがむ。


金属線が、壁の下まで続いている。

台車はその線の上を通ってきた。


「壁が閉じた?」


リゼットが石へ触れる。


「継ぎ目がないわ」

「今の学院図面には、壁の向こう側は記載されていない」


クラリスが答える。


第2保守室の権限。

20年前の運搬台車。

図面にない経路。


第0研究室の誰かが、今夜ここへ箱を運んだわけではなかった。


古い設備が、学院の中に残っている。

申請を受け取り、保管されていた装置を運び、指定された場所へ設置した。


誰かは、その仕組みを現在も動かすことができる。


実技場の調査が終わったのは、日付が変わる頃だった。


レオンが第5実技場へ戻ると、入口の前に3人が座っていた。


ガルドは壁へ背を預けて眠っている。

セイルは膝の上へ剣を置き、目を閉じていた。


ユリアだけが起きている。


「遅い」


ユリアが立ち上がった。


「待っていたのか?」

「ガルドが戻るまで待つと言ったのよ」

「飯を食べたあとにな」


ガルドが目を開ける。


「何があった?」

「観測用の装置が運び込まれた」

「戦ったのか?」

「訓練人形と少し」

「呼べよ!」

「先生たちがいた」

「俺たちもいた方が多いだろ」

「人数が多ければいいわけじゃない」


セイルが立ち上がり、レオンの左手を見る。


「怪我は?」

「熱が残っているだけだ」

「なら、明日の訓練は休め」

「動かせる」

「ローガン先生に言う」


レオンは3人へ、話せる範囲で今夜の出来事を説明した。


A―07とB―31の装置。

第2保守室の古い運搬台車。

学院の図面に存在しない搬入経路。


第0研究室につながる仕組みが、現在も学院の内部で動いていること。


すべてを説明しても、3人はすぐには答えなかった。


最初に口を開いたのはガルドだった。


「次は、俺たちも関係あるんだろ?」

「分からない」

「森では俺たちの動きも見てたんだよな」

「ああ」

「なら、関係ないとは言えない」


ユリアが腕を組む。


「隠すなとは言わないわ。話せないことがあるのも分かる。でも、危険が近づいているなら教えて」

「次からはそうする」

「今度は行動で示しなさい」

「ああ」


半年前なら、レオンは1人で調べる方法を考えていた。


今は、調査を進める教師がいる。

異常な魔力を見つけられるミナがいる。

同じ対象として観測されるリゼットがいる。


そして、すべてを知らなくても待っている仲間がいた。


Cクラスへ上がった直後、レオンは自分の動きが終わってから次を探していた。


今は違う。


自分が動いている間にも、ほかの者が見ている。

自分が届かない場所へ、別の誰かが手を伸ばしている。


それを前提に、次の動きを選べるようになっていた。


翌朝。


回収された2つの円筒から、記録の一部が読み出された。


クラリス、ローガン、レオン、リゼット、ミナの5人が管理棟の調査室へ集まる。


金属板へ映し出された文字は、多くが欠けていた。


観測時間。

魔力変化。

周囲の反応。


A―07とB―31を比較するための数字が、途切れながら並んでいる。


装置を予定どおり設置できなかったため、正式な観測記録としては成立していない。


最後に残っていたのは、2行だけだった。


『同期観測――中断』


その下の文字が、遅れて浮かび上がる。


『観測段階を終了』


「終わった?」


リゼットが尋ねる。


「第0研究室が調査を諦めたとは思えない」


クラリスが答える。


さらに下へ、新しい文字が現れた。


今までの記録とは違う。

観測結果ではなく、次の命令を示す短い文章だった。


『次工程へ移行』


一度、文字が乱れる。


そして、最後の2文字だけが明確に残った。


『回収』


対象が何を意味するかは、書かれていない。


それでも、この装置に記録されていた番号は2つしかなかった。


A―07。


B―31。


半年間続いていた観測が終わる。


次に始まるのは、見るための実験ではなかった。

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