第56話 氷の道
ユリアとの順位戦当日。
第2実技場の地面は乾いていた。
大きな障害物もなく、端に訓練用の杭がいくつか立っているだけだった。
変動地形走のように、最初から道が用意されているわけではない。
それでもレオンには、試合が始まれば別の地形へ変わることが分かっていた。
対面に立つユリアは、腰から短い杖を抜いた。
淡い銀色の髪を後ろへ払い、杖の先を地面へ向ける。
「左手は大丈夫なの?」
ユリアが尋ねる。
「使える」
「ノアとの試合では、かなり負担をかけていたでしょう」
「今は問題ない」
「なら、遠慮はしないわ」
観客席にはガルド、ミナ、セイルが並んでいた。
セイルは木剣を膝に置き、ユリアの足元を見ている。
担当教師が2人の間へ進む。
「武器と魔法の使用を許可する。相手が戦闘不能になった場合、降参した場合、または私が続行不可能と判断した場合に決着とする」
教師が後方へ下がる。
「始め」
ユリアが杖を振った。
レオンの正面へ、薄い氷が広がる。
壁ではない。
地面の表面を覆うだけの氷だった。
レオンは右へ踏み出した。
右側には氷がない。
2歩進んだ瞬間、ユリアが杖を横へ動かす。
今度は右前方へ細い氷の帯が伸びた。
レオンは進路を左へ変える。
その先にも、新しい氷が生まれた。
完全には塞がれていない。
氷と氷の間に、人が1人通れる隙間が残っている。
そこを進む。
ユリアが後退した。
レオンが通れる幅を保ちながら、距離を取っていく。
短剣の間合いへ入れない。
ゼロスレッドをユリアの足首へ伸ばす。
糸が届く前に、ユリアは杖を地面へ突いた。
糸の進行方向へ氷柱が伸びる。
ゼロスレッドが氷柱へ触れた。
レオンは糸を切り、左へ踏み込む。
足元が滑った。
先ほどまで乾いていた場所に、薄い氷が作られている。
レオンは転倒する前に、近くの杭へ糸を固定した。
身体を引き、姿勢を戻す。
その動きを見て、ユリアは杖を上げた。
杭の根元が氷に包まれる。
固定された糸ごと、杭が白く凍りついた。
レオンが糸を引く。
杭は動かない。
だが、凍った表面でゼロスレッドが滑り、固定が外れた。
ユリアの杖が胸元へ迫る。
レオンは短剣で払った。
木と金属が触れ、乾いた音が響く。
ユリアは力で押し合わない。
杖をすぐに引き、レオンの右側へ氷を広げた。
右へは進めない。
左側には、先ほど通った細い道が残っている。
レオンは左へ動く。
ユリアも同じ方向へ下がった。
「残された道を進むのね」
ユリアが言う。
「ほかを塞いでいるからだ」
「本当に塞いでいると思う?」
レオンは足を止めなかった。
左前方へ進みながら、氷の配置を見る。
右は広く凍っている。
左後方にも氷。
正面には、杖を構えたユリア。
進める場所は、正面左だけだった。
そこへ踏み込む。
ユリアが杖を振る。
レオンの背後へ、新しい氷が広がった。
戻る道が消える。
正面へ進むしかない。
レオンは短剣を構え、距離を詰めた。
ユリアは逃げない。
杖の先から小さな氷片を飛ばす。
レオンは顔を横へずらした。
氷片が頬をかすめる。
続く2つ目を短剣で弾く。
3つ目は足元へ落ちた。
攻撃ではない。
氷片が地面へ触れた瞬間、その場所から薄い氷が広がった。
レオンの右足が滑る。
姿勢を崩しながらも、左足を前へ出す。
止まらず進む。
ユリアの杖が肩を狙う。
レオンは身体を沈めて避け、短剣をユリアの腰へ伸ばした。
あと少し。
ユリアは後ろへ下がった。
その足元には、細長い氷の道が作られている。
ユリアの身体が滑るように後方へ移動した。
走るよりも速く、一気に間合いが開く。
レオンは追う。
正面の氷へ足を置かず、隣の乾いた地面を進む。
ユリアが杖を向ける。
乾いた地面が凍る。
レオンは再び進路を変えた。
右。
左。
正面。
動くたびに、次に進める場所が1つだけ残される。
ユリアは氷の壁を作っていない。
大きな魔法で道を塞いでもいない。
レオンが避けやすい場所。
糸を固定しやすい杭。
足を置きやすい乾いた地面。
それらを少しずつ消している。
ガルドが観客席から身を乗り出した。
「レオン、ずっと同じ方向に動かされてないか?」
レオンにも分かっていた。
実技場の中央から、少しずつ端へ近づいている。
ユリアはレオンを攻撃しながら逃げているのではない。
最初から、実技場の右奥へ運んでいる。
レオンは進むのをやめなかった。
だが、次に開いている場所を選び続けた結果、ユリアが決めた道を通っていた。
変動地形走では、止まらずに進むことを覚えた。
しかし、あの訓練では地形に意思がなかった。
ユリアには意思がある。
レオンが止まらないと知っている。
だから、止まらずに進める道を残している。
右奥の壁まで、残り数メートル。
レオンは正面へゼロスレッドを3本伸ばした。
1本はユリアの杖。
2本目は左側の杭。
3本目は壁際の金具。
ユリアの杖へ伸ばした糸が、氷柱に遮られる。
杭の根元はすぐに凍らされた。
壁際の金具へ伸ばした糸だけが届く。
レオンは引いた。
身体が斜め前へ加速する。
ユリアの用意した道から外れる。
氷のない空間を通り、壁際から中央へ戻る軌道だった。
ユリアはレオンを追わず、杖を壁へ向けた。
糸が固定されている金具の周囲へ氷が広がる。
金具そのものではなく、壁の表面が凍った。
ゼロスレッドが固定されていた場所から滑る。
引く力が消えた。
空中でレオンの身体が傾く。
着地予定の場所には、すでに薄い氷が作られていた。
右足が氷へ触れる。
靴底が滑る。
レオンは転倒を防ぐため、左手から新しい糸を伸ばした。
狙える固定先を探す。
近くの杭。
凍っている。
壁の金具。
表面が氷で覆われている。
ユリアの杖。
正面に氷柱がある。
固定できる場所がない。
レオンは糸を消し、左足を地面へ突いた。
完全には止まれない。
滑りながら短剣を構える。
ユリアが正面へ踏み込んだ。
初めて、自分から距離を詰めてくる。
杖がレオンの胸元へ伸びる。
レオンは短剣で弾いた。
体勢が不安定なまま、続く横薙ぎを避ける。
後ろへ下がる。
そこには壁があった。
いつの間にか、実技場の右奥へ戻されている。
ユリアが狙っていた場所だった。
「止まらず進めば、私の道を進んでくれる」
ユリアが言う。
「分かっている」
「気づくのが遅かったわね」
「まだ終わっていない」
「ええ。だから、ここから動けなくするの」
ユリアが杖を地面へ向けた。
レオンの正面へ、半円を描くように氷が広がる。
壁。
左右。
足元。
完全に囲ってはいない。
正面中央にだけ、細い道が残されている。
その先には、ユリアが立っている。
逃げ道ではない。
攻撃するための道でもない。
レオンが進めば、ユリアの杖が届く距離。
止まれば、周囲の氷がさらに狭まる位置。
ノアは水滴で糸を見つけた。
セイルは砂で固定先を暴いた。
ユリアは、糸を使う場所そのものを残していない。
レオンは正面の細い道を見る。
これまで、自分が相手にしてきたことだった。
進路を減らし、残った方向を選ばせる。
見える糸で反応を誘い、相手自身に動きを決めさせる。
今度は、レオンが選ばされている。
ユリアが杖を構えた。
「次の1歩は、どこへ進むの?」
レオンは短剣を握り直した。
残されているのは、ユリアが用意した道だけだった。
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