第65話 二つの観測
管理森林での実習から一夜が明けた。
Cクラスの教室では、昨日の出来事について小さな声が飛び交っている。
予定外の魔物が出た。
誰かが怪我をした。
森林全体が封鎖された。
どれも完全な間違いではない。
だが、鉤爪猿の首に魔導具が付けられていたことを知っている生徒は、レオンたち4人だけだった。
授業開始の鐘が鳴る。
ディートリヒ・ローガンが教室へ入り、教卓へ数枚の紙を置いた。
「昨日の実習について説明する」
教室の声が止まる。
「管理森林内で、事前調査に含まれていないD級の鉤爪猿が確認された。生息地から離れた理由と、森林へ入った経路は調査中だ」
鉤爪猿の名前は出した。
しかし、魔導具については触れない。
「森林の再調査が終わるまで、学院外実習は中止する。昨日提出した行動記録は、確認後に各班へ返却する」
1人の生徒が手を上げた。
「鉤爪猿は、誰が倒したんですか?」
「倒していない。昇格してきた4人の班が発見し、救援到着まで対応した」
「4人だけでD級を?」
「だから信号具を使用した」
ローガンは教室全体を見回す。
「実習の目的は、指定された魔物を倒して戻ることだ。予定にない危険へ遭遇した場合、戦わず救援を求めることも正しい判断になる」
ローガンの視線が、教室後方のレオンへ向いた。
「信号具を使った判断に問題はない」
昨日、赤い光を上げた時点では、魔物の姿さえ確認していなかった。
それでも、対象外の爪痕と足跡があり、鳥の声も消えていた。
何も起きていないことに賭けるより、教師へ知らせる方を選んだ。
結果として、その判断は間違っていなかった。
午前の授業が終わると、レオン、ガルド、セイル、ユリアの4人は実技場へ残された。
ローガンが、提出された行動記録を返す。
紙の余白には、細かな指摘が書き加えられていた。
「角兎との戦闘は、役割分担ができている。ただし、討伐後に4人全員が魔石へ意識を向けた時間がある」
「周囲は見たぞ」
ガルドが言う。
「魔石を取り出す前にはな。取り出している最中は、セイル以外の視線が集まっている」
「見られてたのか?」
「教員が追跡すると説明したはずだ」
ローガンは次の記録へ移る。
「鉤爪猿との戦闘では、信号具を使ったあとも、その場で戦い続けた」
「逃げた方がよかった?」
ユリアが尋ねる。
「逃げられるならな。相手は木の上を移動し、お前たちは開けた退路を確保できていなかった。背中を向ければ、最後尾から狙われた可能性が高い」
「だから、援護が来るまで持たせた」
「ああ。だが、途中から捕獲しようとしただろう」
ローガンがレオンを見る。
「魔導具を確認したからです」
「調べる価値があると判断した?」
「はい」
「任務の目的が、いつの間にか生存から証拠の確保へ変わっている」
レオンは答えなかった。
鉤爪猿を逃がせば、魔導具も失われる。
それを考え、4人で動きを止めようとした。
だが、魔導具が魔物の身体へ何をするかは分かっていなかった。
実際、最後には魔力が体内へ流れ込み、鉤爪猿は倒れた。
「結果として証拠は残った。だが、結果がよかったから判断まで正しかったとは限らない」
ローガンが言う。
「調べたい気持ちは分かる。次は、自分たちが何を失う可能性があるかも考えろ」
「分かりました」
「反省だけなら誰でもできる。同じ状況になったとき、別の判断を選べ」
行動記録の確認が終わり、4人は実技場を出た。
ガルドが返却された紙を見ながら歩く。
「角兎を倒したところは、もっと褒められてもいいと思うんだけどな」
「魔石へ集まったことまで書かれてる」
セイルが自分の記録を折り畳む。
「全部見られていた」
「教師が追跡すると言っていたでしょう」
ユリアが答える。
「姿が見えないと、忘れるものなのね」
「次からは忘れない」
レオンは紙を鞄へ入れた。
教師に見られていたからではない。
魔石を回収している間にも、別の魔物は近づける。
次に直すべきなのは、そこだった。
管理森林は、その後も閉鎖されたままだった。
学院側は鉤爪猿以外の対象外個体は発見されなかったと発表した。
森林の外周にも、大型の魔物が侵入した痕跡はない。
鉤爪猿がどこから来たのか。
誰が首へ魔導具を付けたのか。
その説明はなかった。
3週間が過ぎた。
Cクラスの授業は通常どおり続いている。
ガルドは盾で防いだ直後に、次の攻撃を探すようになった。
セイルは速度を落とすことを失敗とは考えなくなり、周囲を見るための一歩を動きへ組み込んだ。
ユリアは作る氷の量を細かく変えた。
広く厚い氷を出すのではなく、相手の足元、攻撃の軌道、自分が踏む場所だけを凍らせる。
レオンも、1つの動作を終えてから次を探すことは減っていた。
短剣を振る前に糸を伸ばす。
糸を引きながら、次の位置を見る。
攻撃を避ける前に、避けたあとの向きを決める。
最初の授業では3体目まで届かなかった課題も、今では制限時間を残して終えられる。
それでも、ローガンは新しい条件を加えた。
標的の数を増やす。
光弾の方向を変える。
途中で討伐ではなく防衛へ目的を変更する。
できるようになった動きを繰り返すだけでは、すぐに通用しなくなる。
放課後、レオンが訓練用短剣を返却していると、ローガンが近づいてきた。
「管理棟へ行け。クラリスが呼んでいる」
「鉤爪猿の魔導具ですか?」
「俺から話せるのは、調査が1つ進んだということだけだ」
ローガンから渡された紙には、調査室の番号が記されていた。
管理棟の調査室には、クラリスとミナがいた。
その向かいには、リゼットが座っている。
机の中央には、分解された黒い魔導具が並べられていた。
鉤爪猿の首に付いていたものだ。
「レオン」
リゼットが振り返る。
「あなたも呼ばれたのね」
「リゼットがいる理由は?」
「それを今から聞くところよ」
クラリスは、黒い魔導具の部品を細い棒で示した。
「分析の結果、この魔導具には大きく分けて2つの機能があると分かった」
1つは、魔物の身体へ魔力を送り、行動を強制する機能。
もう1つは、周囲で発生した魔力変化を記録する機能だった。
「鉤爪猿が相手の動きへ適応していたように見えたのは?」
レオンが尋ねる。
「魔物自身の学習だけではない。魔導具が視線、筋肉の動き、周囲の魔力変化を読み取り、刺激を与えていた可能性がある」
「試作第7号より単純な仕組み?」
「おそらくは」
適応型魔導兵のように、魔法をそのまま模倣する機能はない。
代わりに、魔物がどの方向へ動くか、どの相手を狙うかを調整していた。
ミナは、分解された透明な石を見ている。
「この中に、まだ線が残ってる」
石から伸びた魔力の痕跡は、途中で途切れている。
第64話で点滅した光は、内部の記録を外へ送った反応と考えられていた。
クラリスが、金属板に刻まれた文字を示す。
B―31。
「これは製造番号ではなかった」
クラリスは別の部品を並べた。
そちらには、複数の数字と小さな記号が刻まれている。
部品ごとに番号は違っていた。
「製造と管理には、こちらの番号が使われている。B―31は、魔導具そのものを識別する番号ではない」
「俺を示す番号?」
レオンが尋ねる。
「その可能性が高い」
第0研究室の観察室でも、レオンは対象Bと記録されていた。
模倣人形の核にも、B―31という番号が刻まれていた。
同じ番号が、森へ放たれた魔物の魔導具にも残されていた。
偶然ではない。
「それなら、私が呼ばれた理由はA―07ね」
リゼットが言う。
クラリスは、机の端に置かれた小さな金属片を取り出した。
黒い魔導具のものではない。
銀色で、表面の一部が熱によって変色している。
そこには、小さく文字が刻まれていた。
A―07。
「これは、どこにあったの?」
リゼットの表情が変わる。
「3週間前、Sクラスで使用された耐熱訓練人形の内部だ」
「管理森林の実習と同じ日?」
「同じ時刻だ」
リゼットは、その日の訓練を思い返す。
課題は、火属性魔法を一定の威力に保ちながら、動き続ける標的へ当てることだった。
強すぎれば標的を壊し、弱すぎれば防壁を抜けない。
「途中から、人形の耐熱性が変わったわ」
リゼットが言う。
「最初は同じ威力で通っていた。けれど、2回目は炎を弾かれた。威力を上げると、次は急に防壁が弱くなった」
「担当教師は?」
「装置の調整不良だと言って、別の人形へ交換したわ」
交換された訓練人形は、授業後に解体された。
学院の整備記録では、内部魔石の破損として処理されている。
だが、廃棄前の部品を調べたクラリスが、A―07の金属片を発見した。
「壊れた時刻は?」
レオンが尋ねる。
クラリスが2枚の記録を並べた。
管理森林で、鉤爪猿の魔導具が強い反応を示した時刻。
Sクラスで、訓練人形が停止した時刻。
記録された数字は同じだった。
「別の場所で、同時に動いていた」
レオンは2つの金属片を見る。
B―31は、予定外の魔物を使い、危険の中でレオンがどう動くかを記録した。
A―07は、変化する防壁を使い、リゼットが魔法をどこまで安定させられるかを記録した。
片方は、変化への対応。
もう片方は、変化の中で同じ結果を保つ力。
「私たちを、また比べていたの?」
リゼットが尋ねる。
「同じ部屋へ集めず、互いに知らない状態でな」
クラリスが答えた。
「目的までは分からない。ただし、2つの装置が同じ時刻に動き、記録を送ろうとしていたのは確かだ」
「実習も授業も、最初から用意されたものだった?」
「授業そのものは以前から予定されていた。そこへ装置を紛れ込ませた者がいる」
学院外実習の日程。
Sクラスの授業内容。
使用する訓練人形。
管理森林に入る班。
それらを知ることができる者は、学院内にいる。
「第0研究室は、まだ学院の中で動いている」
リゼットが言う。
誰も否定しなかった。
レオンはB―31とA―07を見比べた。
第0研究室の比較試験は、地下で終わっていなかった。
森の魔物と、Sクラスの訓練人形。
離れた2つの場所で、同じ実験が続けられていた。
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