第60話 Cクラスの壁
右。
左。
後ろ。
3方向を小さな炎で塞がれ、正面から片手剣が迫る。
レオンは短剣を横へ向けた。
刃同士がぶつかる直前、相手の剣がわずかに下がる。
受け流すために動かした短剣の下を通り、炎をまとった剣先が脇腹へ伸びた。
レオンは身体をひねった。
剣先が制服をかすめ、熱が皮膚へ伝わる。
そのまま前へ踏み込もうとするが、相手はすでに後退していた。
追えば、足元の炎へ近づく。
止まれば、次の炎を置かれる。
レオンは左前方へ進んだ。
そこだけは、まだ燃えていない。
相手の左手から、小さな火球が落ちる。
レオンの足が着くより先に、進路が炎へ変わった。
踏み込めない。
レオンは右側の炎へゼロスレッドを伸ばした。
炎そのものには固定できない。
その向こうにある地面へ糸を通そうとする。
片手剣が横切った。
糸が完成する前に、魔力の流れを乱される。
左手へ短い痛みが走り、ゼロスレッドが消えた。
相手は糸を見てから反応していない。
レオンの左手が動いた瞬間には、すでに剣を振り始めていた。
「伸ばす場所が分かるのか?」
レオンが尋ねる。
「分かる必要はない」
相手は片手剣を構え直す。
「お前が使いたい場所へ、先に剣を置くだけだ」
「外れたら?」
「次を置く」
小さな炎が、レオンの右後方へ落ちた。
相手は炎を広げていない。
1つ1つは、簡単に回り込める大きさだった。
だが、回り込もうとした先へ次が置かれる。
炎を避けるために進路を変えた瞬間、剣が迫る。
レオンが1つの状況へ対応している間に、相手は次の状況を作っていた。
正面から片手剣が振られる。
レオンは短剣で受け流す。
相手は刃を戻さず、そのまま地面へ向けた。
剣先から炎が落ちる。
レオンの足元が燃えた。
後退する。
背後にも炎がある。
レオンは右へ跳んだ。
着地先へ新しい炎が飛ぶ。
空中では進路を変えられない。
ゼロスレッドを壁へ伸ばす。
相手の剣が壁際へ向く。
糸が固定される前に、炎が金具を包んだ。
レオンは糸を切った。
そのまま地面へ着地する。
右足が炎の端へ触れた。
靴底が焦げ、熱が足裏へ伝わる。
止まらずに前へ進む。
相手の剣が胸元を狙う。
短剣で外側へ弾き、懐へ入る。
レオンの刃が相手の肩へ向かう。
相手は左手を上げた。
2人の間に、拳ほどの炎が生まれる。
レオンは短剣を止めた。
そのまま進めば、右手が炎へ入る。
わずかに身体を引く。
その一瞬で、相手の剣の柄がレオンの胸へ当たった。
鈍い衝撃が走る。
レオンは数歩下がった。
教師は試合を止めない。
まだ戦える。
観客席から、ガルドの声が聞こえた。
「近づいても火を出すのかよ!」
相手は遠距離から進路を塞ぐだけではない。
懐へ入られても、炎を壁として使える。
ユリアの氷なら、触れながら進める場合があった。
ノアの水なら、受けることを選べる場面もあった。
炎は違う。
触れるたびに身体が傷つく。
無理に越えれば、その後の動きが鈍る。
レオンは呼吸を整えた。
右足の靴底が熱い。
脇腹の制服も浅く焦げている。
まだ大きな負傷ではない。
だが、同じことを続ければ先に身体が動かなくなる。
相手が片手剣を向ける。
刃の溝へ炎が流れた。
「Dクラスでは、相手を見てから直してきたそうだな」
「ああ」
「それでは遅い」
「分かっている」
「本当に分かっているなら、同じ場所へ3回も糸を伸ばさない」
レオンは左手を見る。
壁。
杭。
相手の武器。
固定先は変えている。
だが、使う瞬間は同じだった。
姿勢を崩したあと。
進路を塞がれたあと。
攻撃へ届かなかったあと。
失敗を修正するために、糸を使っている。
ノアにも指摘された癖だった。
糸を使わない訓練を重ね、以前より減っている。
それでも、追い詰められれば同じ順番へ戻る。
相手は、その順番を待っていた。
炎が左側へ落ちる。
レオンは右へ動く。
正面から剣が来る。
受け流す。
右前方へ炎が置かれる。
左へ戻る。
その先へ、剣先が伸びる。
レオンは短剣で受け止めた。
金属音が響く。
力では大きな差がない。
それでも、押し返せない。
相手は片手剣でレオンを押している間にも、左手へ魔力を集めている。
次の炎を準備している。
レオンは剣を受けるのをやめた。
短剣を外し、身体を左へ落とす。
相手の剣が前へ流れる。
同時に炎が左側へ落ちた。
レオンの進路を読んでいた。
熱が顔へ迫る。
レオンは地面へ手をつき、身体をさらに低くした。
炎の外側を転がり、距離を取る。
右腕へ砂が付く。
立ち上がる前に、相手が来る。
レオンは左手を動かさなかった。
糸で姿勢を戻せば、その先へ攻撃が置かれる。
右足を地面へ立てる。
左膝を上げる。
自分の身体だけで立ち上がる。
その間に、片手剣が振り下ろされた。
レオンは短剣を両手で持ち、受け止めた。
衝撃で膝が沈む。
相手の左手には、すでに炎がある。
近い。
レオンは短剣を押し返さず、剣の下へ潜った。
相手の左手が動く。
炎をレオンの背中へ置こうとする。
レオンは身体を止めた。
前へ抜けない。
後ろにも戻らない。
相手の左手だけを見る。
炎は、まだ落ちていない。
相手はレオンが前へ進むと考え、その先へ火を置こうとしている。
片手剣も、前方への逃げ道を塞ぐ位置へ動いていた。
レオンが止まったことで、炎と剣の両方が一瞬だけ空いた場所へ向かう。
その一瞬に、レオンは相手の手首へ短剣を伸ばした。
相手が腕を引く。
炎が予定していた場所へ落ちず、2人の間で崩れた。
初めて、相手の動きが途中で止まった。
レオンは追わない。
すぐに後退する。
相手も距離を取った。
表情は変わっていないが、左手を一度握り直している。
観客席で、ミナが小さく口を開いた。
「今、遅れた」
ガルドが横を見る。
「相手がか?」
「うん」
「なんでだ?」
「レオンが進まなかった」
セイルが実技場を見たまま答える。
「動く前に道を塞いでるなら、動かなければ外れる」
「ずっと止まってたら負けるだろ」
「ずっととは言ってない」
レオンにも、同じことが見えていた。
相手はレオンより速く判断しているのではない。
レオンが選ぶ前に、選びそうな場所へ攻撃を置いている。
右が燃えれば左へ。
左が燃えれば前へ。
近づけば、炎を避けて身体を引く。
これまでレオンが繰り返した動き。
多くの生徒が選ぶ、安全な反応。
相手はそれを先に潰している。
だから速く見える。
相手が片手剣を構え直した。
「止まれば解決すると思ったか?」
「思っていない」
「次は、止まった場所へ火を置く」
「そうすると思った」
相手の目が細くなる。
レオンは左手から、ゼロスレッドを1本伸ばした。
狙いは壁でも杭でもない。
自分の後方に落ちている短い木片だった。
先ほどの試合で、訓練武器から欠けたものが残っている。
糸が木片へ巻きつく。
相手は剣を振らない。
そこへ固定しても移動には使えないと判断したのだろう。
レオンは糸を引いた。
木片が地面を滑り、右側の炎へ入る。
乾いた木が燃え始めた。
「何をしている?」
相手が尋ねる。
「確認した」
「何を?」
「お前の火は、置いたあとも残る」
炎は動かない。
レオンを追わない。
水のように引き戻すことも、氷のように形を変えることもない。
相手が新しい炎を置くたび、古い炎はその場所に残されている。
だからこそ進路を狭められる。
同時に、一度置いた炎は、相手自身の進路も塞ぐ。
実技場には、すでに多くの炎が残っていた。
レオンを追い詰めるために作られた道。
相手が次の攻撃を置く場所も、その配置によって限られている。
「俺だけが、炎を避けているわけじゃない」
レオンが言う。
相手は答えなかった。
右側の炎。
左後方の炎。
中央に残った細い道。
レオンが進める場所は少ない。
だが、相手が立てる場所も減っている。
片手剣を振るために必要な幅。
左手から炎を落とすための距離。
自分の火へ触れずに後退できる場所。
それらを満たす位置は、さらに少ない。
相手が一歩進む。
レオンは動かない。
片手剣が振られる前に、左手へ魔力が集まった。
止まったレオンの足元へ、炎を置くつもりだ。
レオンは火球が離れる前に踏み込んだ。
遅くはない。
速さを競ってもいない。
相手の1つ目が終わる前に、次の動きを始めただけだった。
炎がレオンの背後へ落ちる。
片手剣が正面から迫る。
レオンは短剣を構えた。
退路は燃えている。
左右にも炎がある。
残された道は、相手のいる正面だけだった。
だが、それは相手がレオンへ残した道ではない。
相手自身が、炎によって逃げられなくなった場所だった。
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